新シリーズ『天理の教え:超解説!みかぐらうた』
第3回目は『つとめの効能』をお送りします。
命捨てても
四ッ よるひるどんちやんつとめする そばもやかましうたてかろ
(みかぐらうた 四下り目)
天理教信者なら誰でも、朝夕、毎月(月次祭)に拝する『つとめ』。
『つとめ』の地歌に合わせて、拍子木、掏摸がね、チャンポン、太鼓、笛、琴、三味線、胡弓が奏でる『つとめ』の音色。
ハッキリ言って近隣住民は大迷惑ですよね?
中には騒音を気にして拍子木にタオルを巻いて音量対策している教会もあるとかないとか…。
教祖が亡くなる明治二十年の状況は更に酷く、『つとめ』をするだけで警察に捕まり極寒の監獄で何日間も拘留されていました。
そんな訳で、信者達も高齢の教祖の体を気遣い『神様の意に添えない』ジレンマの日々。
しかし神様は『つとめ』を急き込まれる。
いやいや、『つとめ』をすれば警察に拘留される。
この警察と神様の板挟みの中、次第に教祖の容態が悪化し、もはや一刻の猶予も許されない切羽詰まった状況に!
『つとめ』をしても、しなくても、教祖の身が危ぶまれる厳しい状況に置かれ、漸く意を決し『つとめ』の覚悟が固まる。
明治二十年二月十八日(陰暦正月二十六日)、教祖の孫にあたる眞之亮(しんのすけ)の号令により、「命捨てても」の覚悟ある者のみ命懸けでおつとめに挑まれた…
これは天理教史における最重要かつ有名な場面ですね。
「命捨てても」の覚悟までして挑む『つとめ』。
なぜ、そこまでして『つとめ』をする必要があるのでしょうか?
皆さんは、ふと考えませんか?
なぜ?おつとめするの?
なぜ?おつとめするの?
当時、教祖から『つとめ』を急き込まれていた、眞之亮(しんのすけ)以下、側近の信仰者達ですら『おつとめ』の意味を理解している者は一人もいませんでした。
だからこそ教祖は、命を25年縮めてでも『つとめ大切』を伝えられたのです。
それでは明治二十年から133年経過した現在の私達は、『つとめ』の神意をしっかり理解しているのでしょうか?
なぜ?おつとめするの?
もし、子供に尋ねられたら何て答えますか?
その答えは合っていると自信を持って言えますか?
四ッ ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや
(みかぐらうた 第五節 六下り目)つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたえもちがう事なし
(おふでさき 第十号 34)
この二首のお歌だけ見ても、『つとめ』に込められた「神様の思惑の巨大さ」を伺い知ることができます。
『つとめ』をするのに充分過ぎるくらい価値がある内容です。
しかし、この二首をもって『つとめ』の神意を理解した!…と言っても無意味なこと。
教祖の教えは「実践教理」。
教え通りに実践し、教え通りの効能が現れなければ、本当の意味で神意は理解できません。
つとめの教え → つとめの実践 → つとめの効能 → つとめの理解 → 喜び
これ以外に『つとめ』を理解する方法はありません。
つとめの実践 → つとめの効能 → つとめの理解 → 喜び → エンドレス…
この繰り返しにより『つとめ』の理解をアップデートすることで、『つとめ』に運ぶ喜びもアップデートし続けるのです。
これが「陽気尽くめの信仰」。
五ッ いつまでしん/゛\したとても やうきづくめであるほどに
(みかぐらうた 五下り目)
ゆえに私達は
なぜ?おつとめするの?
と問い続ける必要がある訳です。
続く理
私は天理教を信仰する家庭で育ちましたが、父はサラリーマン、母は専業主婦で、神棚を祭ってあるだけの一般家庭。
病気になれば当然のように病院に行くし、『おつとめ』も習慣的に毎日行っている訳ではありませんでした。
要するに「ゆる~い信仰を信条としたごく平凡な一般家庭」。
だから、たまに家で『おつとめ』を始めると無性に嫌な気持ちになり、大人になればなるほど嫌な気持ちは強まりました。
何が嫌かというと…
『おつとめ』の意味が分からない
これに尽きます。
- 意味の分からないことに大切な時間を費やしたくない
- 意味の分からないことは楽しく感じません
- 意味の分からないことに心は動きません
自分を弁護する訳ではありませんが、これは極々一般的な考え方ではないでしょうか?
しかし!
ある師との出会いを境に状況は一変したのです。
師から教えていただく『つとめ』の意味はとても刺激的でした。
先ず兄が師から教えを聞き、次に両親、祖母へと伝わり、「ゆる~い信仰」が何時しか「意味のある信仰」に変ったのです。
そして最後に私。
『つとめ』の意味を知って以来、毎日『つとめ』に運ぶようになり、結婚し四人の子供を授かった今でも、家族揃って『つとめ』に運び続けています。
しかし、ただ意味を知っただけなら、こんなに長続きしなかったでしょう。
どんな深い意味が籠もったものでも、毎日同じことの繰り返しには必ず飽きが来ます。
ダイエットでも痩せる「効能」が無ければ長続きしません。
いくら「神様が教えた大切なつとめ」だとしても、「効能」が無いものを続けることは苦痛以外の何ものでもありません。
どんな立派な計画でも『続く理』が無ければ頓挫してしまいます。
逆に言えば「効能」があれば長続きするのです。
毎日毎食後に必ず歯を磨きますが「歯磨きが飽きたから明日から歯を磨かない!」なんて事はありませんよね?
歯磨きは飽きる飽きないの問題ではなく、歯磨き自体に「虫歯を予防し口臭を抑える」などの効能があるから毎日止められないのです。
ご飯だって毎日三食いただきますが、例え「もう食べるの飽きた!面倒くさい!」と思ったとしても、食べないワケにはいきませんよね?
ご飯は命の源だって誰でも知っているし、ご飯を食べなければ力が出ず、楽しい遊びすら出来なくなります。
要するに「効能」があれば続けられるし止められません。
これが『つとめの効能』を見ることの重要性なのです。
つとめの効能
社会生活を営んでいれば時間は貴重ですよね。
『おつとめ』をするには、まとまった時間が必要になり、仕事をしていれば『おつとめ』に費やす時間さえ惜しいと思うことも屡々。
『おつとめ』に時間を費やす分、仕事に費やす時間が少なくなります。
普通、仕事で問題が発生したまま解決の目処が立たなければ、仕事をほったらかして『おつとめ』する心境にはなりません。
そもそも仕事が気になって『つとめ』に身が入りません。
それが普通の感覚であり、私も屡々、この感覚に縛られていました。
『つとめ』の意味を知れば、何を差し置いても『つとめ』に運ぶ価値があるワケですが、現実には自分の思い通りに事は運びません。
世の中は私の都合だけで動いているワケでは無いからです。
「仕事」を優先しなければ会社も困るし、社会の歯車が一つ狂うことに繋がります。
これが一般的思考。
同時に『つとめ』の意味を知りながら、『つとめ』より『仕事』を優先することは、信仰者が抱える大きな矛盾でありジレンマ。
ここに葛藤が生まれます。
『仕事』の優先順位が高くなればなるほど、葛藤も大きくなり気持ちがスッキリしません。
『つとめ』の存在自体が心を掻き乱す状況は正に本末転倒。
これは明治二十年「命捨てても」の追体験といって過言ではありません。
状況の重い軽いはあるとしても、あの日以来、私達信仰者は常に「命捨てても」の問いを投げかけられているのです。
「信仰は人生の保険」でもなく「保身の為」でもない。
教えの意味を深め、喜びの味わいを深め、陽気尽くめに暮らすための信仰。
ある時、この矛盾と決別するために『つとめ一条(つとめ第一の生活)』に心定め直しました。
例え問題が解決しなくても、途中で仕事を切り上げ『つとめ』に運ばせていただくと決心し、後は神様に凭れて『つとめ』に心の標準、生活の芯を合わせました。
すると…
なんという事でしょう?
不思議な事が起きたのです!
『おつとめ』の最中にパッと問題解決のアイデアが閃くのです!
これまで『おつと』の時間を犠牲にし、問題解決に取組んだとしても、数日たっても問題が解決しないこともありました。
それが『おつとめ』に時間を費やした分、問題解決に費やす時間が大幅に短縮され、結果的に時間が創造される不思議な現象が起きたのです。
それでは下記図式で問題解決に要する時間を比較してみましょう。
問題解決に費やす時間【通常時】
問題発生! → 問題の原因究明(1時間) → 問題の長期化(24時間) → 問題解決!
合計25時間 (´×ω×`)
問題解決に費やす時間【おつとめ時】
問題発生! → 問題の原因究明(1時間) → おつとめ(1時間) → 問題解決!
合計2時間 (*゚∀゚*)
差し引きで23時間も創造された事になります。
ちょっと傍から見たらバカバカしい話かもしれません。
しかし、これが一過性の現象なら「単なる偶然だった」と考えを改めるところですが、一度や二度のことではなく、それ以来仕事自体が問題なく順調に運ぶようになり、難なく『おつとめ』に運べるようになりました。
“人間の都合”を捨てて、『つとめ』を急き込む“神様の都合”に合わせることで、自分の世界により良い好循環が現れたのです。
さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/゛\あり、それ/゛\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで
正にこの”おことば”通り。
この世界は“人間の都合”の前に“神様の都合”で動いているのです。
人間の喜びを見て共に楽しむ
この“神様の都合”にマッチする心定めなら、神様は真っ先に受け取り「人間が思う以上の好都合」を現わし、神を慕う人間の心にお応えくださるのです。
これは人間が運ぶ『つとめ』により“創造原理が好循環に働いた結果”。
そして、これはほんの一例で、その他にも『つとめの効能』は枚挙に暇がありません。
心が鎮まり、体の疲労が回復する。頭痛や発熱、歯痛、腹痛などの症状が治まる。災害時に川の氾濫を塞き止め、水不足時に『雨乞いのつとめ』、冬期オリンピックで雪が足りない時に『雪乞いのつとめ』など、『つとめの効能』を目の当たりにして来ました。
このように、『つとめ』に運ぶことで確かな効能を頂けるのだから、マンネリや義務的に運ぶだけでは単なる時間の浪費。実に勿体ない。
なぜ?おつとめするの?
しっかりと意味を再認識して『つとめ』に向かわなければ、神様の思惑とズレてしまい、結果的に「効能」も貰い損ねてしまうのです。
”みかぐらうた”は意味の塊
”みかぐらうた”は意味の塊です。
求めれば求めるほど意味は深まり理解も深まる“無限なる神の叡智”。
この意味を深め続けることで、神様の思いと寸分違わぬ『つとめ』に近づけるのです。
つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたえもちがう事なし
(おふでさき 第十号 34)
だからこそ、私達は思考し続ける価値があるのです。
なぜ?おつとめするの?
”みかぐらうた”の意味を深めずして『つとめの効能』など夢の又夢。
そして「思考する」ということは「意識を高める」ということ。
要するに意識的に『つとめ』に向かへば、『つとめの効能』にも自覚的になり、“神様のすること為すこと”が次第に見え始めて来るのです。
そうなれば『つとめ』は楽しくなり、益々意味を深められる仕組みになっているのです。
『おつとめ』なんか、ちゃっちゃと済まして、早く布教やひのきしんの実働へ向かおう!などと頓珍漢なことを言っていませんか?
『おつとめ』こそが神様の本懐。
信仰者は『おつとめ』さえ”神様の思惑通り”に運べたら、他に何をする必要が無いほど、人は救かり、人は集まり、教会は大繁盛すると思って間違いありません。
それが『つとめ』に込められた理。
それほど『つとめ』とは人間にとって“大仕事”であり、神様から見たら“大手柄”なのです。
与えるために教えた『つとめ』。
神様は与えたくて仕方がないのです。
効能を求める心は欲?
「効能」を求めることは「欲」でしょうか?
いや、私には欲はありません。効能など求めていません!
これは大きな誤解です。
それでは“陽気暮らし”を拒否しているも同じこと。
「効能」とは『創造原理』が動いた証拠。
人間が運ぶ『つとめ』を神様が受け取り『創造原理』を働かせ、より良い守護を形に現わしてくださるからこそ、陽気尽くめの世界が実現する可能性があるのです。
そして「効能」とは“神様の思い”と“人間の心”のズレを計る「バロメーター」でもあります。
もし『つとめ』に運び続けても一向に「効能」が見えて来ないとしたら?
神様が嘘を言ったのですか?
違いますよね?
つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたえもちがう事なし
(おふでさき 第十号 34)
「効能」とは“天の与え”の入り口なのです。
“天の与え”とは人間の体、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・この全てが『つとめ』によって成り立っている「守護の賜」。
人間にとって極々当たり前の日常こそが“天の与え”なのです…
しかし残念ながら今の私達にはそこまでの感受性はありません。
これまで当たり前に感じていたものを急に“天の与え”と言われても、理屈では分かっても感受性が伴いません。
心から“天の与え”と実感できなければ、当然、口ばかりで喜びは伴わない。
だからこそ、実際に「効能」を見ることで“天の与え”という不思議を感じる感受性が磨かれ、その磨かれた心が「当たり前の日常」を“天の与え”と実感させるのです。
そもそも、神様は人間にとって“不思議な存在”なのです。
無から有を創造したり、宇宙を創造したり、体に命を宿し動かしたり・・・人間の叡智では絶対に計り知ることができない“不思議な存在”なのです。
その“不思議な存在”が与える守護を“不思議”と感じるためには、与えを受ける人間にも“不思議を感じる能力”が必要不可欠。
磨かれた感受性があればこそ、日常的に“天の与え”を感じて「陽気尽くめの人生」を送ることができるのです。
まとめ
何故、教祖が25年寿命を縮め、側近を「命捨ててても」の心境に追い込んでまで『つとめ』を急き込まれたのか?
自分で自分の命を心配しても意味の無いこと。
自分で自分の命を守る方法など、人間思案の中には存在しません。
「命そのもの」が月日道具衆の『つとめ』で守られ、「命」に付随する体、生活、環境、全ての形が難儀不自由なく成り立つ現実を理解させるために『つとめ』を急き込まれたのです。
そして人間の運ぶ『つとめ』が一粒万倍の守護となって遍く世界に行き渡る様を目撃し、『つとめ』の価値に喜び勇み、人間自らの『つとめ』で世界一列を陽気尽くめに創造するため…
こんな壮大な目的の元に『つとめ』が教えられたのです。
要するに『つとめ』の完成なくして“陽気暮らし”は実現しないのです。
さあ、いよいよ次回から本編”みかぐらうた”の解説に入ります。
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