母からの電話「詐欺に遭った!」

詐欺魂の視点

先日、実家の母から「詐欺に遭った!」と電話がありました。
母の携帯に「あなたの携帯から動画サイトにアクセスし総計50万円ほど未払いが発生したいます。至急振り込んでください。」と明らかに詐欺と分るメール。
母からメールの内容を見せられた父は詐欺と疑いながらも不安に駆られ、念のため確認の電話を入れてしまう。
およそ父らしくない行動。高齢のため判断が鈍ったのか?
だが詐欺集団に電話が繋がったら最後、裁判やらなんやらと脅され、あれよあれよと言う間に支払う方向へ意識を誘導され、ついには「銀行に払いに行ってくる」と心固めてしまう。
「お父さん、詐欺だよ、詐欺」。制止する母の言葉も聞かずに扉の外へ。
母は一瞬「大変なことになった」と脳裏を過ぎったが、直ぐに心を改めた。

「まあ、これも私達が見なければならない因縁に違い無い。これで掃除ができるなら結構なこと」
そして「唱え一条」を始めた。

唱え一条
ある日、家族でスーパーに買い出しに出掛けた時のこと。 高校生の長女が辛そうな顔で「パパ、車の鍵貸して、少し休んでいる」。 なにやら顔面の右半分が痛く辛いらしく、長女は車の後部座席で横になり苦痛でうずくまる。 買い物は妻達に任せて私も長...

「唱え一条」とは天理教徒なら毎日運ぶ「つとめ」の地歌(みかぐら歌)を真剣神妙に唱えること。みかぐら歌には、人間の陽気ぐらしを願う神様の思いが込められている。
始めは不安で心が騒ぐことがあっても、「唱え一条」を真剣神妙に運ぶ内に「母の心」は「神様の心」と同化し、絶対的安心感と絶対的幸福感に包まれる。
母は左半身が麻痺しベットから動けないが、「唱え一条」で自分の世界が動くことを知っている。

あしきをはろうてたすけたまへ天理王命

暫くすると玄関の扉が開き父が戻る。
「振り込めなかった」
驚く母が事の顛末を聞いてみると・・・
父は銀行のATMの前で、携帯で指示を受けながら振込む準備をしていた。
「名義を変更して振り込んでください。」
違和感は感じながらも、逃れられない意識のまま指示に従い、大金を振り込もうとしたその時!

驚くことが起きた。
なんと、隣にいた若い女性が父の携帯の通話ボタンを強引に切ったと言うのだ。
困惑する父に女性は「これは詐欺だから振り込んではいけません」。
突然、天使が舞い降りた。
そして父の窮地を救ってくれたのだ。
いまだ困惑する父の話を聞きながら、母は不思議な感覚に包まれていた。
同時にその心には身震いするほどの巨大な喜びが込み上げていたのです。
最初に与えられたのは悪縁(詐欺集団)だが、それを自らの因縁と治め「唱え一条」で心の向きを「陽気の向き」に立替えた母。結果、心通りに良縁(若い女性)を与えて頂いた。

悪縁を良縁に変えて欲しいなど、おこがましい気持ちは一切なく、唱え一条で心穏やかに治めただけ。「財産を失ってもそれが救い。それで私達夫婦の悪縁は切れる。そして心新たに一歩陽気世界へ踏み出せる。」
しかし、神様の思惑通りに治めた心は真の誠。
誠なら神様がほっておかない。
誠は直ぐに受け取り直ぐに返すが天の理。
周りには単なる偶然に見えても、母には心通りに与えられた鮮やかな守護。
嬉しくて嬉しくて息子に電話を掛けて来たのだ。

詐欺に乗せられて出て行った父を見送りながら、なぜ母は落ち着いて「唱え一条」を運べたのか?
それには前提があった。
東京が4000人を超える感染者数を記録し、世の中を不安の渦に陥れていた最中のこと。
これはいよいよ大変だと母は案じたが、ベットと車椅子の生活の身では何もできない。
しかし形を運ぶことは出来ないが、心だけは運ぶことはできる。

「そうだ。唱え一条・・・」

自分には何も出来ないと半ば諦めの境地にいた母に一筋の光明。
そして「唱え一条」を決行したところ、翌日に大幅に感染者数が減少したのだ。
驚いた母は次の日も「唱え一条」。
やはり感染者数が減少。
驚きと嬉しさのあまり、それから毎日「唱え一条」を続けた。
結果はご存じの通り。毎日減少を続け、行動制限解除の声も聞こえ始めている。
母は電話口で「毎日ニュースで感染者数を聞くのが楽しみ」と弾む声で語っていた。
そんな経緯もあり、今回の詐欺事件でも落ち着いていられたそうだ。
「じゃあ、お母さんのお陰で感染者数が減少したのか!」と二人で笑い会ったが、母の中では確かな真実であり、例えベットの上で不自由な身だとしても「世界救けの心」を運べる確かな手応えを掴んだのだ。
傍から聞いたら馬鹿げた荒唐無稽の話。単なる偶然の連続に聞こえるだろう。
だが、母にとっては必然。
神様の教えを信じて心運んだ母にしか見えない理の世界。
母が見たのは「形ある世界」に影響を与える「目には見えない不思議な理」。

不思議な救けをするからに如何なることも見定める

今回、まさに不思議な救けに与った母。人間が信じて運ぶ心に、神様が不思議で応えるからこそ、如何なることにも神様の守護と見定め、一日一日を安心して暮すことができるのです。

母が脳梗塞で半身不随になった時は、家族総出で「唱え一条」「さづけ」など、あらゆる手段を試みたが、その身上はビクともしなかった。

無理な願いはしてくれな一筋心になりてこい

母には「見る理」がある。それが今の身上。
天理により与えられた「見る理」を曲げてでも身上の回復を願う・・・
これが「無理な願い」。
全ては心通りの守護。私達に一番必要な与え、最速で陽気ぐらしが実現できる最高の与えなのだ。
このまま半身不随が回復しないのなら、それが神様に与えられた最高の守護と母は悟った。
母には母の使命がある。
この身上のまま陽気ぐらしを成し遂げる。
この身上だからこそ自分の本心と向き合い誠の心に近づける。
この身上だからこそ陽気に暮す母を見て、不思議な匂いに人は惹き付けられる。
実際、母はいつも明るく陽気だ。
しかも、心一つで世界をダイナミックに動かす「目には見えない不思議な理」を体得している。
例えベットから自由に動けなくとも、母は毎日「世界救けの心」を運べるのだ。
おそらく今、母は誰よりも心自由なのかもしれない。

介護

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