新型コロナウィルスが魂を救い・・・そして世界を救う

魂の提言おすすめ記事1

現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。
中国の武漢を発生源として一気に世界中に拡散した未知のウィルスは、世界中で20万人近い命を奪い、わたし達の国、日本でも300人以上の尊い命が奪われている。
その中には、お笑い界の巨匠「志村けん」さん、女優の「岡江久美子」さんも含まれており、感染者増加に歯止めが掛らない。
もはや誰にとっても「ウィルスの脅威」は身近な現実であり、常に感染リスクと隣り合わせで、不安・恐怖を抱えながら、社会生活、日々の暮らしを送らざるを得ない状況である。
政府から緊急事態宣言が発令され、よもや、こんな時代が訪れるとは誰も予想しなかったであろう。

そんな中、こんなニュースが舞い込んだ

ローマ教皇フランシスコは8日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大について、環境危機を無視し続ける人類に対する「大自然の反応」の1つとして警鐘を鳴らした。
https://www.cnn.co.jp/world/35152106.html

新型コロナウイルスは「環境危機に対する大自然の反応」・・・らしい。
人々の反応は賛否両論。
まあ、そりゃそうだ。
そう言われたら、そうかも知れないが・・・
でも、その根拠は?
と、問われたら答えに窮するだろう。
大自然が「環境危機に警鐘を鳴らすために新型コロナウィルスを拡散させたのだ!」と言ったのだろうか?大自然の声を聞いたのだろうか?
そもそも大自然に意志はあるのか?
大自然に人格はあるのか?
大自然とは神?

新型コロナウィルスの発生源は、中国湖北省の武漢にある海鮮市場、同じく武漢にある中国科学院武漢ウイルス研究所、武漢市疾病予防コントロールセンターの研究施設などの説が挙げられている。

新型コロナの発生源は? 真相究明求める声 世界で広がる | NHKニュース
【NHK】新型コロナウイルスの発生源に関して中国の武漢にある研究施設から広まった可能性がアメリカで指摘される中、オーストラリアのモ…

もしウィルスの発生原因が人為的なものだとすると、大自然が人の行動を操りウィルスを発生させたことになる。
大自然とは思惑と計画性を持って人の行動に影響を及ぼす能力を秘めている・・・ということか?

こんな話をすれば、まるでSFか漫画の世界のようで、余りにも現実を無視した非科学的な提言だと一笑に付されても仕方がないだろう。

でも、1つ確かなことがある。

わたし達人間は、自分以外の意志により、この世に生まれ、生命活動を行っているのである。

少し考えれば誰でも理解できると思うが、あなた、自分の意志でこの世に生まれて来た訳では無い。
あなたの両親が望んだから?
いや、望んでも、望み通りに子が授かることはない。
そう、まさに子は天からの授かりもの。
いくら両親が望んだところで、両親が命を生み出し、十月十日胎内で体を造り上げる訳では無い。
全て自然による力だ。
自然の力が、60兆個の細胞で構成され、複雑怪奇な構造を持つ人体を造り上げる。
はじめて、この事実を知った研究者は間違い無く、こう思っただろう。
「おお、神よ!」
そう正に神技。
人体は神秘の一言に尽きる。
世界有数の頭脳を持つ、iPS細胞研究所の第一人者、山中伸弥教授にしても「人体は神秘」なのだ。

エラー - NHK

そもそも、何故、人間に心があり、意志があり、思考する能力があるのだろうか?

偶然に心、意志、思考を持つと言うのだろうか?
突然変異的に発生したと言うのだろうか?

そんな馬鹿な!

人間を誕生させた、その土壌に、その元に、心という要素が無ければ人間に心が備わる道理がない。
ビッグバンが起こり宇宙が誕生する以前に「宇宙を誕生させ、人間を創造する」という意志がなければ、宇宙も人間も存在し得ない。
寸分の狂いなく運行され地球という星を存在させ、恵みを与え続ける宇宙。
青空を見れば美しいと感じる目、風の囁きを聞けば心癒やされる耳、水・食べ物を食すれば美味しいと感じる舌、家族や友人と楽しく語らう口・・・無限に喜びを感じる五感を持ち、自然はその五感に無限に恵みを与え続ける。

こんな都合の良いことが偶然起こっている?
まさか!

何者かが緻密に計画し、恐るべき神秘の能力で実行し続けなければ、人間が存在することなど有り得ない。それが何者であっても、こんな神技を有する力の持ち主を、わたし達はこう呼ぶしかない。

まさに神!

そして、その神が人類を創り、今、新型コロナウィルスを創り、世界中に蔓延させている?
神の意図は?

それを知るには、そもそも何故、神が人間を創造したのか?
その意図まで遡る必要がある。

中山みきが語る天啓の言葉に、神が明かした創造の意図が述べられている。

人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむため

こんな単純な理由、創造主の一方的思惑により人間世界・・・この大宇宙が創造されたというのだ。

これも馬鹿馬鹿しいと一笑に付することも出来るが、人間自身、陽気ぐらし・・・つまり陽気尽くめ、喜び尽くめで暮らすことは一番の望みであり願いだろう。

誰だって、喜んで暮らしたい。
誰だって、自然災害ではなく、自然の恵みを受けて幸せに暮らしたい。
誰だって、与えられた命をとことんまで全うして生き抜きたい。

それほど、命は輝き、生きることは喜びに溢れている。

だが、今回のように、たった1つのウィルスの猛威で、世界中が混乱に陥り社会生活が脅かされ経済活動も停滞すれば、人類が望む「幸せ」は脆いバランスの上に成り立つ「奇跡」だったと思い知らされる。

そう奇跡なのだ。

宇宙の存在、人間の誕生・・・まさに奇跡としか言い表せない。
人間が毎日、目が覚め、思い思いに生活している現実は、まごうことなき奇跡なのだ!

その奇跡に対して、人間は余りにも鈍感。

当たり前に奇跡を享受している。

当たり前ということは「喜びが無い」・・・ということだ。
「喜びは無い」ということは、創造主の思惑に反するということ。

だから人間に罰を与え、警鐘を鳴らす?
それは違う。

これは神の仕業ではない。
人間の心通りの結果なのだ。

もし新型コロナウィルスが神の仕業なら、何もそんな面倒くさいことせずに、直接人間の前に現れて、「こうしなさい、ああしなさい」と生活指導をすれば済む話。

なぜ、神はそれをしないのか?
いや、神には出来ないのだ。
神が勝手に形を操作する「理」はないのだ。

人間創造の諸元に、神は自らの魂を分けて人間の本体とし、その魂に「体と全宇宙を貸し与え」、そして魂が有する「自由の心」に対して、「心通りの守護」を与えると「理」を定めたのだ。

全ては心通りの結果において、今、わたし達は世界の混乱を目の当たりにしてる。
このように事態が世界規模の場合、世界中一人一人に対する「心通りの守護」であり、それを治める責任も、またそれぞれの心1つにある。

新型コロナウィルスによる混乱した世界を見れば、今まで普通に暮らしていたことが、どれだけ奇跡で、どれだけ有り難く、どれだけ喜びだったか、思い知るだろう。
それでいいのだ。
その喜びを感じるだけでいいのだ。
その喜びを忘れなければ、事態が終息した後も「幸せ」を噛みしめて暮らしことができるのだ。

新型コロナウィルスの終息、それもまた「心通りの守護」。
ウィルスの拡散が終息する、その臨界点こそ、わたし達一人一人の喜びに掛っている。

神の奇跡、神の与えた生命への賛歌、命あることの喜び。

わたし達一人一人が一丸となって神の奇跡に喜びを運ぶのだ!
その喜びが「心通りの守護」となる臨界点に達するまで。

わたし達が「魂の喜び」を取り戻すまで・・・。

 

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