新型コロナウィルスが魂を救い・・・そして世界を救う

魂の提言おすすめ記事1

現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。
中国の武漢を発生源として一気に世界中に拡散した未知のウィルスは、世界中で20万人近い命を奪い、わたし達の国、日本でも300人以上の尊い命が奪われている。
その中には、お笑い界の巨匠「志村けん」さん、女優の「岡江久美子」さんも含まれており、感染者増加に歯止めが掛らない。
もはや誰にとっても「ウィルスの脅威」は身近な現実であり、常に感染リスクと隣り合わせで、不安・恐怖を抱えながら、社会生活、日々の暮らしを送らざるを得ない状況である。
政府から緊急事態宣言が発令され、よもや、こんな時代が訪れるとは誰も予想しなかったであろう。

そんな中、こんなニュースが舞い込んだ

ローマ教皇フランシスコは8日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大について、環境危機を無視し続ける人類に対する「大自然の反応」の1つとして警鐘を鳴らした。
https://www.cnn.co.jp/world/35152106.html

新型コロナウイルスは「環境危機に対する大自然の反応」・・・らしい。
人々の反応は賛否両論。
まあ、そりゃそうだ。
そう言われたら、そうかも知れないが・・・
でも、その根拠は?
と、問われたら答えに窮するだろう。
大自然が「環境危機に警鐘を鳴らすために新型コロナウィルスを拡散させたのだ!」と言ったのだろうか?大自然の声を聞いたのだろうか?
そもそも大自然に意志はあるのか?
大自然に人格はあるのか?
大自然とは神?

新型コロナウィルスの発生源は、中国湖北省の武漢にある海鮮市場、同じく武漢にある中国科学院武漢ウイルス研究所、武漢市疾病予防コントロールセンターの研究施設などの説が挙げられている。

新型コロナの発生源は? 真相究明求める声 世界で広がる | NHKニュース
【NHK】新型コロナウイルスの発生源に関して中国の武漢にある研究施設から広まった可能性がアメリカで指摘される中、オーストラリアのモ…

もしウィルスの発生原因が人為的なものだとすると、大自然が人の行動を操りウィルスを発生させたことになる。
大自然とは思惑と計画性を持って人の行動に影響を及ぼす能力を秘めている・・・ということか?

こんな話をすれば、まるでSFか漫画の世界のようで、余りにも現実を無視した非科学的な提言だと一笑に付されても仕方がないだろう。

でも、1つ確かなことがある。

わたし達人間は、自分以外の意志により、この世に生まれ、生命活動を行っているのである。

少し考えれば誰でも理解できると思うが、あなた、自分の意志でこの世に生まれて来た訳では無い。
あなたの両親が望んだから?
いや、望んでも、望み通りに子が授かることはない。
そう、まさに子は天からの授かりもの。
いくら両親が望んだところで、両親が命を生み出し、十月十日胎内で体を造り上げる訳では無い。
全て自然による力だ。
自然の力が、60兆個の細胞で構成され、複雑怪奇な構造を持つ人体を造り上げる。
はじめて、この事実を知った研究者は間違い無く、こう思っただろう。
「おお、神よ!」
そう正に神技。
人体は神秘の一言に尽きる。
世界有数の頭脳を持つ、iPS細胞研究所の第一人者、山中伸弥教授にしても「人体は神秘」なのだ。

エラー - NHK

そもそも、何故、人間に心があり、意志があり、思考する能力があるのだろうか?

偶然に心、意志、思考を持つと言うのだろうか?
突然変異的に発生したと言うのだろうか?

そんな馬鹿な!

人間を誕生させた、その土壌に、その元に、心という要素が無ければ人間に心が備わる道理がない。
ビッグバンが起こり宇宙が誕生する以前に「宇宙を誕生させ、人間を創造する」という意志がなければ、宇宙も人間も存在し得ない。
寸分の狂いなく運行され地球という星を存在させ、恵みを与え続ける宇宙。
青空を見れば美しいと感じる目、風の囁きを聞けば心癒やされる耳、水・食べ物を食すれば美味しいと感じる舌、家族や友人と楽しく語らう口・・・無限に喜びを感じる五感を持ち、自然はその五感に無限に恵みを与え続ける。

こんな都合の良いことが偶然起こっている?
まさか!

何者かが緻密に計画し、恐るべき神秘の能力で実行し続けなければ、人間が存在することなど有り得ない。それが何者であっても、こんな神技を有する力の持ち主を、わたし達はこう呼ぶしかない。

まさに神!

そして、その神が人類を創り、今、新型コロナウィルスを創り、世界中に蔓延させている?
神の意図は?

それを知るには、そもそも何故、神が人間を創造したのか?
その意図まで遡る必要がある。

中山みきが語る天啓の言葉に、神が明かした創造の意図が述べられている。

人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむため

こんな単純な理由、創造主の一方的思惑により人間世界・・・この大宇宙が創造されたというのだ。

これも馬鹿馬鹿しいと一笑に付することも出来るが、人間自身、陽気ぐらし・・・つまり陽気尽くめ、喜び尽くめで暮らすことは一番の望みであり願いだろう。

誰だって、喜んで暮らしたい。
誰だって、自然災害ではなく、自然の恵みを受けて幸せに暮らしたい。
誰だって、与えられた命をとことんまで全うして生き抜きたい。

それほど、命は輝き、生きることは喜びに溢れている。

だが、今回のように、たった1つのウィルスの猛威で、世界中が混乱に陥り社会生活が脅かされ経済活動も停滞すれば、人類が望む「幸せ」は脆いバランスの上に成り立つ「奇跡」だったと思い知らされる。

そう奇跡なのだ。

宇宙の存在、人間の誕生・・・まさに奇跡としか言い表せない。
人間が毎日、目が覚め、思い思いに生活している現実は、まごうことなき奇跡なのだ!

その奇跡に対して、人間は余りにも鈍感。

当たり前に奇跡を享受している。

当たり前ということは「喜びが無い」・・・ということだ。
「喜びは無い」ということは、創造主の思惑に反するということ。

だから人間に罰を与え、警鐘を鳴らす?
それは違う。

これは神の仕業ではない。
人間の心通りの結果なのだ。

もし新型コロナウィルスが神の仕業なら、何もそんな面倒くさいことせずに、直接人間の前に現れて、「こうしなさい、ああしなさい」と生活指導をすれば済む話。

なぜ、神はそれをしないのか?
いや、神には出来ないのだ。
神が勝手に形を操作する「理」はないのだ。

人間創造の諸元に、神は自らの魂を分けて人間の本体とし、その魂に「体と全宇宙を貸し与え」、そして魂が有する「自由の心」に対して、「心通りの守護」を与えると「理」を定めたのだ。

全ては心通りの結果において、今、わたし達は世界の混乱を目の当たりにしてる。
このように事態が世界規模の場合、世界中一人一人に対する「心通りの守護」であり、それを治める責任も、またそれぞれの心1つにある。

新型コロナウィルスによる混乱した世界を見れば、今まで普通に暮らしていたことが、どれだけ奇跡で、どれだけ有り難く、どれだけ喜びだったか、思い知るだろう。
それでいいのだ。
その喜びを感じるだけでいいのだ。
その喜びを忘れなければ、事態が終息した後も「幸せ」を噛みしめて暮らしことができるのだ。

新型コロナウィルスの終息、それもまた「心通りの守護」。
ウィルスの拡散が終息する、その臨界点こそ、わたし達一人一人の喜びに掛っている。

神の奇跡、神の与えた生命への賛歌、命あることの喜び。

わたし達一人一人が一丸となって神の奇跡に喜びを運ぶのだ!
その喜びが「心通りの守護」となる臨界点に達するまで。

わたし達が「魂の喜び」を取り戻すまで・・・。

 

コメント

  1. 坂井明久 より:

    これは神の仕業ではない。
    人間の心通りの結果なのだ。
    もし新型コロナウィルスが神の仕業なら、何もそんな面倒くさいことせずに、直接人間の前に現れて、「こうしなさい、ああしなさい」と生活指導をすれば済む話。

     これは嘘である。
     
     親神天理王命は、老女中山みきとして、直接人間の前で、「こうしなさい、ああしなさい」と生活指導もした。精神の指導もした。天理の常識も教えた。

     だが神がそんな面倒くさいことをしても、信者や中山みき周辺は、まるで従わなかった。
     そういう人間の変質に、親神は、天罰を行う手段を用意していたということだ。

     理がわからなければ神はわからない。無理という。そこで、理を教える親神は十柱神。
     詳細に、きちんと解説する。誤解は、指摘しておく。なおすことだ。天罰が来る。
    おやの残念はここにある。

    イエスがそうであったように罪人と扱われ、世界中に実在する谷底の者への権力に蹂躙される非道な扱いのひな型として、獄舎にて89歳でろくな飲食も与えられず、厳寒の真冬に夜具一つ与えられず、錫にて打ち続けられて眠らせず、「真の神ならば、この程度なんでもなかろうと、偽の神め」と、蔑まれた中山みきは、百人の内の唯一人の正義として、99人悪の社会での悲劇をお通り下さり、その哀れな老婆の姿はこの残念は晴らさずには置かん。この世界中に、何にても、神のせん事、構わん事は、更になし。何時、どこから、どんな事を聞くや知れんで、を示すものであった。人間は神の子である。みきの子である。神になる。
     みき誕生は1798年、イエスの誕生はBC3年12 月~BC2年とされる。BC2年をイエスの誕生と数えれば中山みきは弥勒(36)の数理1800年でこの世に出現した。弥勒菩薩である。イエスの受難は権力側からの暴力でありみきもまた同様に暴力で扱われた。
     それは人間の成人における人類史にふんだんにあった高山の横暴であるが、人間において神仏をあると信じて願う精神がなければ、神仏はいないも同然であり、神仏は神仏自身が神仏の存在証明と、神仏の理の働きを実年数で現し、人類に示す。
     月日は空間的にも時間的にも神だ。
     明治7年(1874年)みき執筆の筆先3号に、『 しかときけ三六二五のくれやいにむねのそふぢを神がするぞや (3-64)」と、3625のくれあいに神の胸の掃除があると知らされている。
      三六とは3・6で弥勒の理を意味する。二五とは5の二乗で五つ理いふくの事情を意味し
    数理でいえば3×6で1800年で1798年、中山みき誕生、2×5で100年1898年である。みき没後の某布教師(坂井の師宮島佐太郎の師の事)を追放の天理教団は、こともあろうにみきを拷問した明治維新政府にすりよりよるべく、天理教別派独立運び方の願いを、みきの代弁者である本席に伺う。恩知らずの大教会初代たちである。
     日本国民を皇教の下、軍事体制に組み込んでいく維新政府に追従した天理教団幹部とは、五の二乗、神の立腹事情で不幸を見るが、25年後1923年、日本に関東大震災が起る。

     天理教団はみきを神として拝せず教祖として拝する悪人の集団ということで、偽天理教。
     1886年の神の言葉、 善悪分けに、世界の人百人、例えば九十九人まで悪、一人だけ善、一人の善が強いか悪が強いか、 これは天理教団の姿、社会の姿をそのまま示します。

     数理126年の2013年夏は全国的に平年より気温が高く、全国927観測地点のうち125地点(タイ記録も含めると143地点)で日最高気温が観測史上最高を更新している。このように正月26日の数理は、神の返し予言の数理で以後太陽変動の推移で天災は神の掃除となる。
     天の将軍であると宣言した1838年12月12日から126年の数理の年、1964年7月山陰北陸豪雨で、特に島根県出雲市では山崩れや崖崩れが相次ぎ100人以上が死亡するなど、死者・行方不明者132人、損壊・浸水家屋58,000棟以上の大きな被害となった。気象庁はこの一連の豪雨を「昭和39年7月山陰北陸豪雨」と命名した。昭和39年台風第20号は、台風の進路の東側に当たった兵庫県西宮市や相生市などでは、高潮によって住宅が浸水被害を受けるなど、全国で死者・行方不明者56人、浸水・損壊家屋110,000棟以上という大きな被害がもたらし、当時は東京オリンピックの開催を10月に控えていたため、オリンピック開催への影響が懸念された。同じく正月26日の数理1964年(昭和39年)6月16日13時1分40.7秒、新潟県の粟島南方沖約40km(北緯38度22.2分 東経139度12.7分 深さ34km)を震源として発生した新潟地震は、地震の規模はM7.5(Mw7.6)日本の歴史上、最大級の石油コンビナート災害をもたらした地震で、143基の石油タンクが延焼し、その火災は12日間続いた。
     天災は宗教的に天の将軍であるとの宣言に対し、受け入れなかった事への返しであり、防災はみきを、釈迦、イエスを、天照大神を、古神道の神々を、正しく受け止める事である。 
     縄文以来の、知恵の果実におごり高ぶる大社高山の誤りから、神を信じる心を失えば天はお怒りになる。天災とは、そのようなものである。ただ数理だけは数えておいた方が良い。

     みきは1841年、おびやためしにかかる。これは出産を原因の女性蔑視に関わる。おびやためしは流産の事情であったが、正月26日の数理の1967年は異常気象が続いた年で、年始の寒波、春先の高温多雨、5月から6月の異常渇水、それに続いて梅雨期は6月末から7月上旬の短い期間、そして7月以降はまた渇水・干ばつとなり、8月には羽越豪雨が発生している。更にこの年の台風は39と歴代最も多い年であり、昭和42年台風第34号が10月28日に日本上陸、と気象記録が残る年である。昭和42年7月豪雨の被害は24府県に及び、死者行方不明者は350名を、建物被害は30万戸を超える大惨事であった。羽越豪雨は8月26日から8月29日にかけて発生した集中豪雨で、羽越水害とも呼ばれる。主に山形県と新潟県下越地方を中心に被害が発生。死者104名を出す大きな被害をもたらした。通常過去最悪の洪水を基準として計画高水流量が定められるが、羽越豪雨ではほぼ全ての河川においてその計画高水流量を突破する洪水を記録した。 社会の弱者は為政者、権力者に虐待されている。為政者に勝手をさせないための天災は太陽活動と磁場により天から与えられ、現在の異常気象の原因でもある。
     今見た通りだ。
     やまいと宗教の観点に話題を戻そう。遺伝子変異現象の素「ほうそ=感染変異物質」は人間の有する不老不死の遺伝情報を覚醒させる。「ほうそ」は進化の為に不可避である。
     みきはほうその許しだすと告げている。神仏は許すのであり、当然有害ではない。
     体内での、不老不死への進化の遺伝情報の覚醒は、神仏の不思議な助けであり、世界に不思議なたすけ場所があるが、それは世界の拝礼場所であり、聖地であり、神の地。ぢばとして放射線から防御し「ふしぎなたすけ」は「ぢば」限りである。ぢば、磁場は、それは国々所々にある。みきの説くぢばとは天理教会本部所在地は一例である。世界中に磁場はある。「元初元始まりに、人間を宿しこんだ地点をぢば」というとの表現は、人間という磁性体は磁性体として宿し込まれ生まれ進化することを示している。
     天の川がいざなみの命いざなぎの命の故郷である。神仏は天理教の立教(7×7=49,天地創造の二乗の事)から、教えが身につく、三つ身につく3年の数理で、生命をびやためしの開始としている。遺伝情報の覚醒には神仏の意志の理解が必要で、聖書の説く生命の樹への信心が大切となるを必要とする。
     「かう」とは、信仰組織は講社、講、教会などと教団教理はいうが大変な誤解で、みきの教えに言う「かう」は効能の「効」であり、やまい助けの効能のことである。
     信心するということは、人は必ず死ぬと教え込まれ、生命の樹の果実を否定した現代社会にいたら、不老不死を説いて信心するということは、あり得ない話だと人の誹謗中傷の的になる。そういう心の迷いには、病気は治せないと話にならない。
      そこでみきは病助けを「さづけ」として渡しているが、やまい助けは信仰組織を作った結果として、「かう」とは、講社、講、教会設立の手段と大変な誤解がはびこり、教会つくりましょう一色で、欲に迷い込んでは、甘露の教えの本義である不老不死もほうその教理を誰も説かない、説けない、解けない偽天理教団。 中身が空(から)という意味で唐人である。

     天理教開始1838年から正月晦日(130年)の数理は1968年であるが、天理教は教団が教えを理解できなかったので、ほうその許しに至らず130年後に感染症の大被害を招く結果をみせた。
     香港かぜでは 1968年 から翌年にかけて少なくともおおよそ50万人が亡くなったと考えられる。また、アメリカでも500万人の罹患者が出ており、33000人が亡くなった。この流行ではH3N2とH2N2の両方がトリインフルエンザと共通する遺伝子を含んでいたとされているが、これはほうその理の無理解が露呈したと言える。
     偽天理教は全人類の大災難の元である。
     みきは「子供の成人」と説いたが、人と成る。不老不死の人となるのが成人であるとの理解は、天理教の人材の坂井以外には理解できたものがいないから、許しなきほうそである。
    [晦日の数理130]であるが、 130年は数理13でイエスにおける13の数理を土台とし、天理教立教は1838年⇔ 130年の数理1968、1968年感染症大流行。
     このように実数で数理は成立する。
     みきにおける宮清めは、みきの長男夫婦の不心得に対して感染症で実行された。
     みきの宮清めは「屋敷の掃除」と表現されて、預言の書お筆先第1号にかかれている。ここに正月みそか数理の記載があり、筆先第一号は1869年に執筆され、「一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて(1-39)」の予言がある。
     商売をしていた長男と内縁の妻だったが、中山家から送り出し、出された妻は疫病で死んだ。筆先の文言の意味は数理130年で送り出すという意味で、130の数理を基本は「正月晦日の数理」と呼ぶがイエスキリストの13階段の数理であり、審判の数理である。最後の審判とは信仰組織が権威付けにそう呼ばせているが、12+1であり、12で完成された人間の究極の最後の一段の+1進化の事と基本的に理解する。
     甘露の門の入門で不老不死の入り口であるのが正月晦日の数理の意味とみきは「言わん言えんの理」で和歌で歌って示している。
     それに関して1869年、ショウジョウバエの1本の染色体上でこの遺伝子に操作を施した場合、ショウジョウバエの平均寿命が37日から70日に延びることを確認した。電磁波照射での種なしスイカの製造技術と共に、原因は分からないが、「遺伝子には電磁波が影響し得る」「遺伝子の突然変異にて寿命が倍になる」という、科学における甘露の門の門の解説が可能となっている。磁場とは電磁波の場である。寿命伸ばしの場である。ぢば。ゆえに、コロナ変異ウイルスは不老長寿への先駆的情報であると理解する。
     甘露の門は釈迦の教えにある「極楽浄土」への門のことで、科学は愚かにも、神仏の予言を迷信と排除した。肉体上では動物である人間には、概日リズム(体内時計)をつかさどる遺伝子群を指す「時計遺伝子」が存在する。そこに影響するのが電磁波で、みきが働けば長生きの変異遺伝ウイルス誕生である。磁場をつかさどるみき、十柱の神。理をわかることだ。

     細胞増殖を変化させる変異は正常細胞に常に起ると科学が掌理し、1869年から晦日の130年は1999年で細胞の突然変異を知らずの進化に対する無知が終了した。
     2000年から新たな人類史が開始されたということである。
     今回の新型コロナウイルス感染症の予言に、正月三十日(130年)の数理が用いられたが、そのもとはイエスは日付13日と13階段で13日の数理を示し、最後の審判の行われるを期間の締め日と見れば、人間の成長段階の締め日が13日の数理である。イエスには感謝である。

     そして、13の2倍の26で、26日に始めかけるの宣言があり、13階段を昇りつめ13日の金曜日にイエスは処刑され昇天していて、1800年後には、みきは正月26日に身体冷たくなりとなった。13と26の数理の関係は、イエスは復活しみきは存命となった。13の数理でイエスの一区切りがつき26の数理でみきの一区切りということである。当然13×3の39があるを待つ。
      正月晦日の数理と病助けの関係だが、文久2年(1862年)みきは安堵村(大和郡山市)の危篤なる病人を助けに行くことがあり、文久3年1863年飯田岩次郎という子を助けている。
    当時は漢方の医薬であって、みきは医者薬はいらないとしたと誤解が伝わり、その誤解原因は飯田岩次郎の父善六が漢方薬を川に流し捨てたとされるにある。文久2年(1862年)からの正月晦日の数理130年は1992年で、68372人は1992.1~1994.8、の期間で、溶連菌感染症 が日本に大流行した。患者が発生、患者は岩次郎のような5~9歳55%,10~14歳8%に発現した例となっていて、神の立腹であるが、この時は、ペニシリン系抗生物質、セフェム系の抗生物質による治療で医学は効果を得た。抗生物質とは 微生物が産生し、ほかの微生物の発育を阻害する物質と定義されるが天然起源の抗生物質の効能をみきは否定していない。 
      文久2年(1862年)は、コレラで、江戸だけで7万人(各寺の報告では24万人)が死んだという。コレラのことは筆先では「ころり」と書く。感染症が西洋医学の黄帝思想をコロリと変えてしまうという意味で、医学を変えてしまう意味でころりと呼ぶ。とふじんコロリは明治7年の筆先にある。正月晦日の理で神は感染症で秀司の妻を死亡させた。その130年後に、経済優先の象徴に天災を生じさせ1999年9月30日茨城県東海村ウラン加工工場JCO東海事業所に事故が発生した。感染症による死亡と原子力関係事業の事故は、みきの返しを典型的に示している二種類の災害である。先ず明治2年に埃の者の掃除は感染症で神はなしている。
     人生における経済中心を神が否定し天罰の手段は感染症である。イエスに先立ち、不老長寿への道筋があると釈迦は示し、それが弥勒3時、五五百歳であり、継いで人間に天国への道があり13段という道の後には最後の審判とイエスが説く。13段階の成長後にである。心の中身が空虚(から)の者をとふじんと筆先では書いている。ここに天理教立教の理由がある。

     とふじんとは唐人の意味も兼ねて持ち、中国で最初の皇帝は黄帝であり、人民に医術を教えた最初の皇帝で、中国では黄帝を漢族の祖先とする、つまり唐人である。権力の世界で最初の皇帝は始皇帝であり、「不老不死の薬」を探せと命じている。医薬の効能により不老不死を得られるとする考え方は、唐人・黄帝、始皇帝のもので、釈迦の開かれる甘露の門を、医者薬の力で開けようとの不心得者である。大社高山の元祖そのものが始皇帝である。
     東京築地に外国人居留地が開かれた明治2年(1862年)にの筆先には、にほん(日本) から(唐)、 とふじん(唐人)のことは第2号に理が語られて 神の怒りが伺える。秀司の内縁の妻がみきから正月晦日に送り出され感染症で死んだ明治2年の予言である。以下に示す。
     『 02.31 これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい』
     『 02.32 とふぢんがにほんのぢいゝ入こんで まゝにするのが神のりいふく』
     『 02.33 たん/\とにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり』
     『 02.34 このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる』
     『 02.39 めつらしいこのよはじめのかんろたい これがにほんのをさまりとなる』
    『 02.46 高山のにほんのものととふぢんと わけるもよふもこれもはしらや』
    『 02.47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで』 と。
    日本には縄文以前からの(もんかたない時からの)健康法があった。という事で、本来の
    人間は不老不死の能力を有する。つまり「かんろたい」であるが、中国黄帝思想はそれに無知であり、薬物で不老不死を得られると誤解していて、それを問う(探求する)が、欲高慢に堕落した不老不死の追求である。
     更に、西洋の医学は実は植民地支配の武器であり、最初は土俗の薬草など民間療法を否定し西洋医学の恩恵を与え、次に支配に従わぬ者には医療提供しなくする。日本でも優秀な和式漢方が存在していたが唐人の西洋医学が入り込み一時排斥された。
     医療は神仏の加護という日本の普通は、明治維新で欧米医学により排斥されてしまうかの危機を迎えた。だが、人間は神の体であるというめつらしいこのよはじめのかんろたい信心をみきは説く。薬師如来に由来する日本の医学は縄文前も含めての根深い健康増進法であり、価値がある。明治7年(1874年)執筆の筆先第3号には上たるが世界をままにしたとみき立腹である。医療による恩恵で世界支配の思想は、医療を武器に用いる支配者を生む。『 03.57 高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく』『 03.058 上たるハだん/\せかいまゝにする 神のざんねんなんとをもうぞ』、である。 

     細菌による世界の統一という視点で『ウィキペディアにて感染症の歴史を確認すれば、コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス、黄熱などが、侵略行為で、ユーラシアとアフリカからアメリカ大陸へもたらされ、免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減した事実が見える。またヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、1545年から1548年にかけてのメキシコ(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民(インディオ)の約8割が死亡した事実がある。米国ではインディアンは虐殺ではなく主に伝染病で死んでいった。この事実が示すように防御手段のない病気で先住民を殺す手法は欧米人の普通である。上たるハだん/\せかいまゝにする とは、細菌による世界の統一を意味している。上たるハとは、国体形成の国家の更にその上で上(かみ)とみきは呼んでいる超権力の上が歴史上、毒を飲ませ、支配に従う者には解毒剤を与えた手法は、神のざんねんである。
     だからみきは感染症でやり返す。従えば治すこと。従わねば治さないの返しである。

     日本では加持祈祷など呪法による病気直しがあったが、明治6年それは禁止された。人体(
    かんろたい)には、遺伝情報の中に不老長寿情報が眠っているを否定する行為であった。
     加持祈祷もまた遺伝子情報を覚醒させうる。その否定はまさに人の長生きの妨害である。
     「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)」が正月晦日の数理にあたる1999(平成11)年4月1日より施行されたことは、みきにとり政治権力、医療権力の行った経済的利益目的の重大な悪事とみなす立法だから、2000年以後の磁場を変える。
     磁場が変われば医療崩壊。となる。1869年お筆先1号の25,26,27のお歌に最初の予言がある。 「1.25 やまいとて 世界並みでは ないほどに 神の立腹 今ぞ表わす 「1.26 今までも 神の云うこと 聞かんから 是非なく表て 表わしたなり」「1.27 こらほどの 神の残念 出てるから 医者薬も これはかなわん」。この和歌三首、これが神の残念の医療崩壊宣言である。
    、医者も薬も対応できずみきの長男の内縁の妻は感染症で死んだ。
     正月晦日の理で130年の数理で誕生した感染症法は神が立腹はしている。理由は単純で、感染症法の対象となる病気は、筆先『1.19 この先は 上たる心 段々と 心しづめて省くなるよう』『1.20 この和睦 難しいようにあるけれど 段々神が守護するなり』と、みきが立腹しての、感染症の返しであるからで、神の残念が医者や薬で対応できる程度なら、唐人を省くこと、和睦は出来なくなるから、平和を実現させるため、神仏に従わねば治らない病気の感染症を発症させた。その時先ず病助けを教えたのは感染症対策は神の領域だからだ。
     筆先は、神仏が治す医療で治らないと、神に従わせる病気、感染症を出すと予言である。
     明治7年(1874年)みきは筆先6号に「このさきハどのよなほこりたつとても これをやまいとさらにをもうな(6-76)」と塵芥(ほこり)が原因の呼吸器障害を病気と思うなと告げた。
    同年に「このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく」(6-91)と告げているもいる。正月三十日の数理で130年後の2004年日本でSARS,中国でSARS大流行である。

     明治8年(1875年)みきは筆先6号にて、「むまれこふほふそはしかもせんよふに やますしなすにくらす事なら (6-110)」と、ほうそはしか(感染症)なき不病不死を告げたが、不老不死を告げる時その電磁波を用いての人間遺伝子情報への仕掛けの副作用を教えている。
     「このはなしなんとをもふてきいている てんび火のあめうみわつなみや (6-116)」
     「こらほどの月日の心しんバいを せかいぢうハなんとをもてる (6-117)」
     「たん/\とくどきなけきハとくけれど しんぢつなるの心たすける (6-118)」
     「どのよふなものも一れつハかこなり 月日の心しんばいをみよ (6-119)」
     「とのよふな事をするのもみな月日 しんぢつよりのたすけ一ぢよ (6-130)」と警告、
    天日(太陽)、火の海(太陽フレアーと、海の津波が心配しだと、具体的に災害を示した。
      明治8年の正月三十日の数理、イエスの審判の数理13において、2005年である。
      「うみは津波」は具体的には2005年スマトラ島沖地震 に、大津波となってと現れた。
    2005年 3月28日 16時9分36秒 ( UTC 、現地時間 午後11時9分36秒)に スマトラ島 沖で発生した地震である。当時スマトラ島沖ではイラクの油田を全く無用としてしまうほどの大油田が発掘され、米国を中心に、西側諸国、日本も加わり油田施設づくりの最中だったが構想も施設も全て潰された。米国経済の凋落の開始であった。叩き潰したすけ一ぢよをした。
    津波は強力な太陽フレアが地球の磁場を混乱させることに深く関係ある災害で津波により海水が動かされると、上から貫く地球磁場Fのために起電力Eが生じる。この現象はファラデーの電磁誘導の法則と呼ばれ、発電機の原理になっているものだ。 津波は電磁石の性質を持ち、電流Jはさらに誘導磁場bを発生させ、津波(電流)を中心にして磁力線が空中に広がる。地球という大きな磁石において、津波は発電機となり発電しながら津波そのものが電磁石として一定の方向に突進する。「てんび火のあめうみわつなみや (6-116)」の予言は歴史事実として130の数理で正月三十日に相当する2005年に発現していた。これが磁場の変化に由来していてスマトラの大油田を壊滅させ、米国のエネルギー拠点に対しても『このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく (6-91)』の月日立腹を見せられる。正月晦日の2005年8月26日、ハリケーン「カトリーナ」が米国フロリダ州に上陸。8月29日にはカテゴリ4の強さでルイジアナ州ニューオーリンズに再上陸。政府の対応の遅れから約1,200人の死者を出し、ニューオーリンズでは、取り残された市民により略奪が発生。避難先でも、感染症や衰弱死、性犯罪などが多発する惨状となり、9月24日 最盛期の強さが「カトリーナ」を上回るハリケーン「リタ」が米国南部に上陸(上陸時の強さはカテゴリ3でカテゴリ4で上陸した「カトリーナ」の方が強かった)の状態でとなり、スマトラの油田を壊滅した月日は米国石油生産施設にも立腹を示した。津波は強力な太陽フレアが地球の磁場を混乱させることに深く関係ある災害で、津波により海水が動かされると、上から貫く地球磁場Fのために起電力Eが生じる。この現象は発電機の原理になっているものだ。

     この仕掛けに「神楽つとめ」を行った、みきの芸人根性を、坂井は手本とする。

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