心を意識的に使うことで運命は180度転換する。

魂の視点魂の視点

心を意識的に使いながら日常生活を送っている人は少ないと思います。

大切なお客様に合う、ミーティングに参加する・・・など特別なことがあれば自分が使う心に対して意識的になるでしょう。

普段は横柄な人も、大切なお客様の前では謙虚に振る舞えるのは、自分の横柄な態度でお客様に不快感を感じさせないよう意識的に心を使っているからです。

・・・ってことは、横柄だって自覚はあるのね?

うるせー!

でも意識的に心を使えば謙虚に舞えるなら、ずっと意識し続ければ『愛されキャラ』になれるわよ。

やだよ!意識的に心を使うと疲れるだろ!

心は自由気ままに使うから楽しんだよ!!

・・・。

それが嫌われる原因なのに(心の声)

いや、聞こえてるし!(怒)

確かに意識的に心を使うと疲れますよね。

お店のお客様や会社の上司などに接する場合、様々なことに意識する必要があるので心労が溜まってしまうのです。

でも心労が溜まるってことは、あまり宜しくない心の使い方です。

自分が相手にどう見られるか?、どう思われるか?

自分のことばかり気にしている間は『我が身思案』の真っ最中。

『我が身思案』は『人間思想』の代表格であり、喜べない心の根本原因であります。

本人は相手を気遣っているつもりでも、無意識下では『自分がよく見られたい、よく思われたい・・・』など我が身思案が動機であれば、やはり心が疲れてしまうのです。

相手を喜ばせたい、喜んで欲しいと願う純粋な気持ちには心が疲れる要素がありません。

基本的に人間の体は・・・

喜びの心は、体を元気溌剌(げんきはつらつオロナミンC)にし、喜べない心は、体を疲労困憊(ひろうこんぱい)にします。

体は心通りに守護されるので、喜びの心なら『体をもっと使わせよう』、喜べない心なら『体を少し休ませよう』と『心通りの理』が働くのです。

このまま喜べない心を使い続ければ、心が抱える重荷がいっぱいいっぱいになって、仕舞いには押し潰されてしまいます。

そうなる前に、神は『借りものの理』を一時的に預かり、体の動きを強制的に押え、心を休めさせるのです。

しかし社会生活を営んでいる以上、休んでいられない時もありますよね。

だからと言って無理を通しても状況は更に悪化するか、最悪の場合、過労死を招く恐れもあります。

こうなっては運命の悪循環

運命が悪い方へと転げ落ちてしまいます。

そうなる前に『三つの理』を駆使して意識的に心を使いましょう。

 

これまでは、喜べない心の蓄積が運命を悪い方へ転落させていましたが、意識的に喜びの心を使うことで運命を良い方へ180度転換できるのです

趣味やゲームなど、好きなことに『喜んでいる状態』なら心は疲れませんよね。

その『喜んでいる状態』を意識的に使い続ければ、心は元気、体も元気溌剌で、毎日を生き生きと楽しみなら暮らすことができるのです。

そんなこと・・・口で言うほど簡単じゃないぞ!

そうよね。
横柄な態度は心に染みついて簡単には治るはずないわ。

・・・・・。

その通りです。

横柄な心は、毎日の生活習慣によって培われ『心の癖』として定着したのです。

横柄、横柄、やかましい!

そこで毎日の意識的な訓練が必要になるのです

我が儘気儘な生活が横柄な心を作り上げたなら、今度はお客様やミーティングに参加する時のように、常に謙虚な心を意識し続ければ、必ず『愛されキャラ』否、喜びの化身、魂人間に生まれ変われるのです。

うーん、めんどくさい。

 

でも意識的に心を使えないということは、無意識下では我が儘気儘で横柄な心を使い続けているのですよ?

意識的・無意識に関わらず、心を使う度に運命を創造し続けています。

このまま横柄な心で、他人を嫌な気持ちにさせ続けるということは、『心通りの理』に対して『喜べない心の種』を蒔き続けているも同じです。

それでは『喜べない実』しか実りません。

『自分が使った心の理(この場合、喜べない実)』を収穫するのは自分自身の責任です。

どうせ自分に守護いただく『心の理』なら、意識的に『喜びの種』を蒔いて、『喜びの実』を収穫したいと思いませんか?

どうなの?

・・・おう

声が小さい!

へい!

・・・おう・へい!・・・(横柄)。

それって意識的?、それとも無意識?

まあ、そういうことで・・・

心を意識的に使うことで運命は180度転換するのです

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