『人間の思想』と『神の思想』の違いとは?

神の思想と人間の思想の違いとは?魂人間の概要
神の思想と人間の思想の違いとは?

『魂人間』は『神の思想』を基軸に思考します。

『魂人間』以外の人は『人間の思想』が思考の基軸です。

もし何か問題が起きて、心配・不足・心がざわつくなら、それは『人間の思想』です。

『神の思想』は『人間の思想』とは真逆の発想。

 

『人間の思想』:その思考方法とは?

『人間の思想』の思考方法を一言に説明するなら「形を元に思考する方法」と言えます。

『人間の思想』に『神』は存在しません。

『神』知らず、『神の思想』を知らず、『三つの理』を知らなければ、否、知っていても用いなければ無ければ、それは『人間の思想』です。

『人間の思想』は人間自身が形を動かせると信じて疑わず、結果を見るまで善悪の判断ができない『一寸先は暗闇手探り』の思考方法。

それゆえ、常に結果(形)に対して、心が木の葉のごとく翻弄され、気持ちの浮き沈みを繰り返すのです。

要するに『心に主体性』はなく、喜びも形(結果)次第、運任せ、運命次第。

『神』を知らないと言うことは致命的です。

『神の思想』を知らなければ自分の身は自分で守るしかありません。

もちろん、神を知っても知らなくても『心通りの理』は公平にいただけますが、神を知らなければ『形(結果)』の意味も解らず、物事を頼りない経験と知識だけで判断する他ありません。

それは非常に危険なことです。

『人間の思想』にとって『形を守る』ことが『自分を守る』こと。

そのため財産を蓄え我が身を守ることに一生懸命になるのです。

 

潤沢な財産があれば・・・

もし病気に掛かっても高度な医療も受けられる。

衣食住も最高レベルを確保することができる。

子供に最高の教育を与えられるし、様々な将来の不安に備えることができる。

 

しかし形は諸行無常、常に変転し固定されることはありません。

人間が使う『心の理』のまま『心通り』に自由自在に姿形を変えるのです。

 

一流企業に就職してたら会社が問題を起こし倒産した。

財産があっても不治の病で寝たきり・・・何の楽しみもない。

子供が有名大学に進学したが、不祥事を起こして人生を棒に振った。

 

人生とは人間の計画通り、思い通りには成らないもの。

人生が思い通りに成らない』ということは、『形が思い通りに成らない』ということ

そして、このように『形が思い通りに成る』と信じているのが『人間の思想』なのです。

 

形が思い通りに成ると信じている『人間の思想』

『人生が思い通りに成らない』のは、なにも不幸な面ばかりではありません。

 

三流企業に就職したが、思わぬ発明で世界有数の企業に成長した。

財産がなくても家族が優しく健康で、いつも笑いが絶えない。

子供はろくに勉強もせず世間のレールからドロップアウトした。しかし自分を貫きユニークな発想で大きな成果を残した。

 

これらは思わぬ喜び。

 

しかし「棚からぼた餅」という訳では有りません。

人生が思い通りに成らないのは当然なのです。

何故なら『思い通り』ではなく、『心通り』に成るのが人生なのです。

しかし一つだけ『思い通り』に成ることがあります。

それは『人間の心』。

心の中は自由自在、思い通りに形を描くことができますが、その『思い通り』の形が実現するには、その思いに相応しい心の理(実際に使う心)が必要になるのです。

つまり『心通りの守護』をいただいた時に、『思い』と『心の理』が等しければ『思い通り!』と感じることができるのです。

日々の生活の中では『思い通り』と感じられることが多々あります。

 

日常生活の思い

  • 歯を磨きうがいをする
  • 水を飲みご飯を食べる
  • 服に着替え学校や会社に出掛ける
  • 読書や音楽鑑賞に興じる
  • 布団に入り休む

 

これら日常生活の『思い』は『心の理』と等しいから『思い通り』に感じられるのです。

日常生活の『思い』を叶えるのに、特別な『心の理』は必要ないからです。

要注意!
日常生活で喜べない『心の理』が積み重なれば、日常生活の『思い』と『心の理』に乖離が生じ、その結果、日常生活の『思い』すら困難な状況を招く恐れもあります。

 

それでは、大きな夢・実現困難な目標の場合はどうでしょうか?

大きな夢・実現困難な目標を思い描くのは自由です。

しかし、その思いが『思い通りに成る』ためには、やはり『思い』に等しい『心の理』が必要になります

「億万長者」を思い描きながら「日々怠惰な生活」を送る・・・極端な例ですが、このように『思い』と『心の理』が乖離すれば、 決して「思い通り』とは成らず『心通りの人生』を歩むことになるのです。

これまで『神の思想』を知らずに生活してきた私たちの意識の中には、形が思い通りに成ると信じる『人間の思想』が根深く残っているのです。

 

『神の思想』が『人間の思想』を取り払う

もし何か問題が起きて、心配・不足・心がざわつくなら、それは『人間の思想』です。

『人間の思想』で問題に対処しても上手く行きません。

一見、問題が治まったように思えても、それは表面上に過ぎず、問題の根本的解決には至っていないのです。

問題の根が残っている限り、新たな問題は次から次へと発生します。

問題を生み出す根は、心配・不足・心がざわつく『人間の思想』。

喜べない『心の理』が種となって、『心通りの理』の畑に蒔かれ、『心通りの守護』により『喜べない実』がなる・・・。

問題を生み出す根は、自分自身の思想にあったのです。

もし何か問題が起きて、心配・不足・心がざわつくなら、直ぐに『神の思想』に立ち返えるのです。

『神の思想』に立ち返えれば、『人間の思想』は取り払われ『魂』を取り戻すことが可能です。

『神の思想』が心に治まると同時に『人間の思想』も静まれば、あなたは既に魂一つの存在

そう魂人間です。

『魂人間』として問題に対処して物事を『喜びの方向』へ軌道修正してください。

目の前の問題を契機に『自分の思想』を見直し、心配・不足・ざわつく心を、安心・満足・落ち着く心に逆転し、今、この瞬間から未来を喜びの運命に変えてください。

思想一つで人生は大変革を遂げるのです

 

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