『憎む』言葉の意味
先ず『憎む』言葉の意味を考えてみましょう。
にく・む【憎む】
① 嫌だと思う。不快に思う。また、よくないこと、あってはならないこととして、許しがたく思う。
② 非難する。反対する。
憎む心。
これは相手に批判的感情を持つ心。
自分の考えは正しく他人は間違っていると決めつける独善的な心。
具体的な事例
- TVやネットなどで、自分と違う意見を悪と断じて批判的になる。一方、自分の意見は信じて疑わず無批判。
- 罪人を憎む。
- パートナーの食事の作法、生活習慣等の違いを受入れない。自分は常識人、パートナーは非常識。
- 子供に対して親の常識・思想・感性を押しつける。子供の意見・感性を軽んじる。
TVコメンテーターの意見を聞いてイラッとすることがありますよね?
TVモニターに向かって『馬鹿か!お前は何にも解っていない!』、いえ、相手には聞こえていませんけど?まあ、それだけ理性を見失っている証拠です。
許しがたい犯罪なら憎まれるのは当然と思うかも知れませんが、同じ環境・境遇に立たされた場合、誰であろうと同じ過ちから逃れられない事実も知っておく必要があります。
酷い犯行に目を奪われ、犯罪者の立場に思いを寄せる気持ちを無くし、ただ反射的に憎しむ心を使うなら、他人を憎む環境・境遇を自ら造りだし、アナタ自身が罪人の道を歩んでいるも同じこと。
味付け・調理法の違い、洗濯・掃除手順の違い・・・お互い別々の環境で育ったわけだから、違いがあるのは当然です。それを自分の生活習慣の方が正しいと決めつけ、パートナーのそれを批判したら、パートナーを育ててきたご両親をも批判することになるのです。
違いがあって当然な『些細な生活習慣』でパートナーを批判して関係を悪化させているのは誰でしょうか?
そこまで自分が立派な人間なのでしょうか?
公共の場で子供が騒いでいても注意しない。
子供が他人から注意されたら逆切れする。
子供の前で平気で他人を侮辱し馬鹿にする。
子供が親の言う通りに出来ないと口汚い言葉で罵り、体罰を加える。
相手の気持ちを考えない自分勝手な振る舞いで子育てすれば、自分勝手な子供が育つだけ。
子供に『憎む心』を植え付けているも同じこと。
それは子供にとっても、アナタ自身にとっても最大の不幸です。
『憎む心』のデメリット
それでは『憎む心』を使うと、一体どんなデメリットがあるのでしょうか?
批判されて嬉しい人はいません。
批判されれば心が傷つき、相手を憎み返します。
『憎む心』と『憎む心』がぶつかり、終わりの無い『憎み合い』に発展して心を疲弊させ、最悪の場合は暴力沙汰の傷害事件にまで発展し、罪人に転落してしまいます。
一方、批判する側の面子は立つかも知れませんが、その時に蒔かれているのは間違いなく負の感情。
相手より優位に立ちたい。
相手をねじ伏せたい。
相手に負けを認めさせたい。
そんな感情が迸る間、喜びの感情は心の奥に追いやられます。
いつも人を憎んでばかりだと、自然に顔つきや雰囲気が恐くなり、人が近づき難くなるので、人の優しさに触れ合う機会が減少します。
異性も声を掛け難くなるので、必然的に出会いのチャンスを逃してしまいます。
『憎む心』は『憎む心』に引き寄せられるので、思わぬトラブルに巻き込まれる危険もあります。
『憎む心』は当然、メリットは無くデメリットしかありません。
正論は『憎む心』と同義?
『憎む心』の特長として『正論』が挙げられます。
『正論』は何も問題ないと思われるかも知れませんが、『正論』は本人とっての『正論』であって、絶対的正論ではありません。
自分が勝手に『正論』と信じ込んでいるだけで、他人から見たら『暴論』かもしれません。
殆どの場合、『正論』を根拠に他人を判しているのです。
こちらが幾ら『正論』を投げても、相手は相手の『正論』で投げ返してくるだけで、何時までたっても終わりなき『正論』のキャッチボールが続きます。
キャッチボールと言っても投げるのは相手を傷付ける刃物です。
『正論』と言う名の刃物で、相手の心を傷付け抉り合う光景は、他人から見たら醜く大人げない子供の喧嘩に過ぎません。
寿限無も若い頃、他宗派の方とお食事をした際に、教義の内容を質問しながら道理として認められない部分を批判的に指摘したことがありましたが、相手が信じている以上は相手側の『正論』なのです。
寿限無が幾ら教義の矛盾点を指摘したところで、こちらはこちらの『正論』を投げているに過ぎません。
何故なら、こちらも自身の考えを『正論』と信じているだけで、その信に値する根拠を示せるかと言えば、口先だけで偉ぶりたい若造の暴論・・・寿限無、若気の至りシリーズ・・・なのだから。
『憎む心』を回避する方法
こんな『憎む心』は誰だって使いたくないですよね?
しかし、無意識に『憎む心』と気が付かないまま使っている人が殆どです。
それでは『憎む心』を回避する方法はあるのでしょうか?
はい、もちろん御座います。
先ず、『憎む心』に気が付く必要があります。
他人から憎む心や批判的感情を向けられた時、反射的に『憎む心』を返さずに、相手の言葉・思いを受け止めてください。
いくら自分は違うと言い張ったところで、相手の目には『憎む対象』として映っているのだから、その目に映る自分を変えなければ、この場は穏やかに治まらないのです。
相手を『憎む心』にさせたのは変えられない現実なのだから、その点に関しては素直に謝罪し許しを請いましょう。
誠実に謝罪すれば、相手の目に映るのは誠実なアナタの姿。
誠実な人間に対して悪感情を持つ人間はいません。
それでも治まらずグチグチと文句を言われても、相手の気が晴れるまで大人しく受け止めてください。
それで、もし更にエスカレートして、こちらの不利益(セクハラ、暴力、金品要求)を迫られた場合、第三者に助けを求めるか、法的機関に委ねてください。
ここで大切なのは決して『憎む心』で対処するのではなく、飽くまで理性的に対処することが必要です。
せっかく相手の『憎む心』を受け止めてきたのに、最後で『憎む心』を使ってしまえば元の木阿弥。
相手の『憎む心』を受け止めるのはハッキリ言って難しいです。
こちらのプライドも傷付けられるし、言いたい放題に理不尽なことを言われたらストレスが溜まります。
それでも『憎む心』を受け止める理由は?
『憎む心』の連鎖をアナタ自身の心で終わらせるのです。
『憎む心』で『喜べない種』を蒔かずに、優しく思いやりのある心で『相手の心』を受け止めましょう。
その時、間違いなくアナタは『喜びの種』を蒔いているのです。
それと同時に、相手の立場に寄り添う思考の練習も行えます。
常に相手の立場に寄り添う思考を練習を行うことで、反射的に発生する『憎む心』を回避できる様に成ります。
まとめ
相手の立場に寄り添って思考することは、自分自身を高め成長させる有効手段です。
狭く凝り固まった自分の視野を乗り越えた広い視野で世界を眺めたら、今まで気が付かなかった沢山の喜び、沢山の感動に出会う機会が増えます。
『憎む心』を、『相手の立場』を思いやる優しい心に変えて、喜びの種を沢山蒔いてください。
『相手の立場』を思いやり優しい心で暮らしていると、周りから沢山の思いやりと優しさを貰えるようになり、益々幸せ度がアップすること保証します!
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