神様の守護、神様の守護って言うけどさ、結局、自分で働かないと生活できないわよ!
客に怒鳴られ、上司に嫌みを言われ、かみさんからは無能扱い・・・。
ボロボロになって働かないと生きられないのに神様の守護?
みなさん頑張って働いているのですね。
そうよ、そうよ。守護なんて貰ってないわ!
神様の守護って言うなら、もっと楽させて欲しいよ。
楽したい?
一歳児のように働かず、口にご飯を運んでもらい、服の着替え下の世話までしてもらいたい・・・とか?
それは極端よ!
せめて働かずに生きられたら幸せだよな。
まるで働くことが拷問のようですね。
働くことって、そんなに辛く厳しいものですか?
働くより、遊んだり趣味に興じた方が楽しいに決まっているわ!
客は横柄、上司は陰険、家族は冷たい・・・こんな世知辛い世の中で仕事なんてやってられないよ!苦行だよ苦行!
そうですね。
世の中、競走社会ですから他人を蹴落とさないと生き残れない厳しい風潮がありますね。
でも、仕事がつまらなく辛いと思うのは、世間の雰囲気に流されているだけで、そもそも発想が逆転しているのです。
発想が逆転?
そうです。
本来、仕事は楽しく喜びのために存在しているのです。
仕事が楽しく喜び?
それは趣味を仕事にしている一部の連中だろ?
いえいえ、本来、全ての仕事が楽しく喜びに満ちているのです。
趣味は楽しいですが、趣味を仕事にすると楽しんでばかりいられませんよ?
趣味を仕事にする以上は、利益を出さなければ商売として成り立たず、結局、利益を出すために苦労が続けば、好きだった趣味も嫌いになります。
趣味を仕事にしたら、それはもはや仕事でしかありません。
もし、お客さんに感謝され、上司にも認められ、奥様にも大切にされたら、楽しく喜んで働けると思いませんか?
まあ・・・ね。
みなさんの仰有っていることは、一歳児のように何から何まで面倒を見てこそ神様の守護。
そう言っているも同じです。
でも、もし一歳児の立場になったら?早く大人になりたいと思うのでは?
大人のように働けたら素晴らしいと思うのではないでしょうか?
そもそも人間として、楽しみ喜びの前提は何ですか?
美貌?
お金?
命があり、体が動くことでしょ?
美貌があっても命がなければ意味は無いし、お金が沢山あっても体が動かなければ何の楽しみもありません。
心を使えば神が心通りに守護する原理があるから、人間は自由に心が使えるし、心通りに体を動かして頂けるのです。
これを神様の守護というのです。
遊びも、趣味も、仕事も、その他諸々も、神様の守護の上に派生する『楽しみ喜び』なのです。
もし今、大病して寝たきりになったら、『どんな苦労も厭わないから元気に働きたい』と心から願うと思いますよ。
どうかな?
やっぱり苦労はしたくないけど・・・。
いや、絶対に心から願うはず。
そう思えないのは想像力が欠けているのです。
もし自分の体が永遠に動かなくなったら・・・と考えたら誰でも分かることでしょう?
相手の立場に立って考える想像力が欠如している証拠なのです。
自分の立場でしか物事を考えられないから相手の立場にもなれず、他人に対して横柄に振る舞えるのです。
先ほど、お客が横柄だって言いましたね?
そうなんだ。金を払うからって威張り散らすんだ!
マジムカつくよ!
『お客様は神様です』のセリフはお店側が言うもので、お客が自ら言ったら洒落になりませんね。
そのお客さんも相手を思う想像力が欠けているようです。
例えば、百円の菓子パン一つとっても、自分で同じものを作ろうと思ったら絶対に百円では作れません。だいたい百円の菓子パンが購入者の手元に届くまで、一体、どれだけの人、物、時間が費やされているかご存じですか?
小麦を製造する人、輸入し運送する人、材料を組み合わせパンを製造する人、パンを販売する人・・・様々な人の働きがあって、破格の値段で菓子パンを購入できるのです。
それだけではありません。
小麦を刈り取るコンバインを製造する人、飛行機やトラックを製造する人、空港や道路を整備する人、パンを焼く機械を製造する人、お店を建てる人・・・
百円と言っても、一つの菓子パンが購入できるまで、途方も無い数の人、資材、時間が必要なのです。
それを、たった百円払って手に入るなんて・・・感謝こそすれ横柄に振る舞う理由がありません。
どれか一つ欠けてもパンを販売することはできません。
全ての人が協力し合い、関係し合う熟成された社会、その巨大な仕組みがあればこそ、百円の菓子パンが食べられ、美味しく味わい、お腹も満たされるのです。
この絶対に欠けては成り立たない仕組みの一つとして働けるなんて誇らしくないですか?
この仕組みが無ければ、億万長者でも百円のパンすら手に入りません。
億万長者が百円のパンなんて食べないわよ。
百円のパンすら手に入らないってことは、他の何も手に入らないってこと。
一番肝心なことは、いくら社会の仕組みがあっても、それを支える環境、大地、水、空気、太陽・・・もっと言えば宇宙も必要であり、パンを食べられる体も必要です。
これら一つでも人間に創造できるものはありません。
これを神様の守護と言うのです。
『自分で働かないと生きられない』と思う人は自分しか見えていないのです。
自分しか見えていないから、自分の視点で好き勝手に物事を判断し、横柄・横暴に振る舞えるのです。
自分とは社会を構成する掛け替えのない一部であり、神の守護をいただく一人。
『自分のため』と思わず『他人の喜びのため』と思いながら働くと、段々仕事の楽しみ喜びが見え始めます。
人間が一番喜べを感じるのは、人の役に立てたり、人に喜ばれた瞬間です。
『人の喜びを見て共に楽しむ』
神の子である人間、その魂には神と同じ性質が組み込まれているため、人間は人の喜びを見るため働くことに至高の喜びを感じるのです。
『自分で働かないと生きられない』
それは神の守護を忘れ、働ける喜びを見失っている時。
そんな時は『神の思想』に立ち返り、神の守護を感じる感受性を取り戻してください。
解ったわ!私の美貌でお客を楽しませてあげる。
あんた、何の仕事してるの?
それではまた!
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