一喜一憂。
この言葉、皆さん意味はご存じかも知れませんが、ご存じ無い方の為に説明します。
一喜一憂(読み)イッキイチユウ
状況の変化に応じて、喜んだり心配したりすること。「試合の途中経過の報に一喜一憂する」
説明すると言いながら”コトバンク”からのコピペ…。
見た目は大人、頭脳は子供。迷探偵ジュゲム!
いや、探偵じゃ無いし…。
ああ、一喜一憂でしたね。
皆さんは特別意識していないかも知れません。
でも『一喜一憂』とは殆どの方が日頃から使用されている心使いなのです。
皆さんも十分思い当たる節があると思います。
否、寧ろ『一喜一憂』以外の心使いをしたことが無い…のでは?
- “幸せな人”を見て”不幸な気分”になる
- “不幸な人”を見て”幸せな気分”になる
ちょっと極端ですが、殆どの人は他との比較で自分の立ち位置を決めているのです。
自分が幸せか?不幸か?
外的要因に左右されてしまう幸せ指数。
これを『相対的幸せ』と呼びます。
相対的。
ちょっと難しい言葉なので再び説明します。
相対的(読み)ソウタイテキ
他との関係において成り立つさま。また、他との比較の上に成り立つさま。「相対的な価値」「物事を相対的に見る」⇔絶対的。
やはり”コトバンク”からのコピペ…。
まあ、寿限無が説明しても”コトバンク”の説明と殆ど変らない…というか、寧ろ”コトバンク”が寿限無の脳内をコピペしたかと疑うほど完全な一致…。
ああ、相対的でしたね。
念の為、もう少し詳しく説明します。
なんと理不尽な採点方法でしょうか?
どんなに頑張って勉強しても評価は他人の点数に左右されるなんて…。
でも殆どの方は、こんな理不尽な心使いをしているのです。
ハア?デタラメ言うな!
と思うかも知れませんが、胸に手を当てて日頃の心使いを振り返ってみてください。
他人の幸せ・不幸と比較して自分の立ち位置を決めている…
要するに殆どの方は『相対的幸せ』を享受しているのです。
否、『相対的幸せ』に甘んじている…と言った方が適切でしょう。
寧ろ『相対的幸せ』以外の幸せを知らない…と言った方がより適切。
『相対的幸せ』の中にいると、常に外的要因に心揺さぶられ、心は木の葉のように翻弄され、次第に心は疲弊してしまうのです。
じゃあ、『絶対的幸せ』って何だよ!
お前は知っているのか?!
とPCやスマホの画面に向かい毒突かれていると思います。
勿論、知っています。
逆に知らなかったら、皆様はフラストレーションだけが残り、モヤモヤした気分で一日を過ごさねばなりません。
それも一興ですが、当サイトの信用は失墜します。
それではお互い何の利点も無いので、明晰な回答で皆さまの溜飲を下げて『さすが寿限無様!我々は貴方様に一生付いていきます!』とwinwinな関係で次の記事へ繋げたいと、ささやかに目論んでおります。
ああ、『絶対的幸せ』でしたね。
実はこれまでの文章の中で、『絶対的値』を確立した人物が登場しています。
↑ん?
↑↑んん??
↑↑↑んんん???
そうです。
答えは”B君”です。
“A君”の評価は、”B君”の点数によって左右されますが、”B君”の評価は常に一定。
100点でも、0点でも、”B君”が絶対的基準であることは不動であり、常に”B君”の評価は変らないのです。
もし”B君”の評価を100点と設定するなら、”B君”はどんな点数を取っても常に100点の評価!
“B君”は何と恵まれた存在なのでしょうか?
でも点数で考えると”B君”ばかり不公平に感じてしまうので、『評価』を『幸せ指数』に変換して例題を再考してみましょう。
“B君”の場合、幸せ指数は”A君”のテスト結果に左右されます。
これが『相対的幸せ』。
しかし”A君”の場合、どんな点数を取っても幸せ指数の絶対値…
つまり『絶対的幸せ』の中にあり、例え”B君”のテスト結果が自分より高くても低くても、”A君”は絶対に幸せを感じられるのです。
ええ?!絶対に幸せを感じられる?
そんな事が有り得るのでしょうか?
世の中には病気、事故、犯罪、不正、紛争、天災地変など、不幸な出来事が蔓延しています。
一般的常識で考えたら『絶対的幸せ』など有り得ません。
人間思想では『絶対的幸せ』を実現できる『理』がありません。
それでは何故、”A君”は『絶対的幸せ』を感じられたと思います?
答えは簡単ですね?
そう、いつものアレです。
そう、”A君”は『魂人間』だったのです!
『魂人間』とは”神の思想”から『理』を会得し、魂に目覚めた人間。
『理』とは神様が定めた『人間世界を支配する法則』。
『理』とは”心通りの守護”。
この『理』が無ければ、人間が心を使ったところでカタチは微動だにしません。
この『理』は絶対に動かすことは疎か、絶対に無効にすることも出来ません。
正に『絶対の理』。
そして喜びの心を使えば、喜びの守護が頂ける『単純明快な理』。
この『理』を会得している”A君”が、喜び以外の心を使う道理がありません。
“B君”のテスト結果が自分より高ければ『讃える喜び』。
“B君”のテスト結果が自分より低ければ『助ける喜び』。
『絶対の理』から心を使う”A君”の幸せ指数は『常に100%』!
『絶対的幸せ』を享受しているのです。
これで『相対的幸せ』に甘んじている…と言った意味が理解出来たのではないでしょうか?
『理』を知った今、『相対的幸せ』に甘んじる必要はありません。
いつでも魂に目覚め、魂人間に生まれ変わり、『絶対的幸せ』を実現出来るのだから!
どうです?
『相対的幸せ』と『絶対的幸せ』。
理解出来たでしょうか?
少しややこしかったかな?
この記事を読んで『相対的幸せ』と『絶対的幸せ』の違いを理解されたアナタ。
もうカタチを見て一喜一憂している場合ではありませんね!
常に『理』で心を正し、幸せの絶対値から外れないように心掛けましょう。
皆さまも是非、毎日の心掛けで『絶対的幸せ』を掴んでください!
それでは、次回の記事でお会いしましょう!
最後早足で『心通りの守護』を説明しましたので、詳しくは下記トピックを参照してください。
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