魂人間の手引書(3):魂の目覚め『はじめまして本当の自分』

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『あなたは魂に目覚めています。』

突然、魂の師・空さんから伝えられた言葉に驚く寿限無。

(えっ?私が魂に目覚めている?)

驚くのは当然です。
自分自身、魂に目覚めている自覚が全く無いのだから・・・。

私は霊感も霊能力も無く、霊魂や人魂も見たことが無ありません。
目玉焼きには醤油とマヨネーズを掛けて食べる、ごく一般的な人間です。
魂に目覚めるなんて、特別な人間だけだと思っていました。

以前から『人間の本体は魂』と聞いていましたが、魂は無形で見ることも触れることも出来ないので、自分自身が魂に目覚めているか?いないか?なんて確認しようがありません。

しかし特別な人間しか魂に目覚められないなら、魂の教えをいくら聞いたところで時間の無駄。
ごく一般的な人間が魂に目覚め、悩み苦しみのない喜び尽くめの魂人間に進化してこそ、魂の教えを聞く価値があると言うもの。

空さんの顔は真剣そのもので、ふざけているワケでも、からかっているワケでも無い様子。
ならば、一先ず整理してみよう・・・。

私は魂に目覚めている。(●゚∀゚●)
しかーし!
目覚めた自分に気が付いていない。(´・ω・`)

これが自分の置かれた現状。

問題は、魂に目覚めているのに、その自覚が無いダメダメな意識。
そもそも、魂に目覚めた経験が無いので、魂に目覚めた状態を認識出来ないのは当然と言えば当然。

さて、困った。

でも嬉しい!

でも・・・自覚がない。

・・・この様に、魂に目覚めた自覚が無いまま家路に着きましたが、それ以来、魂の目覚めに重点を置きながら生活する日々が続きました。

習慣的に参加していた、空さん主催の勉強会・講話なども、『魂の目覚め』という実践的な目的意識を持つことで、より真剣に耳を傾けるようになりました。
どうやら、あの空さんの一言で、その後の意識が変革したようです。

『魂の目覚めを他人事の様に受け流していた意識』から『魂の目覚めを自分事として捉えようとする意識』。
この意識の変革が、魂を自覚する最大のターニングポイントでした。

魂について、以前から知識としては理解していました。

『三つの理』を治めた心が『魂』。
『三つの理』とは?

  1. 借りもの
  2. 心通りの守護
  3. 心自由

これを詳しく説明すると・・・。

魂は無形。
魂の対極にあるのは有形・・・つまりカタチ。

カタチは『借りもの』
体、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・全てのカタチは神から借りているもの。
人間の本体である『魂』が、神から借りているもの。

全てのカタチが『借りもの』と認識出来れば、後に残るは『魂』だけ。
ならば『借りもの』を認識出来れば、『魂』を自覚出来るのでしょうか?
否、『借りもの』を認識したところで『魂』は相変わらず無形のまま、見えないし、触れないし、手応えがありません。

『魂』を自覚するためには、
実際に『魂』を使ってみる以外に方法はありません。

しかし、見えない、触れない魂を使う方法などあるのでしょうか?

勿論御座います。
『魂を使う』とは?
それは『心を使う』こと。
魂の能力とは『心を使う』ことなのです。
でも、ただ『心を使う』だけなら誰でも出来ます。
『心を使う』だけでは魂に目覚められません。
魂に目覚めた人間は『心を自由に使う』ことが出来るのです。

つまり
心を自由に使える時こそ、魂を自覚出来るのです。

しかし、実際に心を自由に使うことは困難の極み。
人間思想で生きているアナタには絶対に不可能と断言出来ます。

一つ例を出します。
Q. アナタは病気の時に喜べますか?

答えを聞くまでも無く、当然、喜べないですよね?
ところが『心自由』とは、病気の時にでも喜べると言うこと。
仕事や人間関係のトラブルが発生した時、要するに一般的に喜べない状況が発生した時に、喜べると言うこと。

誰もが喜べない状況の中、喜ぶことが出来れば、それが魂を使った瞬間。
そして喜んだ心通りに、病気やトラブルが難なく治まれば、それが実際に魂を使った決定的証拠。

無形の魂を使って、無形の理を動かしたのです。
その瞬間、確かに魂の存在を自覚出来るのです!

魂を使い魂を自覚

一度魂の目覚めを自覚出来れば、後は、水を飲んでも、歩いても、全ては魂が感じる喜び。
『借りもの』を心通りに守護いただく『魂』の喜びになるのです。

これが魂に目覚める筋道。

だが、飽くまで知識の段階。

後は日々の実践。
魂を使い理を動かす実践の日々。
そして度重なる実践の甲斐あって、徐々に魂目覚めの何たるかを掴みかけた頃・・・

事件は起きた!

それは長女が通う幼稚園の運動会の前日。
その晩、子供達と遊んでいた時のこと、突然、腰に激痛が走り、その場で倒れ込んでしまった。
俯せに倒れたまま下半身が動かない。
少しでも身をよじると激痛が走る。

腰痛

ちょ、ちょっと待って!
こんな時に便意を催してきた。
ぐぬぬ、このままでは漏らしてしまうーーー。
否、それどころか、このまま動けなくなるかも知れない。

一瞬、様々な不安が脳裏を過ぎる。
だが、直ぐに一つの考えに心が固定された。

魂を使うのだ!

取りあえず、今、この下半身が動かない状況を喜んでみる。
普通なら絶対に喜べる状況ではないが、角度を変えて別の視点から眺めると、今の状況も違って見えてくる。
激痛で下半身が動かない今と今後を思うと、不安と喜べない気持ちで一杯になるが、腰に激痛が走る以前に視点を映すと・・・

足腰が立つお陰で、子供達を高い高いして遊ばせ、可愛い子供達の笑顔に心癒やされていた・・・
それ以前も、家族で散歩したり、公園に出掛けたり、お買い物したり、足腰が立ち歩けるお陰で、沢山の喜びを享受し、沢山の幸せを感じることが出来た。
今まで特別に意識しなかったが、ヨチヨチ歩きを始めた時から、今日に至るまで、足腰が立つお陰で沢山の経験、体験をし、妻とも出会い、家族を持つことが出来た。

こんな素晴らしい足腰、体を借りているのに、今まで心から感謝の気持ちを感じたことも無ければ、当たり前の様に感じ、守護に鈍感な気持ちで生きて来た。

今、足腰が動かなくなった今こそ、足腰が立つ素晴らしさを感じられる今こそ、これまでの守護を神様に感謝することが出来る。心の底から・・・。

神様への感謝の気持ちは心を喜びで満たす。
足腰が動かないのに喜びに満たされている不思議な状況。
これがカタチに囚われない自由の心。魂の力。

すると不思議!
足がピクリと動く。

(凄い!足が動いた!)
この動いた足を全力で喜ぶ。

すると今度は膝が動く。
(やった!膝が曲げられた!)

更に俯せから上体が起き上がる。
(喜び!喜び!)

膝立ちになる。
(喜び!喜び!喜び!)

箪笥に凭れて立ち上がる。
(喜び!喜び!喜び!喜び!)

一歩一歩足が動き・・・
(凄い、歩ける!歩けるぞーーー!)

気が付けばトイレに到着!
(感動の嵐!)

こうして、翌日には娘の運動会を無事参観することが出来たのでした。

その晩の体験は正に『魂目覚めの集大成』。
私は魂一つの存在。
魂一つに体を借り、心通りの守護を頂く心自由の存在。

直ぐ落ち込み、心配性で、不平不満が多い自分は、本当の自分ではない。

本当の自分は、魂に目覚めた心自由な存在。
何時でも心自由に喜べる自分。

『はじめまして本当の自分』

これが魂を自覚した瞬間。

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