魂人間の手引書(4):困ったらカタチより理を動かせ!

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人間、生きていると様々な困難に見舞われます。

突然、寒気と発熱で寝込んだり(昨晩の寿限無)
突然、会社をクビになったり(まだセーフ)
突然、離婚されたり(無い、無い、無い、絶対に無ーい…)

まあ、一般的には困難に見舞われたらカタチの対処に全力を注ぐでしょう。

体が病めば → 病院
無職になれば → 職探し
独身になれば → 婚活

犯罪に遭えば警察・弁護士、火事に遭えば消防士、薄毛なら育毛剤など、この様に先ずは困難を解決する方向へ動かそうと発想します。

つまり、カタチを動かそうと考えるワケです。

当たり前ですよね?

カタチを動かさないと状況は変らないし、困難なカタチのままでは不満・不安で心は一杯一杯。
困難が治まるまでは安らかな日々は訪れません。

でも困難って、どんな因果で発生するのでしょうか?
偶然でしょうか?
運命でしょうか?

突然、発生する困難…
いつ何時、降りかかるか知れない困難…

私たち人間は、このまま困難の影に怯えて暮らすのでしょうか?
常に心の片隅で困難の影に怯えながら…

もちろん人間は困難に打ち勝つ努力をして来ました。
病院・警察・消防・弁護士・宗教・災害救助隊・軍隊…

でも人間が打てる手立ては全て困難が発生した後。
長い目で見れば、困難の経験から得た知識で、困難に対処する術は習得可能です。

  • アルコール過剰摂取 → 肝臓障害 → 禁酒

しかし経験知によって、ある程度の困難を未然に防げたとしても、未経験の困難、解決策が無い困難には対応出来ません。

そもそも解決方法が確立されているなら、それは困難とは言えません。

過去、人類を苦しめた天然痘は撲滅されました。
結核による死亡率も激減しています。
医学の進歩も目覚ましく、もしかしたら癌が撲滅される未来も近いかも知れません。

しかし病と言う名の困難は収束する気配すら見せません。
病院は患者で溢れかえり、医師不足による過労問題、医療ミスのリスク、少子高齢化による医療と介護費用の財政への圧迫など、次から次へと新たな困難が発生し続けています。

私たち人類は、この先も困難の後塵を拝しながら、不満・不安を抱えて生きて行くのでしょうか?

あっ、ちょと暗い雰囲気になりましたね。

でも安心してください。

答えはNO!です。

魂人間が築く魂文明には困難が消滅します。
人間に困ることが消滅するのです。
魂人間の思考により、困難(カタチ)に対する捉え方が変るので、困難という言語が消滅する…と説明する方が適切かも知れません。

えっ?それじゃ、困難なカタチは相変わらず発生するのか?

もちろん困難なカタチの規模も縮小しますが、そもそもの話、困難は困難では無いのです。
人間が勝手に困難と思っているだけで、全て人間のために必要な与えなのです。

病気・犯罪・火事・天災地変・戦争…
全てが人間のために必要な与え?
ふざけるな!ヽ(`Д´)ノ
と、怒鳴りたくなりますよね?解ります。(´・ω・`)

しかし、そもそも、この宇宙が誕生した時から、理は定められていたのです。

『理』とは宇宙が規則正しく運行されるための『法則』。
『理』とは人間が清く正しく美しく、喜び一杯で生きるための『法則』。

そして『理』を定めたのが、宇宙を創造し人間世界を創造した『神』。

何の為に『理』を定めたのか?
何の為に宇宙や地球、そして人間を創造したのか?

それは神様の喜びのため。

わー、神様って身勝手!…なんて思わないですよね。
だって、人間は創造されたお陰で沢山の喜びを享受しているのですから。
太陽の日差しを浴びるだけで心地よく、水を飲めば水の味がするし、恋や家族との団らん…など、私たち人間の暮らしは、数え切れない沢山の幸せに溢れています。

先ほどから困難、困難、こんなーーーーん…て言ってきましたが、困難なんて長い人生を振り返れば、ほんの一時。
困難のインパクトが大きいから印象に残るだけで、その他、無事無難に暮らしている間は、喜びの日々が続いているのです。

ん?はて?

ここで少し違和感を持たれた方はいますか?

『喜びの日々が続いている』?
果して、そう感じて暮らしている方は存在するでしょうか?

困難のインパクトの大きさに比べて、無事無難のインパクとは極めて小さめ、否、寧ろ殆どありません。
何故なら、多くの人間にとって無事無難とは、ごく当たり前の日常なのです。
当たり前の様に実現している『ありふれた日常』。
珍しくもなんともありません。

人間、生きているだけで、どれだけ喜べるか考えたことがありますか?
もし、明日死ぬと解ったら、今日一日がどれだけ価値のある時間か簡単に理解出来る筈です。

でも殆どの人間は、そんな価値には無頓着。
些細な事で心を煩わせ、心を暗く過ごす。

神様の目から見たら、なんと勿体ない生き方だろうか?
体、衣食住、地球、太陽、宇宙を創造し、人間に貸していると言うのに…
人間の使う心の通りにカタチを守護していると言うのに…
なんと残念なことだろうか?

ここで一度思い出して欲しい。

神様の目的は?
神様が人間を創造した目的は『神自身の喜びのため』。

神の喜びとは?何か?
それは・・・人間の喜びを見て共に楽しむため。

そう、神の喜びには『人間の喜び』が前提なのです。

そんな神様が、日々陰気暮らしをする人間をほっておくワケがありません。
神様が、心通りに守護する目的は、人間の喜びをカタチとして実現するため。
神様が受け取りたいのは飽くまで『喜びの心』。

でも神様も理は曲げられない。
理を曲げてしまい、神様の思い通りに守護してしまえば、人間の主体性は消滅し、人間は神様の思い通りに動く操り人形になってしまう。
『心通りの理』がある以上は、『心通りに守護』するより術はない。

しかし幸いな事に、守護を返す時期は神の采配に任されている。
(まあ、神様が決めたことですが…)

喜びの心を真っ先に守護するのも、この神の采配によるお陰。

つまり神様が受け取った『悪しき心の種』を返す時期も、神の采配次第。
そこで一番良いタイミングを見計らって守護を現わすのです。

丁度、人間の心が悪しき考えに染まり、喜べない思考から抜け出せない時を見計らい…

どーん!

と、喜べる様に守護を与える。

その守護が人間には困難に見えるが、それによって日頃の無事無難を対象化し、クローズアップさせ、無事無難の価値、無事無難の喜びを思い起こさせる。

この様に、人間が思う困難とは、神様が人間を喜ばせよう、喜ばせよう、と苦心した末の結果であり、人間自身では越えられない心の病みを打ち払う、慈悲の詰まった有り難い守護なのです。

しかし、どんなに無事無難の有り難みを実感しても、当たり前の日常の中で喜びの感受性が失われ、また鈍感な心に戻るだけなら、神様も守護する甲斐がない。

だから神様は『理』を明かされたのです。

『理』は人間が自由に使える『喜びの法則』。

うーーーん…で、どう言うこと?

ここで、困難に戻ります。

これまで困難が起きれば、人間は『困った、困った』と狼狽していました。
そして何とかして思い通りのカタチに動かそうと躍起になっていました。

ここまではOKですね?

ではここからが本題

困難は『心通りの守護』で与えられた『借りもの』。
心通りの結果として現れた『困難』は『借りもの』である以上、人間の思い通りに動かすことは出来ません。
そう、困難(カタチ)は絶対に人間の自由には成りません。
だから躍起になって思い通りにカタチを動かそうとしても時間の無駄。
原理的に不可能なのです。

では、どうすれば正解なのか?

正解は…

困ったらカタチより理を動かせ!

はい、本投稿のタイトルですね。

『心通りの理』が動けば『借りもの』が動きます。
つまり、カタチを動かしたいと思うなら、『心通りの理』を動かすことを意識すること。

では『心通りの理』を動かすのは何でしょうか?

そう。アナタの心です。

困ったら喜びの心を生み出せば、神様が真っ先に『心通りの理』に乗せ、心通りにカタチを喜びの方向へ改善してくださるのです。

でも、困った時に『喜びの心』なんて生み出せるのでしょうか?
一般的感覚なら絶対に無理ですよね。

しかーーーし!
これを成し遂げるのが魂人間。

魂の力なのです。
魂の力。
カタチに左右されない理の座った心。

この魂の力を使い理を動かしましょう!

困ったら喜ぶのです!
困ったらカタチより理を動かす事に意識を集中しましょう!

受け取るのは全知全能の神様です。
神様に不可能はありません。
地震・カミナリ・火事・おやじ…何でも結構!

心通りの守護を喜ぶ心は真っ先に受け取られ、どんな困難も収束に向かいます。
それが『理』です。

是非、みなさんも魂に目覚め、魂人間となって、『理』を動かしてみてください。
絶対に驚愕し、驚嘆し、魂一つの喜びに打ち震えることでしょう。

では最後にもう一度。

困ったらカタチより理を動かせ!

でした。

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