魂人間の手引書(6):なぜ?自分がこんな目に!納得出来ない因果関係

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突然
事故に巻き込まれたり
会社をクビになったり
離婚届けを突きつけられたりしたら…?

誰もが叫びたい気持ちになりますよね?

何て日だ!

なぜ?自分がこんな目に!

まあ、大抵の人は納得出来ないまま、事務処理に負われる羽目になるでしょう。

『神の思想』では
見るもの、聞くもの、触れるもの、全て心通りの守護
と教えて頂きますが…

はあ、事故?クビ?離婚?
そんな心は一つも使った憶えは無いわ!!!ヽ(`Д´)ノ
怒るのも当然です。

こっちは酷い目にあっているのに、更に『心通りの守護』なんて言われると、追い打ちを掛けて責められているみたいで、嫌な気持ちになります。(`Д´) ムキー!

でも何で怒るのか…もう一度整理してみましょう。

心通りの守護???
こんな酷い心を使った憶えは無い!

↑これが原因ですよね?

要するに
因果関係が納得出来ないのです。

『心通りの守護』とは一見…

  • 喜びの心には、喜びの守護
  • 不足の心には、不足の守護

この様に単純化してしまいがちですが
『心通りの守護』には
神様が定めたタイムラグがあるのです。

タイムラグ = 時間差。

そうです。

『心通りの守護』には
心を使えば直ぐに守護頂くものと、
守護が現れるまで時間が掛るものが存在します。

では、『心通りの守護』を(種)と(実)に分けて解りやすく考えてみましょう。

  • 人間の心が(種)
  • 神様の守護が(実)

人間が心を使えば(種)を蒔いたことになります。
一般的に(種)を蒔いたら芽が出て(実)がなるまで時間が掛りますよね?

でも神様は言いました。

喜びの心は”直ぐに受け取り直ぐに返す”

なんと有り難い言葉でしょうか?

その他、日常生活に必要な心(水を飲む・トイレに行く等)も、『直ぐに受け取り直ぐに返す』理で守護頂いています。

逆に

喜べない心は”後回し”。実らない様に出来る限り抑える。

更に有り難い言葉…

うん?でも待ってください。

このタイムラグが因果関係の把握を難しくしているのでは?( ゚д゚ )

はい、正にその通り。

悪い心を使ったら即、

ドカーーーン!

と悪いことが起きた方が解りやすいですよね?

それなら皆、良い心ばかり使う人間になって
あっと言うまに喜びの世界が実現しそうな気が…

はい、気がするだけです。

実際に全ての心が『直ぐに受け取り直ぐに返す』理で守護されたら、人間の心は自由を失います。
神の意のままに心を使わなければ『罰』が下るシステムなら、神の思いのままの世界。
それでは神の操り人形、否、神の意のままに動く奴隷です。

自由の心で喜んで生きる人間の創造。
それが神の目的なのです。

神様は心自由を守るために、心使いに善悪を定めていません。
どんな心を使っても構わない…つまり自由なのです。

じゃあ、悪い心も全然使って構わないのか!?ヽ(`Д´)ノ
と誰もが思うワケですが…

簡単に善悪と言いますが…
心の善悪なんて簡単に決めらるのでしょうか?

考えてみてください。

例えば、犯罪は法律的には悪です。
しかし悪に身を落とすまでの道程を顧みた時、悪は何処から始まったのでしょうか?
生まれた時は皆、無垢な赤子です。
でも、その後の両親の教育、環境など、様々な外的要因で心は形成されていきます。
その課程で悪から身を守る術を教わっていないとしたら?
一体誰が悪から逃れられると言うのでしょうか?

神様はその者を決して悪と呼びません。

罪を犯せば逮捕、牢獄、刑の執行…
この結果を見て、心を使った本人が『善悪』を判断するのです。

結果を見て『悪』と思うなら『悪』の心使いを改めて『善』と思う道へ進めばいい…
それが自由の心

この自由の心をもって『理』の善悪を判断して欲しい…
それが神様の心

ここでタイムラグの話に戻りましょう。

タイムラグのせいで『心』と『守護』の因果関係が納得出来ない。
なぜ?突然、酷い目に遭うのでしょうか?
なぜ?因果関係が解り難いのでしょうか?

なぜでしょう?

少し考えてみてください。

自分で思考することが脳の活性化に繋がり理解を深めます。

時間は3秒。

スタート!

ビーーーー!

はい、終了です。

答えがでましたか? ヾ(*`Д´*)ノ < 出るかー!>

答えは簡単。

過去の心使いは気にする必要がない。

これが答えでした!
みなさん、正解したかな? ヾ(*`Д´*)ノ < 喧嘩売ってるのかー!>

ごめんなさい。真面目にやります。

『過去の心使いは気にする必要がない』

神様は元々、人間の心使いに善悪を定めていません。
神様はただ、人間が自由に心を使い『心通りの守護』を楽しんで欲しいのです。

突然、酷い目に遭えば『一体どんな酷い心を使って来たのか?!』と、真面目な方なら思い悩まれると思います。

しかし、いくら考えたところで因果関係は闇の中。
もしかしたら前世からの因果関係かもしれません。
今世の事ならまだしも、前世の因縁が関係していたら、心と守護の因果関係なんて絶対に解るはずがありません。

でも、それでいいのです。

解らなくていいのです。

もし、アナタが前世で大量殺人を犯した犯罪者だとしたら?
その記憶が鮮明に記憶されていたら?
恐らく、否、絶対に今世を喜んで暮らすことなど出来ません。
今世が真面目であればあるほど罪を感じて贖罪の日々を過ごすでしょう…

いやいや
神様はそんな事は一つも望んでいないのです!

人間の過去は一切問わないのです。
なんて慈悲の塊でしょうか?

過去をアレコレ詮索するよりも、今、これから使う心に注視して欲しい…
今、これから使う心を大切にして欲しいのです。

今、目の前で起きた酷い出来事は『過去に使った心』の結果です。
過去の心使いを変えられない様に、結果も絶対に変えることはできません。

『酷い結果』が現れた…と言うことは、神様に受け取られた『酷い種』も一つ消滅したと言うこと。

後は二度と酷い種を蒔かない様に、しっかり理を思案する。

『これが私の蒔いた心の結果』
『これが私の心通りの守護』
『これで結構、これで結構』

この様に喜びの心で酷い結果を治めたら…

アラッ?不思議?!

喜びの心は”直ぐに受け取り直ぐに返す”

この理によって

酷い結果が喜びに転じたり、思いも寄らない不思議な喜びが現れるでしょう。

否、絶対に現れます。

それが理。

それが理の効能。

 

理を守れば理に守られる

 

神様の言葉を信じ
理を信じて
自覚的に
納得出来る因果関係を自ら造りだしてください。

 

でも思うように理の効能が現れなくても諦めないでね。
本心から『心通りの守護』を喜ぶことが前提です。
理を疑う前に、自身の心を疑い、何度も何度もトライし、理の感触を少しずつでも掴んでください。

 

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