『恐怖信仰』から抜け出すため、未知への恐怖を克服する3つ方法を紹介します。
生の意味
人間は『何のために生まれ、何をして生きる』のでしょうか?
全ての人間は自分の意志で生まれる訳では有りません。
両親が望んだから、自分という存在は生まれたのでしょうか?
もし両親が望んだ結果なら、全ての人間は『両親が望んだため生まれ、両親の喜びのために生きる』ことになりますが、そこにはやはり自分の意志は介在していません。
例え両親が望んだとしても、望み通りに生まれるか否かは神のみぞ知る・・・。
そうなのです。
知っているのは人間を創造した神ただ一人なのです。
両親の意志でも、自分の意志でもなく、神の意志で全ての人間は生まれてくるのです。
神の心にある日、突然カミナリが落ちました。
人間創造という素晴らしいアイデアを思いついたのです。
何の楽しみも無かった神の心に『人間の喜びを見て共に楽しむ』という喜びが生まれたのです。
そして神は人間創造の大事業に取り組み、何百億年かけて漸く今の人類に到達し、『神の思想』を打ち明けられる段階まで創造されたのです。
つまり、人間が生まれてくる意味は『神の一方的な思い』であり、人間が生きる意味は『神の一方的な思いを叶える』ため・・・なのです。
毎日与え続けられる生
人間が存在するのは、神の一方的な思いなのだから、人間は神に文句を言っても差し支えないです。
しかしどうでしょうか?
与えられた生、毎秒脈打つ心臓の鼓動、刻一刻と創造され続ける生。
神が生を与え続けなければ、一瞬たりとも存在を許されない人間。
生きていることに文句を言える人間が存在するでしょうか?
人間か借りている生を振り返った時、その重みに感謝することはあっても、文句を言う筋合いは1つもありません。
それほど人間が借りている生とは重いのです。
生とは、命、体、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・こんなに重い重い生があるでしょうか?
人間は刻一刻と創造され続けているのです。
しかしながら、殆どの人間は生きていることが当たり前と感じ、命を粗末にしたり、虚無感に苛まされたりするのが現状です。
存在を無意味に感じ、存在を無価値に感じる『無知の恐怖』。
それでは無知の恐怖を克服し、生の喜びを実感する方法とは?
無知の恐怖を克服し、生の喜びを実感する方法
これは『神の思想』に触れる時間をできるだけ長く持つ他ありません。
日々無意識に過ごせば『人間思想』が無知の恐怖を増幅させるので、『人間思想』が入る余地が無いくらい『神の思想』に触れ続ける習慣を身に付けるのです。
それには常にPCやスマホを開き、『魂人間GOGO!』にアクセスして『神の思想が溢れる記事』に目を通し、『人間思想』を払いのけてください。
記事を印刷して持ち歩くのもGood!です。
とにかく『神の思想』に触れ続けることで、魂1つの自分に目覚めれば、見るもの、聞くもの、触れるもの、全てが神の守護に溢れた喜びの世界と知り、それほどの守護をいただく自分という存在の意味、存在の価値に気が付くことで、生の喜びを謳歌できるのです。
この世は未知に溢れていますが、それは人間が『神の思想』を知らず『無知』だったに過ぎません。
『神の思想』を詳しく知り、自分の思想、自分の生き方として徹底すれば、『未知の恐怖』は『既知の安心』となって、恐怖信仰を捨て喜びの信仰を実現することができるのです。
その他、恐怖を克服する3つの方法は以下の記事をご覧ください。
元記事、恐怖信仰:未知への恐怖心に縛られた信仰は以下です。
コメント