人を呪わば穴二つ。
これが元々の由来だそうです。
平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとするとき、呪い返しに遭うことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来。
イタズラに呪いを楽しむ人以外、人を呪う発端となるのが恨み辛みの感情です。
恨み辛みは『負の感情』。
『負の感情』は喜べない心。
喜べない心は『心通りの理』に従い、喜べない『負の循環』を生み出すだけ。
心の中で何を思っても本人の自由です。
例え心の中で恨む相手を殺しても犯罪にはならないし、警察も逮捕しにきません。
ただ思っているだけで、心を使わなければ神も受け取れません。
でも人を呪うほどの恨み辛みの感情はどうでしょうか?
血圧・心拍数は急激に上昇し、体は怒りにぷるぷると震え、理性的な感情は失われ、自分でも気が付かない内に恐ろしい形相になっているのでは?
思ったことに体が反応したり、表情に現われたということは神が受け取ったということ。
つまり心を使ったと認定されたということ。
血圧・心拍数は急激に上昇し、体は怒りにぷるぷると震え、理性的な感情は失わる・・・文字に書いているだけで体に悪そうですよね?
人を呪えば呪術的なパワーで人を呪い殺せると思っているアナタ。
いくら呪っても相手はノーダメージです。
この世は『心通りの理』が支配する世界。
人を呪う心は、明らかに『喜べない負の感情』であり、喜べない心は『喜べない理の種』となって、その心通りに『喜べない実り』をもたらすのです。
人を呪えば自分のために墓穴を彫っているに過ぎません。
つまり穴は一つ。
しかし『呪い』ではなく『祝い』の心なら話は別です。
人を『祝う』喜びや幸せの感情は相手と自分、双方に喜びの守護をもたらします。
人の喜びを見て共に楽しむ・・・これが神の本懐。
その心こそ真っ先に受け取られる心の理。
人を祝えば花二つ。
喜びの花が双方に咲き乱れることでしょう!
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