魂のつぶやき:不思議な救け

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『不思議な救け』てっナニ?

医者が病気を治療しても『不思議』とは言わない。

医療は蓄積された膨大な科学的データを根拠に、物理的手段を用いて治療を行うため、その工程は誰の目にも確認し、理解することが可能。

  • 癌細胞を切除しても『不思議』ではない。
  • 傷口を縫い合わせ出血を止めても『不思議』ではない。
  • AEDで心肺蘇生を行っても『不思議』ではない。

『不思議』とは人間が思議できないこと。

ふしぎ【不思議】

  1. どうしてなのか、普通では考えも想像もできないこと。説明のつかないこと。また、そのさま。「不思議な出来事」「成功も不思議でない」
  2. 仏語。人間の認識・理解を越えていること。人知の遠く及ばないこと。

そう、『不思議』とは人間の理解を越えていること。
要するに考えるだけ無駄なこと。

もし切らず、触れず、薬を使わずに病が平癒されたら誰でも驚くだろう。
『医者にも手の施しようがない病』が治まったら、不思議奇跡と狂喜乱舞するだろう。

しかも!
神はことば・・・だけで病を平癒する。
神の心(思想)を人間に解りやすいことばで表わし、伝えることで全ての病を治めて見せる
何故、そんな神技が可能なのか?

もちろん『神』だから。

神が創った人間だから、もちろん病の原因も治める方法も全て知っている。
神は全知全能。
神はこの全知を人間に明かし、全能の働きで人間を救ける。

神こそ『不思議』の主

神が不思議

神様から創造された人間も不思議

  • 医者が傷口を縫っても、神が傷口を塞がなければ血は止まらない。
  • AEDで心肺蘇生を行っても心臓を動かすのは神の力。
  • 医者がどんなに手を尽くしても、最後に意識を回復させるのは神の息吹。

どんな名医と言えども最後の最後は神頼み。
医者は不思議の恩恵の上に成り立たつ職業。
医者だけでは無い。
全ての人間が不思議の恩恵で生命活動を営んでいる。

『不思議』を知ることが救け

もし『医者にも手の施しようがない病』が治まったら、不思議奇跡と狂喜乱舞するだろう・・・。
だが、この場合、不思議奇跡が有り難いのではなく、病が治まったことが有り難いのだ。
不思議奇跡は医者の代りに過ぎず、病が治まれば医者でも、薬でも、不思議奇跡でも、何でも構わないのが実情。
こうして再び、当たり前の日常に舞い戻り、不安・不満・不愉快など喜べない心で病の種を蒔き続ける。
そして病が心通りに実る日を、何時か?何時か?と漠然とした不安と恐怖で待ち続ける。

病発生!

本人は唐突に病を患ったと思うかも知れないが、長い時間掛けて自ら拵えてきた心通りの結果であり、『何故?自分ばかりこんな目に?神も仏もない!』と嘆いても後の祭り。

否、仏は知らないが、神がいるから病を患う

神が『心通りの守護』を与えるから心の病がカタチの病になって現れる

心の病は不安・不満・不愉快など喜べない心。
心の病が原因でカタチの病が現れたなら、カタチの病を治める方法はただ一つ、心の病を治すこと。

そのために、神は『全知』を明かした。

人間の心一つを種にして、全能』の働きをもってカタチを治め、未来を創造する『喜びの道』が開かれたのだ。

全知とは?

全知と言ってもたった三つの理。

  1. 借りもの
  2. 心通りの守護
  3. 心自由

全能とは?

全能とは上記三つの理を実現する力。

  1. 体・衣食住・地球・太陽・宇宙など全てのカタチを創造
  2. 人間の心を受け取り心通りにカタチを創造して動かす
  3. 心自由の保護

『不思議』を司る神の目的は?

『人間の喜びを見て共に楽しむこと』

このたった一つの思想が目的で『不思議』を司る神。

『不思議』は神のみ技。

『不思議』が神。

『不思議』は人間の生命のため。

『不思議』は人間の喜びのため。

『不思議』は人間の味方。

神の思想を信じ、『不思議』に凭れ、喜びの心で生き続けるなら、その心通りに喜びのカタチは創造され続け、喜びの循環喜びの輪を世界一列に広め始めるのだ。

結論

不思議な病救けは、
不思議に守護されている己を知り、
安心・満足・喜びの心で生命活動を営む神の刻印。

 

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