『神の思想』は『人間の喜びを見て共に楽しむこと』。
このたった一つのアイデアから人間世界は創造されました。
しかし途方も無い長い年月を掛けた壮大なプロジェクトゆえ、当然、緻密かつ確実な方法が必要になります。
そこで神は『三つの理』を定めました。
三つの理
① 借りものの理(かりもの-の-り)
② 心通りの理(こころどおり-の-り)
③ 心自由の理(こころじゆう-の-り)
この三つの理とは『神の思想』を実現する三大原理です。
この三つが無ければ人間世界は存立し得ません。
三つの理は『神』でさえ無効にできない『絶対の理』・・・否、永遠に変える必要がない完成された理なのです。
① 借りものの理
人間の喜びを見るために、先ず神は『有形の世界』を創造しました。
体、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・『有形の世界』は神の創造物です。
全く何も無いの『無形』から、突然ポッと『有形』が生まれたのです。
0(ゼロ)から1(イチ)が生まれる不思議な瞬間です。
それは、人類の英知では到底理解できない不思議な神の力。
37兆個の細胞で構成された神秘の人体。
『人間』には、細胞一つ、髪の毛一本すら造れません。
更に、人体に必要な衣食住、地球、太陽、あまりにも広大な宇宙・・・。
こんな素晴らしい『有形の世界』を借りているのです。
しかし、借りているからと言って、思い通りに使えるワケではありません。
何度も言うように、『有形』に対して人間は完全に無力。
でも、それが神の狙いなのです。
せっかく『有形の世界』を借りても、人間自身で心臓を動かしたり、血流を制御したり、消化吸収排泄まで管理する責任があるなら、とても人生を楽しむ時間などありません。
ましてや地球を回したり、太陽を燃え上がらせたり、全て自己責任だとしたら?
そんな大変なもの、わたしなら直ぐにでもお断りして返上します。
『借りものの理』とは、人間が難儀不自由しないように、全ての責任を神が引き受けた上で、人間に貸しているのです。
② 心通りの理
『有形の世界』は人間の力では微動だにしません。
微動だにしない『有形の世界』が、一体どんな原理で動くのでしょう?
人間の力では、心臓の鼓動一つ、指先一本、動かすことはできない有形が、思い通りに動いている原理とは?
え?、心臓はともかくとして、指なら自分の力で動かせるけど?
そう考えたアナタ。
それはアナタが動かしているのではなく、神が心通りに動かしているのです。
これを『心通りの理』と言います。
人間の心を神が受け取り『心通りの守護』をするのです。
『心通りの守護』であって、決して『思い通りの守護』ではありません。
『心通り』も『思い通り』も、どちらも『心』には違いありませんが、この二つには明確な違いがあるのです。
心の中で思っているだけでは、神は受け取ることはできません。
神が受け取らなければ、心が形として洗われることもありません。
水を飲みたい・・・
と、思っているだけでは体は動きませんが、
水を飲む!
と、心を使った時に、はじめて『心通りの守護』がいただけるのです。
上記例の場合、思う心(水を飲みたい)と、使った心(水を飲む)に殆ど差異が無いので、あたかも「思い通りに水が飲めた」ように見えるのです。
もしこれが、
プロサッカー選手になりたい・・・
と、思う心なら?
この場合、簡単に思い通りにはなりません。
何故なら、「プロサッカー選手」になるには、それ相応の『心の理』が必要だからです。
「プロサッカー選手」になりたいのに、バットの素振りを一生懸命しても意味がありません。
「プロサッカー選手」になりたいのなら、それに相応しい『心の理』を追究する必要があるのです。
月並みな言葉ですが、大きな目標を叶えたいなら、一生懸命に練習に励むしかありません。
えっ?それじゃ、『心通りの理』を聞いた意味が無いって?
いえいえ、そんなことはありません。
『心通りの理』には実は一定の法則性があるのです。
それは、
という何とも有り難い法則なのです。
もし『目標を阻む壁』が立ち塞がった時に、イライラしたり、不足したり、自暴自棄になる等、『喜べない心』を使えば、その『心の理』が種となって蒔かれ、心通りに『喜べない実』となって守護されるのです。
つまり壁が消えることはなく、自分を悩み苦しめ続ける結果となるのです。
そもそも、『目標を阻む壁』も、心通りになった『喜べない実』です。
『心通りの守護の実(目標を阻む壁)』は収穫しなければ無くなりません。
『心通りの守護の実』を収穫できるのは、『心通りの実りを有り難うございます。』と喜ぶ心。
『心通りの守護』を喜んだ心が一つの理のサイクルを完結させます。
その『心の理』は新たな『喜びの種』となって蒔かれた結果、『目標を阻む壁』は瓦解し、それと同時に『喜びの実(目標に一つ前進)』がなるのです。
この世界が『心通りの理』で支配さえれている以上、人間の心使いが未来を決めます。
その時、『喜びの心』を使うのか?『喜べない心』を使うのか?
勿論、誰もが『喜びの心』を使かうに決まっていますが、形に翻弄されるのが『人間の思想』。
ここで、しっかりと意識してください。
人間の心は自由なのです。
③ 心自由の理
人間の本体は魂です。
魂は『有形の世界』に縛られることなく、自由に心を使うことができます。
自由に心が使えるなら、誰でも間違いなく『喜びの心』を使うはずです。
しかし、現状の人間はどうでしょうか?
『有形の世界』に雁字搦めに縛られて『喜べない心』を平然と使い続けています。
『人間の思想』は現われた形(結果)を見て『心を決める』以外に術はありません。
いえ、『心を決める』と言うより、形のまま形通りに心が形成されてしまうのです。
まるで形に支配された操り人形。
『人間の思想』には形の限界を超える理が無いので仕方ありませんが・・・。
人間は形の元を知りません。
形がどこから生まれ、どのように造られているのか?
『人間の思想』にとって、形は不思議、形は神秘の領域。
運命がどこで決まるのか?誰も知りません。誰も答えてくれません・・・。
しかし『神の思想』は知っています。
そして誰もが知りたかった答えを惜しげも無く明かしてくれます。
人間の心は自由です。
喜ぶのも自由、喜ばないのも自由・・・ではないのです!
本当に心自由を自覚するなら、喜びの選択肢しか有り得ません。
もし、形を見て、イライラしたり、不足したり、自暴自棄になる等、『喜べない心』が顔を出した時は『人間の思想』に支配されていると自覚してください。
そんな時は、一呼吸し、『神の思想』に立ち返りましょう。
喜べないのは「形に原因」があるのではなく、自分自身の「心(思想)に原因」があるのです。
『三つの理』と言っても、要は自分自身の心です。
『三つの理』をしっかりと思考して、魂から喜びの答えを出し、喜びの種を蒔く・・・
これが喜びの運命を創造する最上級の心使いなのです。
まとめ
『三つの理』を思考の土台にして生活すれば、今日からアナタも『魂人間』。
今、この瞬間から『魂人間』に生まれ変わり、『病まず・弱らず・115歳の寿命』を実現する魂文明の担い手として喜び尽くめの人生を謳歌してください。
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