天理の黄昏:人救けの為なら酷い言葉も許される?人救けの法則とは?

天理の黄昏 天理の黄昏

新シリーズ『天理の黄昏』。
第4回目は「人救けの為なら酷い言葉も許される?人救けの法則とは?」を投稿します。

もし目の前に困っている人がいたら…
貴方はどうしますか?

例えば、お腹を抱えて苦しんでいる女性がいたら?

助けますか?
ほっときますか?

まあ、余程の事情が無い限り、殆どの方は助けの手を差し伸べると思います。

人間には困っている人を見ると、ほっておけない優しい性質があるのです。
人間は神様の魂を分けられた存在。言わば神の子。

自分は優しく無い!と豪語する方でも、少しの油断でついつい優しい心が出てしまう。
お腹を空かして鳴いている子猫に、ついつい自分の昼飯を与えてしまう。
あれ?自分ってこんな優しかったけ?
自分の二面性を不思議に感じる瞬間。

いえいえ、それは二面性ではなく、これまで優しく無い自分を無理に作り上げていただけ。
優しい心が本来の自分なのです。

心は環境によって育まれます。
優しさの無い厳しい環境で育てば、非情で無ければ生きて行けないと悟り、他者を警戒し心を鬼に作り上げるしか選択肢はありません。

犯罪者を見れば、怒りや憎しみがこみ上げて来ませんか?
自分なら絶対にあんな真似はしない。
犯罪なんて愚の骨頂と断じるはずです。

それなら、もし貴方が犯罪者と同じ環境で育ったとしたら?
優しい心を保てますか?
他人を思いやる心を持てますか?
犯罪から逃れられると断言できますか?

いや、絶対に出来ません。

貴方が犯罪に手を染めないのは、今現在、犯罪を必要とする酷い環境に置かれていないから。
つまり、貴方は恵まれた環境にいるのです。
愛を与えられ、教育を与えられ、必要な物を与えられ、今現在、恵まれた環境で暮らしているから、犯罪に手を染める必要が無い…だけのこと。

このことを充分心に留めておいてください。

それでは前置きが長くなりましたが、今回の本題に入ります。

 

酷い言葉が人を救ける?

六ッ むごいことばをだしたるも はやくたすけをいそぐから

“みかぐらうた”十下り目のお歌です。

“酷い言葉を出したるも 早く救けを急ぐから”

人を救けるのに『酷い言葉』が必要なのでしょうか?
『酷い言葉』を出せば早く救かるのでしょうか?

そもそも『酷い言葉』とは?
その答えは次に続くお歌にあります。

七ッ なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに

“難儀するのも心から 我が身恨みであるほどに”

難儀して困っている人間に対して神様は『我が身恨み』と諭します。

ちょっと神様って酷くないですか?
困っている人間に対して非情にも『あなたの自業自得ですよ』って突き放している!?
読み方によっては誤解を受けるお歌ですね。

でも、ここでポイントなのは『酷い心』では無く『酷い言葉』。

それでは神様の心は実際に酷いのでしょうか?
続くお歌で検証してみましょう。

八ッ やまひはつらいものなれど もとをしりたるものハない

“病は辛いものなれど 元を知る者はいない”

『病は辛いものなれど』ここに人間の辛い心に寄り添う親心が垣間見られます。
そして『病の元を知る者がいない』と、病の根源に言及しているのです。

病の元?
病の根源?

九ッ このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ

“この度までは世界一列見渡しても 病の元を知る者はいなかった”

先ほど『我が身恨み』と言いましたが、これは貴方だけの問題ではありません。
世界一列、全人類一人も例外無く、『我が身恨み』の中で苦しんでいるのです。

この誰も病の原因を知らないで難儀している中、『我が身恨み』と酷い言葉を出してまで、貴方に病の原因を教えたいのです。

何故か?

もちろん貴方を永遠に救けるためです。

医者薬、不思議奇跡の様な一時の救けではありません。
金輪際、病では決して苦しまない永遠の救け。

これが酷い心でしょうか?
言葉は酷くても、心は救け一条の塊。子供可愛い一条の親心。

それでは、神様が明かす病の元とは?

十ド このたびあらはれた やまひのもとハこゝろから

“この度明らかにする 病の元は心から”

病は心が元だったのです。

心の悪しきが、形の悪しき(病)に現れる。

どうです?

病の元が心なら、はじめに『我が身恨み』と説くのは、手順として避けて通れません。
言われた瞬間は『神様も酷いことを仰有る』と思うかも知れませんが、理由を知れば『我が身恨み』と教えて頂いて救かった!『我が身恨み』で間違いないのだ!と逆に感謝と喜びがこみ上げることでしょう。

 

病の元になる悪しき心

それでは病の元になる『悪しき心』とは、一体どんな心使いでしょうか?

“みかぐらうた”五下り目で、同じ『酷い』言葉を使用して『悪しき心』の正体を明かしています。

六ッ むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい

“酷い心をうち忘れ 優しき心になりてこい”

ここでは『酷い言葉』ではなく、『酷い心』と説いています。

『酷い心』

先ほどの犯罪者の例を思い出してください。

犯罪者の心は確かに酷い心と言えます。
人に迷惑を掛け、人を苦しめ悲しませる心は確かに酷い心。
犯罪行為は刑法で裁かれて当然です。

しかし犯罪者に対し、怒りや憎しみを向け、犯罪者を責める貴方の心は?
それは優しい心でしょうか?

犯罪者がもし、愛も知らず、教育も無く、環境に恵まれていないとしたら?

いくら罪を責められても、どうすることも出来ないのです。
それしか選択しが無かったのですから…

これは勉強が解らない子供に対して
『なんで!こんな簡単な問題が分からないの!』
と激しく怒鳴り散らすのと同じです。

解らないものは解らない。
いくら責められても苦しいだけなのです。

それを自分が解るからと言って、解らない者を責める。
恵まれた環境にある自分を高い所に置き、恵まれない者を責める。

これが『酷い心』でなく、『優しい心』と言えるでしょうか?

これこそ『酷い心』。

 

人を救ける心とは?

“酷い心をうち忘れ 優しき心になりてこい”

『優しい心』。

これが人を救ける心。

難儀している人が一番必要としているのは何でしょうか?

間違いなく『優しい心』です。

他意は無く、真心持って救けたいと思う優しい心。

『あなたの心が悪いから病気になる』
『そんな心使いだから身上病むのだ』
『感謝や喜びの気持ちが足りないの』

そんな言葉を難儀している人に向けていませんか?

それは『酷い心』です。

えっ?『神様は人救けの為なら酷い言葉も使う』って?

神様は『酷い言葉』は使いますが『酷い心』は使いません。

『酷い言葉』は神様だから使える『愛の言葉』。
後々しっかり救ける確証と責任を持てるから『酷い言葉』も必要に応じて出せるのです。

それを、ただの人間である貴方が難儀している人に向けたら、向けられた方はどんな感情を抱くでしょうか?
神様の言葉を知っているだけの貴方。
まるで自分が神様の様に振る舞い、難儀している人に理を振りかざす様は、『虎の威を借る狐』よろしく『神の威を借る悪魔』。

人を救ける側の人間が、そんな酷い心なら、一体誰が『人救けの理』を神様に運ぶのでしょうか?

人を救ける側にいる貴方の『優しい心』を受け取り、神様が『優しい理』を返すのです。

人を救けたいと心底願う真心。
最後の最後まで面倒見させて頂くと定める誠。
そんな『優しい心に』神様は『救けの理』を返すのです。

 

結論

六ッ むごいことばをだしたるも はやくたすけをいそぐから

これは神様だから諭せる言葉。

六ッ むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい

これが人間が治めるべき『救けの心』。

十ド このたびあらはれた やまひのもとハこゝろから

病の元は『酷い心』。

なぜ、『酷い心』が病の元になるのでしょう?

それは人間の心が形の元になるからです。

神様は、人間の心を受けとり『心通りに守護』すると定めました。
この『心通りの守護』のお陰で、『心』も使え『かしもの』も動くのです。

即ち

『酷い心』を使えば『酷い形』。
『優しい心』を使えば『優しい形』。

これが理の定め。

“人救けの為なら酷い言葉も許される?”

答えは“NO!”です。

“人救けの法則とは?”

ズバリ!優しい心に成ること。

いつまでも、どこまでも、優しい心を目指す救けの道。
簡単なようでなかなか難しい道です。

でも一つ一つ、地道に優しい心を積み重ねたら、あっと言う間に辿り着く『陽気ぐらしへの道』。

さあ、今から始めましょう!

 

おわり

コメント

  1. 坂井明久 より:

    『あなたの心が悪いから病気になる』
    『そんな心使いだから身上病むのだ』
    『感謝や喜びの気持ちが足りないの』

    どの言葉も、これ一発で、痛み取れたら、お助けです。
    が、『あなたの心が悪いから病気になる』の内容を、正確にお話しできないと、治せません。

    むごい言葉というのは、その人の一番言われたくないことです。
    食べ物でいえば、大嫌いな食べ物を「食べなさい」は、むごい言葉です。

    嫌いな人を好きになりなさいとか、むごいです。

     当たらないことを言うな。当たらないことはむごい言葉ではなくで、外れです。

     入学前に言語障害の男子がいて、治してほしいという依頼があって、お母さんに、
    子供の前で、「お父さん」と笑顔で呼びかけたら、治るよと言いました。

     そんなこと、死んでも嫌だと、お母さんは言いました。もう離婚してやると決めてると。

     こういうのを、むごい言葉といいます。大嫌いな夫に、笑顔で「お父さん」と呼びかけるなんて、地獄です。

     「だってお芝居でいいんですよ」で、子供の前で、お母さんはお芝居して、ゲーッと、
    一か月で、治りました。

     夫と離婚して子育てしていた女性が、子供の言葉の知恵遅れで、悩んでいて、
    子供の前で、夫の写真に向かって「お父さんありがとう」を教えました。
    ひどい話です。自分と子供を捨てた男に、ありがとうと、朝晩に言うのですよ。

     男の子は、しっかりと会話できる子になりました。

    『あなたの心が悪いから病気になる』
    『そんな心使いだから身上病むのだ』
    『感謝や喜びの気持ちが足りないの』
    これは、実行の仕方を教えないと、有効性が発揮できないです。
    食事に一品、夫の好物を必ずつける。ことが、感謝や喜びの気持ちがなくても、効果があります。
    気持ちというのは、嘘つきですが、おかずは夫を必ず喜ばせる、実です。

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