天理の黄昏:かしものにレンタル料は必要なのか?

天理の黄昏 天理の黄昏

新シリーズ『天理の黄昏』。
第2回目は「かしものにレンタル料は必要なのか?」を投稿します。

かしもののレンタル料?
その前に『かしもの』って何?

 

かしもの・とは?

おやさまの教えに縁が無い方は、『かしもの?なんのこちゃ?』と思われるかもしれません。

ご存じ無い方の為に簡単に説明します。
おやさまの教えでは、体は神様からお借りしている『かしもの・かりもの』

たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ
(おふでさき 三・40・135)

人間というは、身の内神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。
(おさしづ 明 22・6・1)

要するに体は神様のもの。
そして心一つが人間のもの。

別の見方をすると、心は自由になるが、体は自由にならない。

えっ?体は自由に動くけど?
『かしもの』と聞いても大抵の人は納得出来ないかも知れません。

でも怪我したり病気で寝込んだりすると、途端に体の自由が効かなくなりますよね?
これは何も、怪我や病気が原因で体の自由が奪われている訳ではありません。
元々体の自由が無いところを『心通りの守護』で動いていたのです。
そして怪我や病気のお陰で、かしものを知り、無事無難に体が動く不思議を『神様の守護』と感じて、当たり前の日常を安心と喜びの心で暮らすことが出来るのです。

体が『かしもの』だとしたら?
体を保つのに欠かせない、衣食住、空気、地球、太陽、そして広大な宇宙に至るまで、全てのカタチは神様からお借りしている『かしもの』と言えます。

要するに人間一人が神様からお借りしている『かしもの』は、細胞一つから宇宙の果てまで包含する極大なスケールな訳です。

人間には髪の毛一本造ることが出来ません。
人間の技術で植毛することは可能ですが、費用は高額で何十万円と掛ってしまう上に、抜けたら最後、植毛費用はかさみ続ける一方。

それに比べて地毛は抜けても自然と生えるのでメンテナンスの必要は一切ありません。
なんて便利で有り難い守護の仕組みなのでしょうか?

髪の毛一つとって見ても、神様の守護は至れり尽くせり。

もし人間が人体を造れたなら、一体費用は幾らくらい掛るでしょうか?
恐らく世界中のお金をかき集めても全然足りないでしょう。
必要なのは人体だけではなく、衣食住、空気、地球、太陽、宇宙も不可欠。
もう人知の及ぶところではなく、正に神秘、神のみ技。
全知全能、神の叡智と能力が創りだした不思議な人体。
それが、心一つに借りている『かしもの』なのです。

さて本題はここから。

 

もし、レンタル料を請求されたら?

神様からお借りしている体、『かしもの』にレンタル料は必要なのでしょうか?

もし神様に『レンタル料を払え!』と請求されたら?
アナタはどんな反応をしますか?

相手は神様だし、大人しく支払いますか?
それとも値下げの交渉をしますか?

私なら断固として抗議し、一番の疑問を突きつけます!

そもそも借りた憶えはありません!
借りる契約にサインした記憶もありません!

世界中の全ての人間が私と同じく、借りた憶えは無いと断言できます。

借りた憶えが無いのは当然です。

だって、『かしもの』は神様の一方的な思惑で貸しているのだから…
そもそも、人間自体が神様の一方的な思惑で創造されているのです。

その理由がこちら

この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

『人間創造の元の理』で明かされた神様の思惑。

“人間の陽気ぐらしを見て、ともに楽しむため”

これは明らかに神様の一方的な思惑であり、私達人間は一方的に『かしもの』を貸し与えられている確かな根拠。

だからレンタル料など払う必要は一切ありません!
そもそも神様はレンタル料などビタ一文請求しません!

人間を喜ばせることは神様の重大な責務。
その責務が集約されたのが『かしもの』なのです。

全知全能の神様が、人間を喜ばせるために編み出した究極アイデア。
それが『かしもの』。
言わば『かしもの』は喜びの宝庫。

ただそよ風に当たり、日差しを浴びるだけで、体は極上の心地よさを感じさせてくれます。
ただ雄大な景色を眺めたり、空に瞬く星々の光を見つけるだけで、体は感動を与えてくれます。
ただ水を飲むだけで、ただご飯を頬張るだけで、体は生きる喜びを感じさせてくれます。
ただ好きな人に触れ、子供の柔肌に触れるだけで、体は生きている意味を教えてくれます。

これが神様の実力。

神様の守護、かしものが本当に理解できれば、全ての人間は例外無く神様に感謝し、創造された喜び、命を与えられた喜び、『かしもの』を借りられる喜びを賛美し続けるでしょう。

 

結論

“かしもののレンタル料は必要なのか?”

答えは勿論“NO!”です。

もし、それでも守護を感じる余り『是非レンタル料をお支払いしたい!』と願うなら、今以上に『かしもの』を意識して、少しでも多く守護の喜びを感じてください。

『かしもの』を喜ぶ貴方の存在こそ、神様にとって最高の瞬間なのです。

“水を飲めば水の味がする”
正しく『かしもの』の味わい。

そんな小さな喜びと思うかも知れないが、神様にとっては巨大な喜び。
途方も無い年月を費やした人間創造。
その全ての思いが日の目を見る歴史的瞬間。
それ程『かしもの』を感じる喜びには価値があるのです。

貴方が喜んで暮らすだけで充分。
充分過ぎるほど神様は嬉しいのです。

それ以外、一体何を神様にお返しすることが出来ましょうか?
神様に与えて頂いた喜びに対して対価を支払うことは不可能です。

でも神様ではなく、人間になら可能です。

神様に与えて頂いた喜びを、今度は身近な人に分け与えてください。
神様のような優しい親心で、身近な人を包み込んでください。

人の喜びを見て共に楽しむ貴方の心を、神様は一番待ち望んでいるのです。

 

おわり

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