よろづよ八首 寿的解説 『そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな』

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よろづよ八首 寿的解説
『そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな』

 

よろづよ八首全文

よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)

 

二首

そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな

それもそのはず、これまで説いて聞かしたことはない。知らないのは無理もないこと。

よろづよの世界一列を見晴らした時、月日の胸の心を分かる者は一人もいませんでした。

なぜか・・・?

それもそのはず、
過去に説き聞かしたことが無かった。
人間が知らないのは無理もないこと。

当たり前のことを説かれているように聞こえますが、この一首を素通りすると大切な理を聞き漏らすことになります。

概要

歴史上、様々な宗教が神託しんたくかかげ、難儀に苦しむ人々に不思議奇跡を施しました。
偉大な宗教家、霊能者、呪術師、祭司・・・
神と崇拝すうはいされ多くの信仰を集める者もいました・・・
だが、この世の真実を知る者が一人も存在しないと言うのです。

天保9年10月26日以前、どれほど神託があろうと、どんなに不思議奇跡が起ころうと、この世の真実を知る道は完全に閉ざされていました。
天保9年10月26日、旬刻限が到来し、教祖が月日の社に定まり、初めて、この世の真実を説き聞かす道がはじまったのです。

知の可能性

そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな

このお言葉は、知の可能性を明確に定義しています。

月日の胸の内(この世の真実)は、月日本人が語らぬ限り、何人なんびとも知る可能性はない。

これまで人類は宇宙、自然、電子、医学など様々な分野で知の領域を広げ、多くの未知にいどみ、不思議と思われていた事象じしょうを次々と解明しました。

日食も昔は「日蝕にっしょく(太陽をむしばむ)」と書かれ不吉ふきつ兆候ちょうこうと恐れられたそうですが、ロケットが月面着陸に成功し、宇宙ステーションに人が行き来する時代に、そんな迷信を真に受ける人はいません。

知に対する飽くなき探究心は留まることを知らず、スマホ、電気自動車、AI家電など、昔では夢のような技術が次々と開発され、天文学は宇宙の神秘に迫り、医学は人体の神秘に挑み続けています。

このまま未知に対する研究が進んだら、いつの日か、この世の真実にまで辿り付き、神の声を聞くことができるのでしょうか?

そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな

答えはNOです。
どんなに人類のが進んでも、分かるのは観測できる範囲まで。
存在が確認できない無形を研究対象にすることはできません。
幾ら形を研究しても、目に見えない月日の胸の内は分からないのです。

この世に起こる全ての事象じしょうは、たった一つの原因から生じた結果。
日食が起こるのも、太陽が燃え続けるのも、地球が自転するのも、ロケットが月に着陸する軌道を計算できるのも、病気を患うのも、治癒できるのも、全ての事象は、たった一つの原因、月日の胸の内から生じた結果なのです。

人間が結果したのは、月日が原因
月日の胸の内こそ、この世の本真実。
世界中、どこを探しても、これ以上の真実には巡り会えません。
人間の本真実である月日の思惑を知ってはじめて、人間は正しく生きることが出来るのです。

無知から生じる悪しき

これまで、月日の胸の内を知らないばかりに、人間は沢山の悪しき心を使い、世の中に悪しき形を蔓延させてきました。
他人と争い、奪い、傷付け、動植物を絶滅させ、自然を破壊し、環境を汚染し、霊長類の頂点として我が物顔で地球を支配してきました。
自分の力、自分の功績、自分の領分、自分、自分、自分中心の悪しき心。
人間が喜ぶために与えた様々な恵みを強欲のままに支配する姿をご覧になった時、神様は何とおっしゃるでしょうか?

環境汚染

旧約聖書の創世記に登場する二つの街「ソドムとゴモラ」は、神に対する多くの罪を犯し、降り注ぐ硫黄の火により滅亡したと語られています。

創世記19章
24 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、
25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。

ソドムとゴモラ

この罪深き人間ども!神の怒りを思い知れ!
ゼウス

そんな怒号を浴びせ、人間を懲らしめるために厳しい罰を与えるでしょうか?
これまで犯してきた人間の所業を顧みた時、その可能生も拭いきれません・・・

しかし、月日はおっしゃいました・・・

慈悲の親

そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな

人間に対し、憤慨ふんがいしたりなげくわけでもなく優しく語り掛ける。
月日の胸の内を知らないのは人間の無知ではなく、教えなかった月日の責任。
その責任において、人間を責める気持ちなど毛頭ないのです。
幼子が花壇を踏み荒らしたのは「花は鑑賞し香りを楽しむもの」と教えなかった親の責任。
月日は人間の親神として、物事の道理を順序正しく説き聞かせくださるのです。

どこまでも慈悲深い人間の親神様。

神話に登場する神々とは大違いですね。
怒ったり、嘆いたり、悲しんだり、嫉妬したり、攻撃したり、極めて人間的な神ではなく、全人類の親として、子(人間)の喜びを見るために全身全霊を捧げる存在。
かんろ台一条に定まる永遠不変の親心。

月日の胸の内に巡り合った時、人間心の暗闇に終止符が打たれるのです。

まとめ

そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな

月日の胸の内は、月日以外に説き聞かすことはできません。

要するに、月日の社である教祖のみかぐらうた・おふでさき
本席様のおさしづ

月日の社、神の機械以外から、この世の真実(月日の胸の内)を知ることは不可能なのです。

月日 ⇒ 教祖(月日の社) ⇒ 本席(神の機械) ⇒ 人間

 


三首
このたびはかみがおもてへあらわれて なにかいさいをときゝかす』はこちら

よろづよ八首 寿的解説 『このたびはかみがおもてへあらわれて なにかいさいをときゝかす』
「これは理の歌や 理に合わせて踊るのやで ただ踊るのではない 理を振るのや」。 みかぐら歌 第四節 よろづよ八首 第三首を寿的視点で解説!

 

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