よろづよ八首 寿的解説 『かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり』

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よろづよ八首 寿的解説
『かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり』

 

よろづよ八首全文

よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)

 

七首

かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり

神が人間世界に現れて何か委細を説き聞くならば、世界一列の人間は勇み立つ

概要

この一首は神様が表へ現れた理由を明かしています。

神様は世界一列を勇めるために現れた。
言い換えれば、世界一列が勇む原動力こそ神様が説く委細

世界一列を勇ませることが、世界たすけであると同時に、かんろ台一条への道。

教組は『おふでさき』で人間創造の理由は「人間の陽気遊山(陽気ぐらし)」が見たいゆえ」と明かされています。

月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから(14-25)

そして『おさしづ』では、「真の陽気とは皆んなを勇ませる」とのお諭し。

明治三十年十二月十一日
これまで艱難の道、今の道互いの道。辛い者もあれば、陽気な者もある。神が連れて通る陽気と、めん/\勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん。陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。めんめん勝手の陽気は、生涯通れると思たら違うで。

神様の言う陽気とは自分勝手の喜びではなく、他人も勇ませる喜び
自分以外に他人も勇ませる喜びとは、一体どんな喜びでしょうか?

自分勝手の喜びとは、自分の得ばかり考える喜び = 続かない喜び
一方、他人も勇ませる喜びとは、他人の得を考え他人と共有する喜び = 生涯続く喜び

自分だけの喜びも難しいのに、更に他人・・・。
しかも他人とは世界一列を含む広大な範囲であり、尚且つ生涯続く喜びなのです。
そんな事が人間に可能でしょうか?

資源には限りがあります。
限りあるパイを自分が得るために、他人から奪い、他人を犠牲にしてきた人間。
もちろん、分け合うことで争いを避ける理性を持っていますが、方法が無くなり極限状態になれば理性は感情に掻き消され、強盗、殺人、戦争など喜びの対極へと流されてしまう・・・

それでは、どうしたら自分だけではなく、世界一列を「勇む心」にできるのでしょうか?

勇む心

そもそも「勇む心」とは何でしょうか?

一般的に「勇む」には「心が奮いたつ。勇気が沸き起こる。はりきる。」など苦難を乗り越え前進する意味があります。
そして正に人類は「勇む心」によって数々の苦難を乗り越え、新しい発見や発明を繰り返し、文明社会を発展させてきた歴史がありますが、中でも戦国時代の合戦、天正3年5月21日の「長篠の戦い」は「勇む心」が勝敗を分ける重要な鍵となりました。

武田勝頼率いる2万の軍勢に対して、長篠城を守る奥平信昌は僅か500の兵。
主君である徳川家康の援軍を要請するも、一向に援軍が到着する様子はない。
援軍が来なければこれ以上戦えない
兵士の士気は下がる一方
そこで家臣の一人、鳥居強右衛門(とりい すねえもん)が援軍の有無を確認するため、武田軍に包囲された長篠城から決死の覚悟で抜け出し、家康の待つ岡崎城へ向う。
長篠から走りづめで岡崎城に辿り着いた鳥居強右衛門は、信長軍30,000と家康軍8,000がの援軍を確認すると直ぐさま長篠城へと舞い戻るが、城の目前で武田軍に捕らわれてしまう。
援軍の存在を知った武田勝頼は鳥居強右衛門に取引を持ちかける。
「城内に向い『援軍は来ない。あきらめて早く城を明け渡せ!』と叫べば、お前の命は助けてやる」
援軍が来ないと分かれば城内の士気は下がり城は陥落する
しかし死を覚悟していた鳥居強右衛門は勝頼の命令に背き「あと二、三日で、数万の援軍が到着する。それまで持ちこたえよ!」と叫んだ。
援軍が近いことを知った貞昌と長篠城の城兵たちは大いに士気を奮い立たせ、援軍が到着するまでの二日間、見事に城を守り通すことができたという・・・

長篠の戦いで勝敗を分けた鍵は「勇む心」でした。
もし鳥居強右衛門が『援軍は来ない。あきらめて早く城を明け渡せ!』と叫んでいたら結果は真逆。
城は陥落し、もしかしたら信長、家康も歴史の表舞台には立てなかったかもしれない。
「援軍が来る!」と叫んだ鳥居強右衛門の言葉に心が勇み立ち、心が勇むことで身体に力が漲り、援軍到着までの日数を踏ん張りきることが出来たわけです。

援軍が無ければ「勇めない」。
援軍が有れば「勇める」。

これは一言で表せば「可能性の問題」なのです。

無限の可能性

援軍が無ければ勝つ可能性が無い・・・だから「勇めない」。
援軍が有れば勝つ可能性が有る・・・だから「勇める」。

なぜ人が希望を持てるかと言えば「可能性が有る」からです。
どんな苦難の最中でも未来に希望を抱けるのは、必ず苦難が終わる「可能性が有る」から。

もし、難病を患い余命3ヶ月と宣告され、3ヶ月以上生きる「可能性が無い」と判明したら、残りの人生を「勇めない心」で暮らすしかありません。

だけど、名医が現れて難病を克服できる「可能性が有る」と分かったら、例え難病の最中にあっても希望に溢れ「勇む心」で暮らすことができるのです。

では、世界一列を勇ませる「なにかいさい」には、どれほどの「可能性が有る」のでしょうか?

結論から言えば「無限の可能性」。
なにかいさい」を聞き分ければ、人間に限界は無くなるのです。

人間の限界

限界がない・・・
まるでSFみたいな話ですが、そもそも限界とは何でしょうか?
再び結論から言いえば、限界とは「方法が無い」ということ。

あきらめたら、そこで試合終了だよ」。
これはバスケ漫画の有名なセリフです。
残り時間僅か・・・望みを失いあきらめ掛けた選手が、コーチのセリフに奮起して逆転勝利する感動のストーリー。
諦めない限り必ず可能性が有る
しかし、これは僅かでも可能性が有るから言えるセリフであって、どんな場面でも使える万能な真理ではありません。
実際にバスケの試合には制限時間という「限界」があります。
試合が終了してしまえば、いくら努力しても可能性はゼロ。

事実として人間には様々な限界があります。

  • 時間の限界(時間の流れに逆らえない)
  • 物理の限界(物理法則に反して動けない)
  • 資源の限界(資源を造れない)
  • 医療の限界(病気の根源を知らない)

限界とは人間の知識を総動員しても「方法が無い」こと。

名医は「方法が有る」から難病を克服できるのです。
現在、新型コロナウィルスで世界中が苦しんでいる理由は、ウィルスを撲滅する「方法が無い」から。
今、ようやくワクチン接種がはじまり一筋の光明が見えてきました。
もしかしたら、これで感染が治まり元の日常を取り戻せるかもしれませんが、例えコロナが終了したとしても、今後、もっと凶悪なウィルスに変異する可能性もあるし、どんな名医も病気の根源を無くすことはできません。
人間を苦しめる悪しき形
病気、貧困、争い、天災地変、ウィルス・・・
消しては現れ、また消しては現れる悪しき形
その根源撲滅ぼくめつしない限り悪しき形に終わりはない。
常に潜在的せんざいてきな不安を抱え、不安が顕在化けんざいかされれば恐れおののき、その度に命懸けの綱渡りで生きるしか術がない現実。

人間には悪しき形を終わらせる「方法が無い」。
だから心の底から勇めない

世界一列が勇む方法

神様が説く「なにかいさい」こそ、世界一列が勇む方法

神様には「方法が有る」。
世界一列を勇ませる方法があるのです。
病そのものを無くし、悪しき形の根源を撲滅する方法があるのです。

方法が無く、限界に苦しみ、勇めない人間を「勇ませる方法」。
それが『つとめ』なのです。

この『よろづよ八首』を含む『みかぐら歌』を唱え、手を振り、鳴り物を奏で、皆揃ってつとめするなら、人間を苦しめるどんな限界も打ち破ることが可能なのです。

りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ(1-14)

このお歌は『つとめ』の効能を明らかにしています。
りうけい(立毛)」は大和地方の方言で「農作物」。
『つとめ』をすることで、日照りや洪水で凶作、不作にならず、「農作物が勇み出る」つまり豊作になると教えられています。
ここでは農作物に例えていますが、農作物に限らず万物が同じ原理。

元々『つとめ』とは無い人間、無い世界を創造した『神様のつとめ』
「無限の宇宙」や「無限の原子」、そして「無限の命」を創造した不思議な創造原理。
神様のつとめ』を、人の世に現わしたのが『かぐらつとめやてをとり』。
人間に教えられた『つとめ』なのです。

教組の教えを信じる者が、朝夕毎日に運ぶ『つとめ』。
『つとめ』に直参するということは、この世の創造原理に参入しているのです。

  • どんな原理で形が創られるのか?
  • どんな原理で37兆個の細胞が纏まり人体が創られるのか?
  • どんな原理で自然の恵みが豊かに創られるのか?
  • どんな原理で天地が穏やかに創られるのか?
  • どんな原理で命が創られるのか?

『つとめ』がその答え。
これまで神秘の彼方にあった『つとめ』が明かされた今、人間に限界はありません。

病気、貧困、争い、天災地変、ウィルス・・・
これまで神様に救けを懇願するだけの人間が、自らの『つとめ』で主体的救けの理を運ぶ道が開かれたのです。

七ッ なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに

悪しき形の根源は人間の心。
神様を知らない人間の心、今さえ良ければ我さえ良ければのむごい心が悪しき形の根源悪の種
『つとめ』で謳われるのは悪しきの無い神様の心
『つとめ』が悪しき形を払い退け、善の種を植え付ける。

善の種があれば善の形が創造される。
病気を治め、貧困を無くし、争いを止め、天災地変を制御し、ウィルスを撲滅する
・・・
無い人間、無い世界を創造した神様に不可能はない。

人間の心に無限の可能性を与える『つとめ』。
私達には『方法が有る』。
だから心が勇み立つ

勇む心」とは創造性に富んだ喜びなのです。

まとめ

かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり

この世の創造原理『つとめ』への直参を許された人間に開かれた無限の可能性。
そして可能性の究極が『かんろ台世界』。

病まず死なず弱らずに115歳の定命を保ち、魂は永遠に生きる。
世界中が万年豊作で自然は豊かな恵みに溢れ、天地は穏やか、人々は兄弟姉妹のように仲睦まじく助け合い、喜び合い、陽気づくめで暮らす超理想世界。

『つとめ一条』で前進する『かんろ台世界』。
かんろ台世界』に向い人間の心は勇み続けるのです。

 


八首
一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ』はこちら

よろづよ八首 寿的解説 『一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ』
「これは理の歌や 理に合わせて踊るのやで ただ踊るのではない 理を振るのや」。 みかぐら歌 第四節 よろづよ八首 第八首を寿的視点で解説!

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