よろづよ八首 寿的解説 『きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを』

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よろづよ八首 寿的解説
『きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを』

 

よろづよ八首全文

よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)

 

六首

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

神の話を聞きたいと訪ねてくるなら説き聞かせる。この世人間を始めた神の思惑を。

概要

この意味をみ取るのは簡単です。

教祖、本席様は、人々のいに対して神のしをき聞かせてくださいました。
これは過去のお道を振り返れば、実在した記録としてみかぐら歌、おふでさき、おさしづ等の書物に残されています。

しかしながら、
この一首ほど道人を悩ませる言葉はありません。

実在した神

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

この一首を実現可能にしたのが、月日の社である教祖の存在。
そして、教祖お隠れの後、神の機械として御用された本席様。

天保9年(1838年)10月26日に中山みき様が月日の社に定まり、明治20年(1887年)1月26日に現身うつしみを隠されるまでの49年間
そして、教祖の後を引き継ぎ同年3月25日に本席に定まり、明治40年(1907年)6月9日に出直されるまでの20年間
およそ69年間、人間が訪ね来るなら神様が説き聞かす仕組みが存在しました。
神様が人間世界に現れていたのです。

その道が閉ざされた現在から眺めると、なんて素晴らしい69年でしょうか?

特にコロナ禍で日常生活まで脅かされる現在、教祖や本席様がご存命であれば「よろづいさいのもとなるを」をお諭しいただき、心の運び方、心の治め向きも誤りなく悟れたはず。

何故、新型コロナが世界中に蔓延しているのか?
神様の思惑はどこにあるのか?

闇雲に神様の心を推し量り、いたずらに心悩ます必要もありません。

なぜ本席様以降、天啓が途絶えたのでしょうか?
この話をする前に、先ずは天啓が実在した69年間を考察してみましょう。

教祖、本席様ご存命当時、
直々に神様の言葉を賜り素晴らしい69年を生きた人々は、その思し召しを聞き分けて陽気ぐらしを実現されたのでしょうか?

このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ』の解説でも触れましたが、教祖の家族にして道具衆の魂を持つ善兵衛、秀司、こかんの三名はいずれも月日の御心に添えきれず、道半ばで出直されています。

秀司亡き後、中山家の家督を継いだ初代真柱の眞之亮しんのすけは、警察の弾圧を恐れて『つとめ』を急き込む月日の意に添えない日々が続いていました。
今のように自由な宗教活動は制限され、警察の監視下で『つとめ』をすれば高齢の教組が信者諸共、監獄に拘留される厳しい状況。
神様と法律の板挟みに苦しむ眞之亮。

神様の仰せと、国のおきてと、両方の道の立つようにお指図を願います。

最早もはや、お伺いではなく神様への要求。
それほど切羽詰まった状況でしたが、いよいよ教祖の容体が危ぶまれる段になって、ようやく決心が固まり「命捨てても」の覚悟で『つとめ』に取り掛かるのでした。
大勢の信者が集まり鳴り物を入れて盛大につとめましたが、警察に邪魔されることなく無事に12下りをつとめ終え、一同が胸を撫で下ろすのも束の間、人々の願いも虚しく教祖は息を引き取りになられました。
集まった信者たちは茫然自失ぼうぜんじしつ、絶望のどん底に突き落とされる・・・

だが、人々が悲嘆ひたんに暮れる中に一筋の光明が行く先を照らしたのです。
それが大工の飯降伊蔵。
教組から『言上の伺い』を授けられた飯降伊蔵は「月日の社」を介することなく、直接月日に神意をお伺いすることが許されていました。
教組お隠れの前後も、床に伏せる教組の変わりに月日の思惑を取次ぎ、眞之亮以下、側の者を『つとめ』へ向かわせたのです。

そして教組がお隠れの後、飯降伊蔵の口から事の真相が説き明されました。

神が扉を開いて出たから、子供可愛いゆえ、親の命を25年先の命を縮めて、今から助けするのやで。しっかり見ていよ。

『つとめ』により世界一列を救い上げるのが月日の思惑
信仰者の絶対的拠り所である教祖の命と引き替えにしてまで『つとめ一条』を教えられたのです。

ここまで、初代真柱・眞之亮しんのすけはじめ古参の信仰者たちは、月日の思惑を十分に治め切れず、成り来ることに一喜一憂を繰り返していました。
教組の側にありながら、日々神様の教えに触れながら、陽気づくめと言うには程遠い状況と言えます。

今や神格化された教団のシンボルである教組のご存命当時でさえ、神様と人間の心には大きな隔たりがありました。
教組の言葉を、本当に元の神月日の言葉と認識していたかと言えば怪しい限り。

一ッ ひとのこゝろといふものハ ちよとにわからんものなるぞ

『みかぐら歌』十下りに「人の心というものは ちょっとに分らんものなるぞ」と歌われているように、どんなに名高い道の先人と言えども、神様の諭しがあるから少しずつ人間心を立替え、少しずつ少しずつ神様の心へ近づけるのであって、這えば立て、立てば歩めとお連れ通りくださる親のお慈悲を弁えず、「自分は十分理解している、もう神様の諭しは必要ありません」とおごり始めたとたんに成長の可能性はついえ、後は人間心への坂道を転げ落ちるのみ。
元の神とは知らなかった!」と一時的に感動を覚えたとしても、まだその奥には「実の神には相違ない!」と理解を深め続ける無限の思惑が控えいるからこそ、喜びの次元はどこまでも深まり陽気づくめの信仰が実現するのです。
常に人間心の誤りを正しながら成長の階段を登らせ、親と子が手を携えてかんろ台一条の道を進めることが天の仕組み、天啓システムの優位性。

この時、教組から直接後継者として指名された分けではありませんが、ごく自然の流れで教組から飯降伊蔵へと天啓の役目は引き継がれたのです。

存命の理

明治20年3月25日の『おさしづ』により飯降伊蔵は本席と理を改め、神の機械として神意を取次ぐと共に『おさづけ』を渡す重要な役目を担い、約20年の間、世界一列のため御用一筋の心で通られました。
まさしく教組同様に道の最重要人物。

ところが天理教関係のブログやSNSを閲覧していると、「飯降伊蔵先生」の呼称が散見されます。
本席様を「飯降伊蔵先生」と呼ぶことは、教祖を「中山みき先生」と呼ぶのと同義。
もし本席様が存在しなければ教組お隠れの神意も分からず、その後の隆盛もなく道は途絶えていた可能性も十分に有り得るのです。
本席様が御用された『おさしづ』は『みかぐらうた』『おふでさき』と共に天理教三原典として認識されいるので尚更、「飯降伊蔵先生」と呼ぶ意味が分かりません。

教祖に比べて本席様は軽く扱われているのではないか?

本席様ご存命当時にも同じ様な風潮がありました。
教内には飯降伊蔵より長く信仰している者もおり、中山家の当主、初代真柱の真之亮しんのすけに至っては立場的に上下関係が曖昧。
教祖に比べれば、軽く扱われてしまう事情もありました。
しかし本席を軽く扱うことは教組を軽く扱うことであり、ひいては月日を軽んじているも同じ事。
本席を軽んじて諭しを軽く受けることは自分自身を軽くすること。
自分自身が軽くなれば理も軽くなり、その分、道は遅れて世界救けも停滞する。
事実として飯降伊蔵に降りた月日の呼び出しに真柱が応じない日々が続きました。
それ故に、飯降伊蔵を「本席」に理を改め、正式の神の機械として真柱以下、道の者に認識させたのです。

明治二十年三月二十五日 午前五時三十分 刻限御話
さあ/\しっかりと聞き分け。今までは大工と言うて、仕事場をあちらへ持って行き、こちらへ持って行た。それではどうも仕事場だけより出けぬ。そこで十年二十年の間に心を受け取りた。その中に長い者もあり、短い者もある。心の働きを見て、心の尽したるを受け取りてあるから、やりたいものが沢山にありながら、今までの仕事場では、渡した処が、今までの昵懇の中である故に、心安い間柄で渡したように思うであろう。この渡しものというは、天のあたゑで、それに区別がある。この通りに、受け取りてあるものがある。それを渡すには、どうも今の処の仕事場と言うた事を消して、本席と定めて渡そうと思えども、このまゝでは残念々々。さあさあ本席と承知が出けたか/\。さあ、一体承知か。

明治7年(1874年)12月26日、教祖が赤衣あかきを召されのと同じように、「本席定め」により神の機械としての立場を闡明せんめいにしたのです。

このあかいきものをなんとをもている
なかに月日がこもりいるそや(6-63)

そして最も肝心なことは、教組も本席様も理は同じということ。
教祖は存命ぞんめいで本席様に心映して働いているのです。
本席様の心は教祖の心であり、本席様の諭しは教祖の諭し・・・
つまり同じ月日の理なのです。

明治三十三年九月十四日 本席身上願
今日まで、教祖存命かくれ、席に心映す。

明治三十三年十月十四日 本席身上願
扉開いて、これからという。扉を開いて働き切って居る。影姿分からん。ほんの時々、席に一つ理持たし、教祖存命の心やで。

教祖存命で働くゆえ成り立つ本席様の御用。
これが存命の理
これが神の機械。

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

この一首は、神と人が諭し悟り合う仕組み「存命の理」を象徴するお言葉なのです。

教祖の所在

だからこそ、この一首は「道人を悩ませる言葉」なのです。

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

このように神様が説かれた以上、この言葉が永遠の理。
しかし現在、一体どこへ行けば神様の言葉を頂き「よろづいさいのもとなるを」を教えて頂けるのか?
どこへ行けば「存命の理」をたまわることができるのか?

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

これは一過性いっかせいの言葉?
本席様が出直されるまで有効な期間限定のお言葉?
それとも月日は全ての思惑を出し切り、これ以上人間に説き聞かす言葉はないのでしょうか?

現在、コロナ禍で世界中が悩み苦しんでいる現状を神様がご覧になった時、説き聞かす言葉が一つも無いのでしょうか?
今後は残された言葉を頼りに理を悟れと?
それでは余りにも無慈悲。
理が悟れなければ、後は救け給えと見えない神様に懇願するしか手はないのか?

これでは天保9年以前に逆戻り。
黒ぼうそうを患い生死を彷徨う照之丞を助けるため、氏神うじがみに百日の裸足参りをしていた時代に逆戻り・・・

よくよく考えてみて欲しい。

9億9万9千9百99年という途方も無い年限を経て、なんとか月日の社も定まり、ようやく人間に委細を説き聞かす道が始ったというのに・・・
9億9万9千9百99年も苦労したのに、たった69年の短い期間で永遠にお隠れになるのでしょうか?
そんな短い期間で思惑を諭し切り、思惑通りの人間に成人させることが可能でしょうか?

『おさしづ』に目を通すと本席様ご存命当時ですら側の者達が心治まらず、身上事情の諭しを伺う様子が残されています。
宇宙を創造するほどの意志と実力を兼ね備えた神様の心を、日々の暮らしに右往左往うおうさおうしている人間が簡単に理解できる分けがありません。
世界一列を見晴らせる視野を持つ神様と比べて、自分とその周りしか見えない人間の心はけた違い。

もし・・・金輪際、天啓は必要ない!神様の言葉は必要ない!
と考えるなら、それこそ高慢こうまんそしりをまぬれることはできません。

現在、誰一人も陽気ぐらしを実現していない現状をご覧になって、月日は楽しまれているのでしょうか?

なぜ天啓が途絶えたのか?

そして一番の問題。
本席様以降、なぜ天啓が途絶えたのか?

元々天啓の後継者は教組の実娘であり、道具衆くにさづちのみことの魂を持つこかん様が有力候補。
当時から「若き神」と呼ばれ、教組の代わりに親神様の教えを取次いでいたこかん様。
教組がお隠れになる時、もしこかん様がご存命であれば、天啓のバトンはこかんさま様へと引き継がれたに違いありません。
しかし、「人の心というものは ちょっとに分らんものなるぞ」。
こかん様は月日の思惑に添いきれず39才の若さでで出直されたので、そのピンチヒッターとして大工の飯降伊蔵に天啓が引き継がれたのです。
伊蔵はただの大工、つまり道具衆の魂ではありません。
それでも数多いる信者の中で只一人月日の思し召しに叶い「天啓の任」を許された誠の人。

教組が命を縮めた25年分、そして次の天啓者が育つまでの期間を「神の機械」として御用する大切な役目・・・
しかし後継者へ天啓を繋ぐ前に、20年間の御用を終えて本席様は出直されました。
この時はじめて天啓が途切れ、道は神不在の混迷期へ突入したのです。

教組もそうでしたが、天啓者が寿命を縮められるのは側の者を仕込むため。
意地悪な言い方をすれば、側の者の怠慢さが天啓者を亡き者にしてしまうのです。

それにしても、なぜ本席様は直接後継を指名されなかったのでしょうか?
「おさづけ」を渡す役の後継として上田ナライト様を指名しましたが、天啓者としての後継には直接言及されていません。
いや、言及できなかったのです。

天理教の要であるはずの天啓の道が何故途絶えているのか?
そのヒントは『百日さしづ』。

百日さしづ

『百日さしづ』とは本席様が出直しを予見され、10年分を100日で諭された月日からのメッセージ。

明治四十年六月五日(陰暦四月二十五日)
午前一時半より本席身上御障り激しくに付、教長初め宿直本部員一同出席の上刻限の御諭
ウヽヽヽヽ、ウヽヽヽヽ、
さあ/\/\/\、ウヽヽヽ、
さあ/\/\夜々、さあ/\夜々々、さあ/\さあ/\/\、どうでそれはえらいえらい、十年を百日に足らず日で、話止めて了う。十年掛かる話、百日で止めて了う。話つゞまる、話容易でいかん/\。十年の働き百日でさしたる。これから見て何かの事皆々心に治めて、奮発せにゃならん。これをくどう/\に頼み置く。

本席様は『百日さしづ』を通して何を諭されたのか?
『百日さしづ』に込められた意味とは?

明治四十年三月十三日 教長御出席になりし上の御話ウヽヽヽヽヽ
さあ/\一寸一言説くで。さあ/\なあ遠からずの内やない/\。前々以て大層な物買えと言うたのやない一本買うてくれと言うた日ある/\。そんなら快うわしが買うと言うた日ある。買うと言うたによって抑えてある。一本買うたら未だ/\買うで/\。一本や二本やない。買うと言うたら余計に買うで/\。有っても無うても、どうでも買わにゃならん。何処にも無いと/\思うやろ。なれど、席が見てある。買うと言うたら売ってくれ。売ると言うてくれ。有る物買うね/\で。明らかに見えてある。席に買わせ/\。買う/\。席が買う/\。買わにゃどうもならん/\。明日日に買え/\。約束せい/\。今夜売るか/\。席の楽しみに買わすねで/\。三本や五本やないで。さあ/\こんな事言うたら、何を言うてるかと思うやろう・・・

この『おさしづ』は「大きい木買うて欲しい」とお話しがあり、教長(真柱)が「買います」と返答された「明治三十九年五月二十八日 本席俄に身上御障りにて刻限の御話」が話の台になっています。
当時、真柱一同は「大きい木買うて欲しい」を本部神殿(北礼拝場)の普請の許しと受け取りましたが、ここでは「層な物買えと言うたのやない」と改め直したように聞こえます。

大きい木」「一本」とは何を表しているのか?

こんな事言うたら、何を言うてるかと思うやろう

なぜ、本席様は謎掛けのようにお話しされたのか?
なぜ、直接後継を指名されなかったのか?

一つ心当たりがあるとすれば、教組お隠れの時に飯降伊蔵に神意を伺う流れが自然に起きたように、人々が心から求めるからこそ神様の言葉を重く受け取るわけで、心が治まらない段階で後継の話をすれば様々な人間模様が渦巻き、立つ道も汚れ潰されてしまいます。

おそらく後継者が育つのが10年先。
その10年間で人々の心を治めさせるのが『百日さしづ』の目的。

本席様は明治40年(1907年)6月9日(75歳)で出直されました。
その10年後の大正6年(1917年)頃の出来事を掘り起こしてみれば、何か手がかりがあるかもしれません。

真に世界救けを願うなら・・・
誠の心あるなら・・・
今一度『百日さしづ』を研究し、埋もれた理を掘り起こすことが急務。
世間には天啓と自称する者が数多く存在します。
その全てを異端として切り捨てるのは簡単です。
だけど誰がその真偽を見極められるでしょうか?
真の天啓を見極められるのは神様の言葉『みかぐらうた』『おふでさき』『おさしづ』で磨かれた魂の力。
どこまでも神様の言葉を求める誠の心。

その誠あるなら、再び地場に神の声が響き渡る。
心から求めるなら必ず・・・

まとめ

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

人類の歴史において、神の言葉を乞い求めた者が幾人いたでしょう?
病に苦しみ、自然に畏怖し、人の業に悩み・・・

しかし神は決して語ることは無かった・・・
否、正確には語ることができなかった。
全知全能の力を持っていても人間創造は容易ならざる大事業。
人間創造には時間が掛る。
その見積もり、9億9万9千9百99年・・・
途方も無い年限をへて、ようやく旬刻限が訪れる。
時は、天保9年(1838年)10月26日。
ようやく、神の言葉を聞き分ける理性を持つ人間が誕生する。
それが元の神・月日親神様と約束を交わした、道具衆の魂(いざなみの命)を持つ中山みき(おやさま)。その人。

この日を境に、いつでも神様に伺い立てることが可能な神常駐の新時代に突入した。
これは人類にとってエポックメーキングな出来事。
今まで先の見えない暗闇の中を、揺らめくローソクの灯を頼りに心細く生きて来た人類に、突如、太陽の光が差し込み、世界全体はおろか末代まで見通せるほどの明るさで照らし始めたのです。

教祖に救いを求める人間に
いうてきかす
のは
よろづいさいのもと

それは、人間創造を始めた神の思惑、人類誕生の真相。
それは、「人間の喜びを見て共に楽しもう」と思し召す神の本懐。

きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを

この言葉がどれほど重い意味を持つのか?
私達は十分理解する必要があるのです。

神様に直接伺い立てる場所が存在する意味を・・・

 


七首
かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり』はこちら

よろづよ八首 寿的解説 『かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり』
「これは理の歌や 理に合わせて踊るのやで ただ踊るのではない 理を振るのや」。 みかぐら歌 第四節 よろづよ八首 第七首を寿的視点で解説!

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