よろづよ八首 寿的解説 『よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない』

よろづよ八首よろづよ八首

よろづよ八首 寿的解説
『よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない』

よろづよ八首全文

よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)

 

一首

よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない

この世の始まりから現在に至るまで、全世界を隅々まで見渡してみても、神の心を知る者は一人も存在しない

概要

旬刻限の到来と共に、人間の面前に現れた月日の心情が歌われています。
同時に、人智では計り知れない「神の視座」をうかがい知ることができます。

神の視座

よろづ(すべてのこと、あらゆること、万事。)は空間的広さ

よろづ 【万】

  1. すべてのこと、あらゆること、万事。

よろづよ(限りなく長い年月。永久。永遠。)は時間的長さ

よろづ-よ 【万代・万世】

  1. 限りなく長い年月。永久。永遠。

よろづよのせかいとは、空間的にも時間的にも全てを包含ほうがんする世界。
これは月日親神様だけが持ち得る視座しざ
人智じんちはるかに超越ちょうえつした全知全能ぜんちぜんのうの神。
実際に人間世界を創造したからこそ発言できるお言葉です。

この世の全て…
永遠の時…
それら全てが含まれる世界。

よろづよのせかい

それが一体、どれくらいの広さで、どれくらいの長さなのか?
どれくらいの大変なことなのか?

人類が観測可能な範囲だけでも、神様が持つ桁違いの能力を伺いうかが知ることができます。

宇宙

わたし達が住む地球の直径は12,742km
そこには約77億もの人間が暮らしています。
とんでもない数ですが、77億人を1箇所に集めると東京都にスッポリ収まるそうです。

次に、地球と宇宙全体の比較。

地球が属する太陽系の直径は約3光年。
kmにすると約30兆km(3,000,000,000,000km)。

その太陽系が属する天の川銀河の直径は約10万光年。
kmに直すと約100京km(1,000,000,000,000,000,000km)。
銀河系は他にも2兆個ほど存在するそうです。

それではお待ちかね、宇宙の直径は・・・
なんとなんと約930億光年と言われています。
kmにすると9300垓km(930,000,000,000,000,000,000,000km)。
宇宙の端から端まで光の速度で約930億年。
光の速度は秒速30万kmで地球を1秒間に7周半・・・
宇宙の大きさは桁違けたちがいですね。

余りにも巨大なスケールにしばし呆然。

人智じんちはるかに超越ちょうえつしています。
宇宙の大きさに比べたら、地球は限りなくに近い極小サイズ。
その中で暮らす人間などに等しい存在。
しかも、なんと、
そんなちっぽけな人間の体も37兆個の細胞で構成されているというのです。
細胞の一つ一つに原子が約20~30万個、その原子げんしの中身はスカスカで原子核げんしかくは原子全体の10万分の1、そして更に原子核の中には陽子ようし中性子ちゅうせいしがあり、それらを構成する素粒子そりゅうしは原子の1億分の1以下・・・

余りにも極大、余りにも極小。
不思議な宇宙、不思議な人間。
でも現実に宇宙は存在し、地球という星に人間は生きています。
不思議の上に成り立つ人間の暮らし。
わたし達は不思議を感じず当たり前のように日常を送っているのです。

これが
よろづよのせかい一れつみはらせど
と発言できる神様の能力です。

えっ?
神様なら当たり前?
神様はそういうもの?

それは単に思考が停止しているだけ。
本気で神様を理解するつもりがないのです。

ここで最も重要なのは、先ほど感じた巨大なスケールを、教祖のお言葉から感じ取ること。

教祖は教えてくださいました。
神様の思惑はかんろ台一条
病まず死なず弱らず115歳定命で陽気ぐらしが人間の到達点。

100年以上も前の教祖のお言葉にリアリティを感じていますか?
陽気ぐらしが実現すると本気で思えますか?
かんろ台一条など途方も無い夢物語・・・そう感じていませんか?

教祖のことば = 神様のことば

教組の発言の主は、全宇宙、全人類を創造した実力を持つ頼もしい存在なのです。

魂の視座

では、少し感受性の翼を広げてみましょう

先ほど感じた巨大なスケールを思い出してください。
神様と同じ視座しざ、遙か460億光年の彼方から世界をながめ、自分を観察してみましょう。

正確無比せいかくむひ勤勉きんべんさで宇宙は運行され、絶妙ぜつみょうなバランスで星々を動かし、地球の109倍ある太陽をちょうど良い距離感に保ち、地上を明るく照らし、暖め、命の火を絶え間なく燃やし、地球に四季折々の恵みを与えて続けているのです
空気、水、穀物、動植物、大地の恵み、山の恵み、海の恵み・・・
溢れんばかりの地球の恵みは、宇宙の存在があってこそ。

宇宙に比べれば無に等しい人間です。
巨大な宇宙の中では塵にも満たない人間に意味はあるのか?
しかし、塵にも満たない人間のために、ちっぽけな人間の喜びを見るために、極大な宇宙から極小の素粒子が一丸となって77億の人間を形作り、全ての命を支えている・・・
神様は全宇宙を支配し、人間一人一人のために宇宙全体を貸し与えているのです。
全ては一人一人の喜びを見て共に楽しむため。

感じましたか?
自分という存在の巨大さを・・・
教祖の言葉が持つ巨大なスケールを感じ取れましたか?

人類の想像を遙かに超えた存在が、教祖の口を通して語り掛けている衝撃。

神様の実力をもってすれば、かんろ台は現実味のある話だと思いませんか?
まさに全知全能の存在が、一人一人の人間を全力で守護し、かんろ台一条の道をお連れ通りくださるのです。
こんな頼もしい神様に守られている自分なら、かんろ台一条も夢じゃ無いと思いませんか?
神様から感じる無限の可能性。
それが教祖の言葉に秘められた無限のポテンシャル。

この無限のポテンシャルを感じ取れるのが「魂の力」。

魂の力

個人というせまい肉体を離れ、心一つで全宇宙をけ巡る魂の力。
魂は神の分け御霊みたま

神様と同じ視座、同じ性質、無限の感受性を持つ魂。
魂の感受性が極まれば、神様が与えたまう全ての守護を感じ、無限の喜びを享受できる。

魂の感受性をみがくのが教祖の言葉。
これまで今さえ良ければ我さえ良ければと、我が身思案で生きてきた人間。
人間思案のほこりうももれていた魂をさぶり起こす神の声。

人間は、自分の痛みには敏感びんかんでも他人の痛みには鈍感どんかん
鈍感な感受性でも、他人と同じ痛みを体験することで、まるで自分の痛みのごとく感じ取れる。
家族の痛み、親族の痛み、友達の痛み、隣人、隣町の人、隣の県、隣の国…
感じる対象はどこまでも拡大していく。
感受性は無限。
感受性が磨かれれば、教祖の一言から、目には見えない巨大な神の姿が感じられる。
感受性が極まれば、やがて世界一列まで意識が届く。

極大の宇宙から極小の素粒子まで、未知の領域を観測可能にしたのは、くなきへの探究心。
真実へのくなき探究心。
しかし、人間の叡智えいちで真実を求めるには限界がある。
目に見える形は観測できても、目に見えない神の心を知ることはできない。
天保9年10月26日に月日の社が定まるまで、真実を知る可能性は閉ざされていた。

今は有り難い時代。
教祖の言葉に触れれば、いつでも真実に向き合える。

よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない

それは遙か460億光年の彼方、今も膨張し続ける宇宙の向こう側から、77億の人間の心を見通し、語り掛ける神様の言葉。

神様の視座なのです。

まとめ

よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない

教祖のお言葉を知った今でも、神様の胸の内が本当に分かったと言えるでしょうか?
これは今のわたし達にも十分当てあてはまるお言葉です。
月日の心を知らない…
いや、知っていても、真実として受け止め切れない汚れた魂。
人間心(我が身可愛い)の歪んだ視座から世界を眺め、世界の意味を曲解してきた人間。

教祖の言葉が分かるとは、神様の視座に立つということ。
教祖の言葉は、自分の魂に目覚め、その魂を磨くためにある。
魂こそ真実の自分。
魂の視座に立つ者は、神様の視座から世界を読み解き、感じ取り、一点の曇り無い喜びの答えを出せるのです。

いつでも神様はわたし達の心を見晴らしている。
今も尚、9億9万9千9百99年前と変わらぬ思いで、世界一列を見守っているのです。

 

*現在の宇宙年齢は138億年と推定されていますが、元の理では人間創造から天保9年10月26日までの期間が9億9万9千9百99年と教えられています。9億9万9千9百99年とは「果てしなく長い年限」を象徴した言葉だと考えてください。
もしかしたら…
宇宙には、人類の計算が通用しない不思議な工程が隠されているかもしれません。

 


二首
そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな』はこちら

よろづよ八首 寿的解説 『そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな』
「これは理の歌や 理に合わせて踊るのやで ただ踊るのではない 理を振るのや」。 みかぐら歌 第四節 よろづよ八首 第二首を寿的視点で解説!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました