よろづよ八首 解説
概要
『みかぐら歌』第二節では、神様の思惑が「ちょとはなし」として語られています。
ちよとはなしかみのいふこと
きいてくれあしきのことは
いはんでなこのよのぢいと
てんとをかたどりてふうふを
こしらへきたるでなこれハこの
よのはじめだし
(なむてんりわうのみこと)
「ちょとはなし」とは神様の思惑全体を掻い摘まんだ話し。
神様が話したい全体のほんの触り。
しかし当然、「ちょとはなし」だけで神の神意を伝えることは出来ません。
『よろづよ八首』から『十二下り』までは、「ちょとはなし」に対する「詳細な話」。
人間創造の元始まりから9億9万9千9百99年(途方も無い年限の意)、ついに約束の旬刻限を迎え、中山みき様を『月日の社』として神が人間世界に現れたのです。
満を持して現れた神様は一体何を語るのか?
もちろん神様が目指すのは人間の陽気ぐらし。
『よろづよ八首』から『十二下り』では、全人類を陽気にする『理の歌』であり、陽気ぐらしを完成させるための手引書と言える内容です。
その中でも『よろづよ八首』は元の神、実の神、月日親神様の宣言。
- 何故に神が現れたのか?
- 神は人間にとって何か?
- 神は何をもたらすのか?
神様は人間の悪しきを払い、救けるため、その胸の内を高らかに宣言するのです。
全文
よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)
一首
よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
二首
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
三首
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
四首
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
五首
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
六首
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
七首
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
八首
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
まとめ
なむてんりわうのみこと
海の幸、山の幸、様々な食物に果物、喉を潤す水、胸一杯に広がる空気・・・
数え切れないほどの自然の恵みに溢れた人間世界。
人間には絶対に創れない不思議な賜・・・
世界は神様の守護で溢れているのに、なぜ人間は喜んで暮せないのでしょうか?
こんなに喜べる与えに満ちているのに、どうして陽気ぐらしが出来ないのでしょうか?
答えは簡単。
神様の心を知らないから。
神様の守護を知らないから。
神様の親心を知らないから。
神様の心を知っている誠の心が清水なら、神様を知らない人間心は泥水で汚れているのです。
神様の心を知らぬ故に人間心が作り出した泥水。
即ち「人間思案」。
- 体は自分のモノ
- 自分の力で生きている
- 今さえ良ければ我さえ良ければ
- 一寸先は暗闇
- 神など存在しない
この人間思案が不足・不安を力尽くで満足・安心に変えるため、争い、奪い、殺し合い・・・
喜べない悪しき形を生み出し、自身の人生に暗い影を落とすと同時に、世界を混沌と不条理に作り替えてきたのです。
なむ
絶対の信を捧げ一つになる。
元々、人間は「神と一体」なのです。
大抵の人は「自分の身体」と信じて疑いませんが、教えの理に従えば「身体はかりもの」。
つまり「身体は神様そのもの」。
「手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮」
それは血流となって身体の中を駆け巡る神様の姿。
身体の温もりは神様の温もり。
心臓の鼓動は勇み続ける神様の意志。
人間の力ではコントロール不可能な不思議なかりもの。
人間は心一つの存在。
その心一つで「南無天理王命」と唱える時、心身(神)一体。
神様と一つになる絶対的安心。
溢れ出す幸福感。
神の子として神様と一つになり、一つの目的を共有し『かんろ台世界』の普請に勇み立つ魂の目覚め。
そんな人間をご覧になり
よしよし
と安堵する親神の心。
これで『よろづよ八首』の解説を終わります。
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