天理用語の解説 『理の歌』

理の歌天理用語の解説

天理用語の解説 『理の歌』

『理の歌』とは?

これは理の歌や
理に合わせて踊るのやで
ただ踊るのではない
理を振るのや

理の歌』は、教祖おやさまが十二下りの手踊りを教えられた時に諭されたお言葉です。

月日の社である教祖の口を通し、月日親神様は『つとめ』で歌われる『みかぐら歌』を『理の歌』と諭されました。

つとめの手がぐにゃぐにゃするのは
心がぐにゃぐにゃしているからや
ひとつ手を間違まちごうても
よろしくない

このつとめで
命の切り替えするのや
大切なつとめやで

命の切り替えするほど大切な『つとめ』で歌われるのが『理の歌』。

  • 校歌の目的:学校への帰属感や連帯感を高めること。
  • 社歌の目的:社員の労働意欲向上。
  • 軍歌の目的:兵士の戦意高揚。

歌
それでは『理の歌』の目的とは?
なぜ教祖は『つとめ』の歌を『理の歌』と諭されたのでしょう?

『理』とは?

理の歌』を知るには、『』の意味から紐解ひもとく必要があります。

一般的に理とは以下の意味で用いられています。

り【理】
物事の筋道。ことわり。道理。
㋐不変の法則。原理。理法。「自然の理」
㋑論理的な筋道。理屈。ものの道理。「理の通らぬ話」「理を尽くす」「盗人にも三分の理」

神様が語る『』も、ほぼ同様の意味で使われています。

神様が語る『』 = この世の道筋、道理、法則

しかし、一つ決定的な違いがあります。
それは、
理を定めた張本人が神様
という点。

  • 道筋 = 神様が定めた道筋
  • 道理 = 神様が定めた道理
  • 法則 = 神様が定めた法則

この様に理の主体神様自身です。
人間が生まれる前から『』は定められ、常に『』の中で生きているのです。
いかに人間の視点から不条理ふじょうりに感じることでも、神様の視点では条理じょうり
この点をしっかり心得ておく必要があります。

』とは月日親神様が定めた理。
人間世界を遍く支配する絶対不変の法則であり、その中身も明確に定められているのです。

定められた理

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。
たった一つの心より、どんな理も日々出る
(おさしづ 明治二十二年二月十四日)

人間創造を始める時、月日親神様は『』を定めました。

  1. 身はかりもの = かりもの
  2. 心一つが我がもの = 心自由
  3. どんな理も日々出る = 心通りの守護

1.かりもの
身体は神様から借りているもの。
身体は神様だけが自由に使える神様もの。
身体が神様のもなら、身体に付随する衣食住、環境、地球、太陽、宇宙・・・
この世の形あるもの全てが神様のもの。
人間がいくら心を使ったところで形はピクリとも動きません。

2.心自由
心だけが自由に使える人間のもの。

3.心通りの守護
身体は心通りの守護で動くのです。
神様が心を受取り、心通りに守護するから身体を含め、その他一切の形が動くのです。


これが一個の人間を成り立たせている『三大原理』。
三大原理』は人間が人間であるための基本原理です。
私達は、この『』のお陰で生命活動を営むことが出来るのです。

三大原理』を定められた理由・・・

それは勿論もちろん、人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむため。

人間の陽気暮らしを見て共に楽しむ

人間が神様の守護を喜んで暮らせば、その喜びの心通り喜びの形を守護できる。
そうなれば、『三大原理』は喜びの永久機関となり、人間が難儀不自由することはない。

永久機関
これが理を定められた神様の思惑

『理の歌』の目的

しかし、現実は神様の思惑裏腹うらはら
神様の思惑を知らない人間は、喜び以外の心を沢山使うので、世の中には喜べない形(病気、貧困、争い、災害、疫病など)が蔓延まんえんし、難儀不自由な生活を余儀よぎなくしている。
陽気ぐらしには程遠い人間世界の現状。

心配

どんなに神様が心通りの守護をしても、喜ぶどころか不足不安の心で守護に文句を言う毎日。
喜ぶのは、自分の願いや都合が叶った時だけ。
このままでは、世の中から「喜べない形(守護)」が無くならず、難儀不自由も永遠に続きます。

そこで神様は考えました・・・

人間が常に守護を感じ、常に喜びの心で暮らすにはどうしたら良いか?

三大原理』を喜びの永久機関にするための良いアイデアはないか・・・・・

そうだ!
人間がいつでも陽気に成れる『理の歌』を作ろう!

喜べない心を直ちに治め、いつでも喜べる心に成れるように『つとめ』の歌に『』をしるそう!

不足不安、今さえ良ければわれさえ良ければのむごい心、その他一切の喜べない心を使わないで済むように『理の歌』をとなえさせよう!

と語られたかどうか?
それは定かでありませんが・・・

兎にも角にも。
『つとめ』に励むだけで陽気になれる『理の歌』が人類に公開されたのです。

つまり『理の歌』の目的とは、歌う者の心を陽気に満たすこと。
理の歌』とは、唱えるだけで陽気ぐらしを実現する陽気ぐらしの歌なのです。

理の歌 = 陽気ぐらしの歌

理に合わせて踊る

理に合わせて踊るのやで

理の歌』が『陽気ぐらしの歌』ならば、
理に合わせて踊るとは、理に『心』を合わて踊ること。

つまり

陽気ぐらしの心で踊る

と言うことなのです。

これは、理の習得を意味しています。

いくら『』を知っていても、理を習得しなければ「絵に描いた餅」。
知っているだけでは、陽気ぐらしの心で踊れません。

理を習得するから、理を使える。
理を使える
からこそ、陽気ぐらしを実践できるのです。

『みかぐら歌』は、子供でも読みやすい平仮名表記ひらがなひょうき、楽しい数え歌、そして馴染みやすい和歌体など、たいへん覚えやすい工夫が施されているので、鳴り物が奏でる音に合わせて唱え続けるだけで、無理なく自然に意味が心に染みこみます。
お歌だけではありません。
手の振り方、足の運び方、一つ一つの動作が歌と連動し、心身一体しんしんいったい理を習得できる仕組みになっています。

つとめの手がぐにゃぐにゃするのは
心がぐにゃぐにゃしているからや
ひとつ手を間違まちごうても
よろしくない

これは一見、踊り方のご注意に聞こえますが、大切なのは心の治め方

しっかりと理を習得しなければ、心に芯が通りません。
芯の無い心はぐにゃぐにゃと乱れます。
喜んだり、嘆いたり、不足したり、心配したり・・・
とりとめのない心は、暮らしを心通りにぐにゃぐにゃと乱します。
暮らしを乱し難儀不自由するのはよろしくありません。
『理』を心の芯に定めれば、陽気という芯の通った心で暮らせる・・・

このように教祖は諭されているのです。

仕事のこと、夕飯の献立やら上の空で『理の歌』を唱えるのではなく、しっかり理の意味を噛みしめ味わいながら『つとめ』させていただくことが、理の習得の一番の近道なのです。

理を振るのや

ただ踊るのではない
理を振るのや

ただ踊る・・・
ただ理を習得するだけではない。

理を振るのや

と諭されている。

理を振る・・・
「振る」とは動作・・・つまり、動きです。

おうぎを振ると・・・風が動く。

理を振ると・・・「?」が動く???

理は
1.かりもの
2.心自由
3.心通りの守護

この中で唯一振ることができるのは?
そう、人間が唯一自由に動かせるのは 2.心自由 です。

よって、理に心を当て嵌めると・・・

『心』を振ると・・・『心通りの守護』で『かりもの』が動く。

つまり、理を振るとは・・・

理を信じて心を使うこと。理の実践。

何に対して?

理の歌』は『つとめ』の歌。

もちろん、『つとめ』に対して理を実践するのです。

誠の種を蒔く

『つとめ』に対して理を実践すると言われても、イメージしにくいかと思います。

七下りでは『つとめ』を田地に置き換えてイメージしやすく諭されています。

八ッ やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる

屋敷(つとめ場所)は神の田地やで、蒔いた種は全て生える

田んぼ

『つとめ』に対して理を実践する・・・これは神の田地に種を蒔くこと。

要するに『理を振るのや』とは『神の田地に種を蒔く』ことなのです。

理を振るのや = 神の田地に種を蒔く

理の歌』を唱える喜びの心が『』として蒔かれているイメージ。

種蒔き

喜びの種を蒔いているイメージを抱き、勇んだ心で『つとめ』に直参し、沢山喜びの種を蒔いてください。

ん?ちょっと待ってください。
蒔いた種は全て生えるなら・・・
守護を願えば種になり、願い通りの守護が生えてくるのでしょうか?

『つとめ』に運ぶ心によっては、種になる心とならない心があります。

四ッ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから

欲があるなら止めてくれ、神は受け取ることが出来ないから

守護を願うのは、今の与えに満足していない証拠、不足の心。
不足の心は、守護が足りないと感じる欲の心。
九下りでは「欲の心は神様は受け取らない」と諭されています。
つまり、いくら欲の心で守護を願っても種にはならず、神の田地に生えることはありません。

更に、欲の心とは、教えられた理をわきまえずに自分の欲求だけを押し通す心。

六ッ むりなねがひはしてくれな ひとすぢごゝろになりてこい

無理な願いはしてくれるな、一筋心になりてこい

こう教えられているにも関わらず、

無理な願いではありますが、何とぞ病気を治めてください

祈り
と、無性やたらに願い出るのが欲の心。
欲の心は理の無い心。

七ッ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする

何でもこれから一筋に神に凭れて生きまする

神に凭れるとは、
理の歌』の理に凭れること。
』に心合わせることで、心が治まり、安心して陽気に成れた心が神に凭れた姿
まるで、母に凭れる子のように。

親に凭れる

一筋心とは、
今後、何があっても神に凭れて生きる心。

これが理の通った心。
これが誠の心。

誠の心が『誠の種』。

欲の心は種になりませんが、
誠の種』は必ず神様が受け取り、全て生えてくるのです。

そして『誠の種』を神の田地に蒔くと生えてくるのが『真実の救け』。

四ッ ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや
五ッ いつもかぐらやてをどりや すゑではめづらしたすけする

ようこそつとめに着いてきた、これが真実の救けになる
いつも神楽づとめ、手踊りで、世界一列を救ける

真実の救け』とは、
病気、事故、争い、災害、疫病など、人間を苦しめる全ての難儀不自由を治める究極の救け。
自分一人が救けられるわけではありません。
自分一人が救けられた実績は、世界に通用し、世界一列を救ける大元おおもとになるのです。

本席様
本席様

誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。
(おさしづ 明治二十三年一月十日)

誠の種』は直ぐに受け取り直ぐに返す。
誠の種』は直ぐに生える。

理の歌』を唱える者は『真実の救け』に与る者。

これが『理の歌』の真実。

理の実践

理の歌』は『つとめ』の時ににだけ唱えるのでしょうか?
いえいえ、『理の歌』は日々の生活に発揮されてこそ、真に身に付いた証拠。

例えば・・・
他人から悪口を言われて気分を害し、心が治まらない時・・・

一ッ ひとがなにごといはうとも かみがみているきをしずめ

人が何ごと言おうとも、神が見ている気を鎮め」。

四下りの『』を唱えると・・・

他人が悪口を言ったのではない。
世界は鏡。見るも因縁、聞くも因縁。
私の心に巣くう悪しきを神様が見せてくださったのだ。
私も心無い言動で他人を傷付けていたのかも知れない。
悪しき心を使わないように救けてくださったのだ。

『みかぐら歌』の通りに、治めた心が『誠の種』になり、神の田地に蒔かれる。

そして、蒔いた種が実り・・・
他人から優しい言葉を掛けられるようになる。


例えば・・・
他人が困っているのに、自分の得ばかり考えている時・・・

六ッ むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい

五下りの『』を唱えると・・・

他人が困っているに、自分の得ばかり考えることは酷い心。
酷い心は悪しき種にしかならず、結果的に自分が困るだけ。
自分の得を考えずとも、神様に凭れて通れば難儀不自由しないのだから、他人を救ける優しい心になろう。

『みかぐら歌』の通りに、治めた心が『誠の種』になり、神の田地に蒔かれる。

そして、蒔いた種が実り・・・
他人から救けられ難儀不自由しなくなる。


例えば・・・
急に具合は悪くなり不安で青ざめた時・・・

十 ドこのたびあらはれた やまひのもとハこゝろから

十下りの『』を唱えると・・・

かりものの理を忘れ、自分の力と勘違いし高慢になっていた。
その結果、守護に鈍感な陰気な心で、周りに威張りちらし嫌な思いをさせた。
身上にお仕込み頂いたお陰で、身体はかりものと思い出した。
仕事ができるのも、周りの人も、全てかりものと心得て、神様の守護に守られた日々を実感し、陽気な心で通らせていただこう!

『みかぐら歌』の通りに、治めた心が『誠の種』になり、神の田地に蒔かれる。

そして、蒔いた種が実り・・・
身上はいつも壮健で、心は何時も自由に使える。

誠の種』の種が蒔ければ、後は理の通り。
喜びの心喜びの与え理の必然

理を振るのや

これが『理の歌』の効能。

まとめ

理の歌』は『つとめ』の歌。

このつとめで
命の切り替えするのや
大切なつとめやで

この世は『』の世界。
神様が定められた理に支配された世界。

理をわきまえず、欲の心、酷い心、不足不安の心・・・
これまで通り人間心のままなら、どんな因縁が現れても文句は言えない。
心は自由なので好き勝手に言えますが、理の世界に生きる以上、文句では何も解決しません。
全く以て非建設的な行為であり、結果的に理を粗末に扱っているのです。
理を粗末に扱うことは、命を粗末に扱うも同じこと。

理の歌』に心合わせて理を振り、
神の田地に『誠の種』を蒔く。
蒔いた種は、世界中に陽気ぐらしの実と成って生えてくる。

『つとめ』とは、日々陽気ぐらしの世界を普請していも同じこと。

人間創造は月日親神様のつとめ。
ならば日々の『つとめ』とは人間自身による陽気ぐらしの創造

おやさま
おやさま

これは理の歌や
理に合わせて踊るのやで
ただ踊るのではない
理を振るのや

理の歌』を唱えれば即実現する陽気ぐらし
陽気ぐらしする人間』は『理の歌』から生まれ出る。

これで『理の歌』の解説を終わります。

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