異端と言う勿れ3 – 天理教は正道なのか?

異端と言う勿れ3 天理の考察

『異端と言う勿れ』もシリーズ化し、ついに第三部に突入!

今回は『天理教は正道なのか?』をテーマにお送りします。


Part1,Part2に記事を併せて読んでいただくと全体の趣旨が理解できると思います。
以下、参考記事。

異端と言う勿れ - おやさまは異端に厳しかったのか?
今回は天理教の異端問題について考えを述べたいと思います。この記事を投稿する動機になったのが、SNSに定期的に流れてくる下記のポスト。『おやさまは異端にだけは厳しかった』このポストを要約すると、『異端に厳しく対応するのが、おやさまのひながた』...
異端と言う勿れ2 - 神の名を借る悪魔
今回も前回に引き続き天理教の異端問題について考えを述べたいと思います。前回は『おやさまは異端に厳しかったのか?』をテーマに、天理教の異端問題を掘り下げました。メインテーマである『異端と言う勿れ』とは、筆者自身が異端問題に日頃から抱いている感...

第三部を書く動機になったのが、X(旧twitter)で筆者宛て届いたポスト。

せんたん

筆者を異端と見做す方から『早く正道に戻っておいでー』と言われ、『ん?現天理教って正道なのかしら?』と疑問に感じたのが始まり。

現在お地場に本部を構え、教団規模も最大、世間に認知されている点から見ても、現天理教団が主な勢力に間違いないと思います。
ただ『正道』と言われると首を傾げてしまいます。

何故なら、私が考える『正道』とは『教祖(おやさま)の教えを正しく受け継ぐ』ことであり、天理教の歴史を紐解くと、現天理教団を正道と位置付けるには一考の余地があるからです。

その根拠となるのは、またしても筆者の愛読書『劇画 教祖(おやさま)物語』。

劇画『教祖物語』

読んだ人なら分かると思いますが、そこには教祖(おやさま)に逆らい続けてきた先人達の姿が克明に描写されています。

慶應三年、外部の弾圧から逃れ天下晴れて布教をするために、教祖の長男である秀司は「吉田神祇管領」へ公認の願いに出ようと画策する。
その際に教祖(おやさま)は…

この屋敷の神は元の神、実の神や。吉田神祇管領の配下の神ではない。そんな願いに出るのやない!
『劇画 教祖(おやさま)物語』より

このようにハッキリと反対の神意を示された。

それでも秀司は耳を貸さず公認へと動き出す。
この時、教祖(おやさま)は以下のように諭されています。

吉田家もえらいようなれども一の枝のごときものや。枯れるときもある。
『劇画 教祖(おやさま)物語』より

そして、教祖(おやさま)の言葉通りに吉田神祇管領が廃止になると、今度は新政府に公認を願い出ようと動き出す。
そこでも教祖(おやさま)は…

そんなところへ願い出るのやない。親神様にもたれていけば案ずることは無いのやで。
『劇画 教祖(おやさま)物語』より

このように『親神様にもたれていけば案ずることはない』と理を諭されました。

しかし、その後も教祖(おやさま)への反抗は続き…

ある時は教祖の意に反して、風呂屋と宿屋を経営するために県庁へ許可を申し出る。
ある時は教祖の意に反して、地福寺の看板を借り「転輪王講社」と名乗る。
ある時は、「親神様のおおせと国のおきてと両方の道のたつようお指図おねがいします」と教祖に要求する始末。
『劇画 教祖(おやさま)物語』より

天理教の歴史を振り返ると、教祖(おやさま)の言葉を信じられず、人間の都合を立て、目先の安住を求め続けた道中が伺えます。

『神の社』である教祖(おやさま)に対してもこの有様なのだから、本席様に至っては言わずもがな。
道の先人と言えば聞こえはいいが、親神様のお慈悲でギリギリのところをお連れ通り頂いていたのです。

そして最大のターニングポイントと言える第三章『扉開いて』でも、初代真柱中山眞之亮をはじめとする側の者の葛藤が描かれています。

つとめをすれば九十歳の教祖が牢獄に入れられる。
つとめをしなければ教祖の身上が厳しくなる。

親神様の急き込みと法律の板挟みに合い苦悩する一同。

しかし、教祖(おやさま)の身上がいよいよ差し迫り、漸く決心した眞之亮は『わたしは心を定めました。命がけでおつとめをさせていただこう!』と皆に伝える。

命捨てても

『命すててもという心の者のみやらしてもらいましょう!!』

勇ましい決意表明。
眞之亮一世一代の見せ所!
これぞ天理教史上最高の名シーン!!

ですが…
これって『心を定めた』のでしょうか?

命懸けで親神様の思いに答える…
と言えば誠のように聞こえますが、『命懸け』の心境は教祖の諭された『親神様にもたれる』とは明らかに異なります

親神様にもたれていけば案ずることはないのやで
『劇画 教祖(おやさま)物語』P351

『もたれる』から生じるのは『安心』です。
親神様にもたれて安心してるのに、どうして『命掛け』になる必要があるのでしょうか?

これは『心定めた』ではなく、『行動を決断した』だけ。

『心定める』とは親神様の心に全般の信頼を置いた状態。

もたれる = 安心

つとめをすれば高齢の教祖(おやさま)諸共もろとも屋敷の住人が監獄に拘留される。
この不安が先案じを生み先案じするが故に『命掛け』という言葉が口からこぼれ出る。
つまり、眞之亮は心を定めたと言いながら、教祖(おやさま)の言葉を信じきれず親神様にもたれていないのです。

六ッ むりにでやうといふでない こゝろさだめのつくまでハ
『みかぐらうた』九下り目

無理に出ようというでない 心定めのつくまでは』と歌われるように無理を押しての勇み足

目に見えない親神様よりも、目に見える確かな形を頼りに、目先の安住を求め続けた先人達。
この傾向は本席様お出直し後の、天啓者不在の時代に入り益々顕著になります。

大正10年(1922)の倍加運動に代表されるように、教会を増やせ!教徒を増やせ!教師を増やせ!兎にも角にも教勢拡大を信仰の最優先事項とし、路傍講演、神名流し、戸別訪問など実働による布教活動こそ誠ともてはやされたのです。

おさづけをいただきながら、おたすけができぬようでは道の落第者である!!
みなさんは道の落第者にならぬように心がけねばならぬ!!
『劇画 教祖(おやさま)物語』

四百万ある信徒を倍の八百万にし二十万の教徒を四十万にしッ
二万の教師を四万にしッ
四千五百の教会を九千にするのでありますッ
すべての面で勢力を二倍に同化しようというのでありますッ
『劇画 教祖(おやさま)物語』

みかぐらうたは真実者の行進曲であり勇ましく手踊りを舞い進むところに陽気ぐらしが実現するのでありますッ
天理教布教師はこぞって街頭に立てッ
巷にいでよッ
そしてその声を高くして天理の神名をとなえよッ
『劇画 教祖(おやさま)物語』

日本国民八千万人全部をおさづけ人としてしまおうではありませんか!
本教には一万人の教会長と二十万人のおさづけ人がいるッ
これが月に一人ずつ別席人をこしらえれば決して難しいことではない!
『劇画 教祖(おやさま)物語』

息をのむような迫力の描写。
天啓者無きあと、先人達の主張は一貫しています。
教勢の拡大

考えるより身体を動かせ!
実働こそ誠!
数字こそ真実!

目標帰参者○○○人、目標お供え額○○○万円、教勢拡大こそ教祖のご恩に報いる道!

まるで厳しいノルマを課すブラック企業のごとく檄を飛ばし、信徒を実働へと駆り立てる。

『心定め』とは、お供えの金額、ひのきしん・路傍講演の数、戸別訪問・パンフレット配りの件数等の目標を設定することではありません。
やるか? or やらないか?
これは『心定め』ではなく決断の問題。

決断する際に心の良し悪しは問われません

渋々や嫌々でも決断できる。
ノルマや仕事と同じ感覚でも決断できる。
打算や欲深い心でも決断できる。

つまり心の状態に関わらず、教勢拡大の為に実働する姿こそ誠と評価されるのだから、もはや『心定め』に心は問われないのです。

月日の社である教祖(おやさま)には反抗し続けた挙句、本席様出直し後には目の上のたんこぶが消えたとばかりに人間心でやりたい放題、人間様の天下。
穿うがった見た方をした訳でもなく、『劇画 教祖(おやさま)物語』を素直に読むだけで、先人達のやっちまった感が伝わります。

筆者の目的は、先人達の道中をあげつらい批判したい訳ではなく、この様な歴史的側面を謙虚に受け止め、その延長線上に聳え立つ天理教団の現状を心得るべきでは?と問いているのです。

そして最も論じたいのが『心定め』の難しさ

これは信仰している各々が痛感していると思いますが、自分の心はそう簡単に変わらないし、これまで慣れ親しんできた人間思案・癖性分を、親神様の心へと立て替えることは容易な作業ではありません。
この『心定め』の難しさが『劇画 教祖(おやさま)物語』に歴史的事実として綴られているのです。

教祖出直しに先立ち、飯降伊蔵の扇の伺いにより伝えられた神言からも、なかなか心が定まらないそばの者の様子を伺い知ることができます。

さあさあもう十分詰み切った。
これまで何よりの事も聞かせ置いたがすっきり分からん
何程言うても分かる者は無い。
これが残念。
疑うて暮らして居るがよく思案せよ

さあ神が言う事嘘なら四十九年前より今までのこの道続きはせまい
今までに言うた事見えてある。
これで思やんせよ。
さあ、もうこのまま退いて了うか納まって了うか。
『劇画 教祖(おやさま)物語』P595

この頃は未だ『道半みちなかば』だから仕方がない?
後々の『話の台』だから仕方がない?

この様に捉える方もいると思いますが、これだけ長い間、教祖(おやさま)と時間を共にしたそばの者達でさえ『疑うて暮らして居る』と言われ、若き神と言われた教祖の実娘こかん様でさえ、親神様の思いに心定めることが出来ず出直されているのです。

今の私達は教祖(おやさま)・本席様を知らない世代。
当時、お側で仕えた方々でも難しいのに、現在、親神様の啓示を頂けない私達に『心定め』が出来るでしょうか?
教祖(おやさま)の教えに曇りない信仰が可能でしょうか?

天理教の人達は、心が定まらない半人前の状態を『道半みちなかば』と表現しますが、もし道の途中で親神様の天啓が途絶えたら?
もし長い旅の途中で行く道を示す地図が途切れたら?
私達はちゃんと目的の地に辿り着けるのでしょうか?

立教から180年以上も理を積んだはずなのに、未だ『道半みちなかば』と自嘲する信仰者の姿は、謙虚でも低い心でもなく誤魔化しの『免罪符』で牽制しているように映ります。

教祖や本席様の諭しに逆らった過去があったとしても、天啓が続いていれば心得違いを修正することは可能です。
しかし、お地場から親神様の声が消えた今、心得違いが暴走したら最後、誰も正しい道に修正できないまま、神様の思惑とは違う向きへと突き進んでしまうのです。

これこそ『天啓者不在』がもたらす弊害。
心を見抜き見通し、心の正誤を見極め、心の向きを正しく導ける天啓者を排除した組織の悲哀。

この様な理由で、今の天理教を『正道』と位置付けるには疑問を感じるわけです。

お地場に本部を構える故『正道』と思いたい気持ちも分かりますが、それで他者を『異端』と罵れば、その瞬間から教祖の正道から外れるのだから、お互いに低い心を持ち、他者ではなく自身の魂と向き合う信仰を心掛けたいものです。

異端と言う勿れ2 – 神の名を借る悪魔』でも書きましたが、自らを正道に置き、他者を異端と見做すと自省する機会を失います。
自分達が正しいと妄信すれば自らを絶対善と思い違いし、心の汚れを洗いきる努力を放棄することになります。

三ッ みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる
『みかぐらうた』五下り目

水と神とは同じこと 心の汚れを洗いきる』と歌われているように、水が無ければ心の汚れは洗い落とすことは出来ません。
水とは勿論『みかぐらうた、おふでさき、おさしづ』に代表される親神様のおことば

親神様の天啓が途絶えた地場には現在進行形の水が存在しません
『みかぐらうた、おふでさき、おさしづ』の三原典は紛れもなく親神様のおことばですが、本席様が出直されてから100年以上経過した現在、その水はにごり混じりの氷山へ姿を変えています。
氷山から清水を抽出するには相当な探求心と、親神様の心を希求し続ける信仰心が必要になりますが、例えある程度の神意を汲み取れたとしても、人間の努力で到達できるのは文字通り氷山の一角。

銘々の悟りという人間思案が跋扈ばっこする現状を見ても分かる通り、天啓者不在は混乱と無秩序しか生みません。

天啓が続いていれば親神様の太鼓判を得て、一点の憂いもなく正しい道を通ることが出来るのです。
この考えは異端でしょうか?

これこそ教祖(おやさま)・本席様がお連れ通りくだされた正道ではありませんか?

異端と言う勿れ

もしかしたら
道を踏み出しているのは自分自身かも知れないのだから。

七ッ なんぼしん/\゛したとても こゝろえちがひはならんぞへ
八ッ やつぱりしん/\゛せにやならん こゝろえちがひはでなほしや
『みかぐらうた』六下り目

信仰者よ『正道とおごるなかれ』。

おわり

異端と言う勿れ - おやさまは異端に厳しかったのか?
今回は天理教の異端問題について考えを述べたいと思います。この記事を投稿する動機になったのが、SNSに定期的に流れてくる下記のポスト。『おやさまは異端にだけは厳しかった』このポストを要約すると、『異端に厳しく対応するのが、おやさまのひながた』...
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コメント

  1. 坂井明久 より:

    こんな、説が説かれています。

    親神様の天啓が途絶えた地場には現在進行形の水が存在しません。
    『みかぐらうた、おふでさき、おさしづ』の三原典は紛れもなく親神様のお詞ことばですが、
    本席様が出直されてから100年以上経過した現在、その水は濁にごり混じりの氷山へ姿を変えています。
    氷山から清水を抽出するには相当な探求心と、親神様の心を希求し続ける信仰心が必要になりますが、例えある程度の神意を汲み取れたとしても、人間の努力で到達できるのは文字通り氷山の一角。

    銘々の悟りという人間思案が跋扈ばっこする現状を見ても分かる通り、天啓者不在は混乱と無秩序しか生みません。

    天啓が続いていれば親神様の太鼓判を得て、一点の憂いもなく正しい道を通ることが出来るのです。
    この考えは異端でしょうか?

    これこそ教祖(おやさま)・本席様がお連れ通りくだされた正道ではありませんか?

    『異端と言う勿れ』

    もしかしたら
    道を踏み出しているのは自分自身かも知れないのだから。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

     真柱という超天啓者がいる。
     何もかも月日が支配する。その芯に、しんばしらがいる。

     これに不満ですか。

     天啓が続いていれば親神様の太鼓判を得て、一点の憂いもなく正しい道を通ることが出来るのです。
    この考えは異端でしょうか?
     天啓はと、議論するのも楽しいでしょうが、人間を始めたおやは、存命でいるのです。

    「今までに言うた事見えてある。」

    月日は、月日(年月)で予言して、ちゃんとその年に出している。

    天啓などはもう語りつくされている。

    神は、見えぬ先に説いておいて、正月晦日130年、きちんと出してくる。読み解きましょう。

    ふでさきの理です。

  2.  正月三十日、正月二十六日の数理は、教えの基礎です。
     第一号三九 一寸はなし正月三十日とひをきりて をくるも神の心からとて
     第一号四〇 そバなものなに事するとをもへども さきなる事をしらんゆへなり

     第三号七三 十一に九がなくなりてしんわすれ  正月廿六日をまつ
     この正月廿六日を待つのお筆先は明治7年(1874)の予言、1874年の数理126は2000年です。

     2000年は、太陽活動が元の磁場状態に変異した年で、科学的研究 (太陽型星のスーパーフレア 野津
    湧太,柴田 一成) には、【スーパーフレアが惑星にどのような影響を与えるのか? 少し掘り下げて,最近出てきた一つの興味深い新説を紹介したいと思います】とあり、元始まりの磁場が解説されている。
     引用すると、【 7.2 若い太陽のスーパーフレアの地球への影響 (略)ケプラーのデータを用いた統計的研究によると,太陽と比べると自転が10倍ほど速い若い星では,スーパーフレアの頻度がはるかに高く,1日に1回を超えるような頻度で起こっていることがわかります(図5).この結果から,40億年前の若い太陽は,自転が速く,フレアに必要な大量の磁場のエネルギーを簡単に蓄えられる状況にあり,スーパーフレアが頻発し現在と比べて非常に活発な状態であった,ということができます.(中略)高エネルギー粒子が大気中に侵入すると何が起こるのでしょうか? Airapetian氏らは,初期地球の大気成分(窒素が豊富:N2 80%,CO2 20%)を仮定し,化学反応計算を行いました.その結果,これらの高エネルギー粒子は地球大気の中に豊富に含まれる窒素分子(N2)と化学反応を起こし,さまざまな中間生成物を経ながら,亜酸化窒素(N2O)とシアン化水素(HCN)が大量に生成されることが強く示唆されました.】   【 7.3 生命誕生に適した環境の形成 大量に生成されるN2OとHCN.この2つの物質が,原始地球が生命誕生に適した環境であったかを考える
    上で,重要な役割を担う可能性があります. 実はN2Oは強力な温室効果ガスであり,頻発するスーパーフレアの影響で大量のN2Oが生成され,地球大気中へ拡散していくことを考えると,最初に述べた「若い太陽のパラドックス」は十分に解決できてしまう可能性が示唆されます.生命誕生に必要な液体の水を持つ温暖な地球環境が,初期地球においては,スーパーフレアのおかげで形成および維持されたのかもしれません. 一方HCN は,別の重要な役割を担います.より複雑な化合物の生成の起点となり,アミノ酸をはじめとする生物分子の供給源となる可能性があります.すなわち,私たち生物の体を形づくる物質の起源ともなった可能性があるわけです.】物理的科学的な真理として理の探求は進んでいますが、「理・意」のうち、「意」はおふでさきなしに悟れません。

     みき(親神)の意は、どこにあるのか、2000年の始めかけの数理の意味するところです。
     1882年、筆先の責めがあります。その数理126の2008年にはみきが唐人コロリと説いた米国では天罰で、アメリカ合衆国中西部を襲う1985年以来の大規模竜巻群が発生、テネシー州、アーカンソー州などで大被害、少なくとも58人が死亡、竜巻被害として最悪の死者数。です。米国経済が9月15日 – アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが連邦倒産法第11章の適用を申請し、経営破綻(リーマン・ショック)。
    1882は、この頃、おふでさき第17号を執筆。そこには、●第十七号11 それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで とあります。 ●第十七号24 このはなしどふゆう事にをもうかなふでのさきがなみへてきたなら とあります。みきの予言が見えるという事が、神意であり目的です。

    同じくみきが唐人コロリと説いた中国では、5月12日 – 四川大地震の発生 :中華人民共和国四川省汶川県を震央とするマグニチュード8.0の巨大地震が起こる。新華社通信は四川省・甘粛省・重慶市・雲南省等で約4万人が死亡したと報じた。同じく唐人米国に追従する日本では、6月14日 – 午前8時43分(JST)頃に岩手県内陸南部(仙台市の北約90km、東京の北北東約390km)を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生。岩手県奥州市と宮城県栗原市において最大震度6強を観測し、被害もこの2市を中心に発生した。
     ●第十七号22 けふまでハなにもしらすにいたけれど さあみへてきたゑらいほんみち
     ●第十七号23 このみちをはやくみとふてせきこんだ さあこれからハよふきつくめや
     ●第十七号24 このはなしどふゆう事にをもうかな  ふでのさきがなみへてきたなら
     寿限無さんにも「ふでのさき」が見えてきて欲しいと、親神は切望しておられます。貧乏してほしい・

     そこで天理教のたすけは、こう説かれています。
     ●第十七号五二 たすけでもあしきなをするまてやない めづらしたすけをもているから
     ●第十七号五三 このたすけどふゆう事にをもうかな  やますしなすによハりなきよに
     ●第十七号五四 こんな事いまゝでどこにない事や   このしよこふをしらしたさやで
     ●第十七号五五 これまてハどこたつねてもない事や  このたび神がはじめたさやで
     ●第十七号五六 けふまでハとんなみちやらしれなんだ これからさきハみちをしらする
     漫画で説かれた教理を説くのは、ヒトを惑わします。貧乏し、確かな筆先の責めを、実行する事です。

  3. 坂井明久 より:

    満月の数理正月15日があります。
    みきは正確に、予言を実行します。千に一つのはずれがないのです。当然です。
     みきを弾圧したのは、伊藤博文、大隈重信で、皇教派の偽神道は、宗教家としてのみきを葬り去り、天皇の神をといて、世界大戦に打って出て、敗戦します。
     すべてはみきの理の責めに知らされていて、それは出来る限りお知らせして来て、みきは、明治7年(1874年)に教部省から出された「禁厭祈疇ヲ以テ医薬ヲ妨クル者取締ノ件」という布達に違反、理の責めをなさいました。
    1874年から満月の数理正月15日が2024年です。2024年アメリカ合衆国の10億ドル規模の天候および気候災害です。
    米国は医学で支配するを国是としていて、教部省は従いました。だから米国にみきは大気象災害でした。
     天理教はしんばしらが神事として、理を知らせ、 初代真柱が中山家に入る→ 43年 関東大震災。 真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年 阪神大震災。 三代真柱の真柱職に就任 → 43年 東北大震災。
     3代真柱、100年祭に諭達3号 諭達第三号  昭和五十六年(1981年)一月二十六日 中山 善衛 百という字の意は、白紙に戻り一より始めるを謂う。→ 43年 能登半島地震(2024年)。
     これがしんばしら。
     なにの心配もいらない。
     親神様の懐住まいです。

  4. 坂井明久 より:

    天理教会本部は、嘘に近いつけたしをする。
     
     現行のさづけは「てをどりのさづけ」、もしくは「あしきはらひいのさづけ」といわれるもので、病む人に取り次いで身上みじょう回復のご守護を願うものです。
     これに付け足す。
     親神様は取り次ぐ者と取り次がれる者の心の真実をお受け取りくださって、どのような不思議なたすけもお現しくださいます。 この、「取り次ぐ者と取り次がれる者の心の真実をお受け取りくださって」は殆ど嘘に近い。
     助ける側には、心の真実、心のまことは必要でないとまでは言えないが、たすけられる側は、「お助け下さい」だけで、足すかる。
     それがおさづけだ。おさづけの不思議

    タイ在住  野口 信也 さんの体験である。
     「お付き合いしている彼女の祖母が危篤の状態だ。おそらく葬儀が明日から一週間行われるので参列してほしい。このおばあさんには、何とか自分たちの結婚式に出席してもらいたいと思っていたけど…」と電話が入りました。

     このおばあさんは99歳で入退院を何度も繰り返していて、いよいよなので親族を呼ぶよう医師に言われたそうです。まだご存命ということなので、私はすぐ病院にかけつけ、最後となるであろうおさづけをさせてもらいました。
     すると、その夜K君から、明日の葬儀は中止でおばあさんは自宅療養することになったとの連絡が。翌日から帰国するまで、毎日おばあさんのおさづけに通い、K君と孫の結婚式にも出席してもらうことができました。
     その後、日本に帰国してから7年ほど経った冬に、タイから一本の電話が入りました。K君からで、彼の義理の姉が良性腫瘍の摘出のため開腹手術をしたところ、悪性腫瘍で腹部全体が侵されていて、卵巣を取るなどできる限りの処置をしたが、もう手の施しようがないとのこと。医師からは「あと3カ月、長くても半年です」と宣告されたそうです。

    病人さんのご主人が電話に出られ、「私たち夫婦と娘一人、いつまでも仲良く暮らしていきたい、何とか救けて下さい」と言われました。

    ご主人は以前のおばあさんのおたすけのことを知っておられ、真っ先に天理教の神様にたすけを求めてこられたようですが、私はそういう切羽詰まった場面にとても弱く、どうしたら良いか焦っていました。

    それでもおさづけをさせてもらうしかないと思い直し、勤務先である天理教海外部の上司に3日間だけ休暇をお願いすると、「人をたすけるためなら何日でも構わない」と許可を下さったので、すぐタイへ出発しました。
    飛行機の中で、ふと『教祖伝逸話篇』に書かれている、当時の最も丁寧だと思われる病気平癒の方法を思い出しました。「座りづとめ」と「十二下りのてをどり」を一座とし、一日に昼三座、夜三座、これを三日間行う方法です。

    以前、海外の学生がその逸話篇を呼んで、一日6回のおつとめを実際にやってみようと試みたことがありました。私がタイへ到着するのが朝の5時で、帰るのは二日後の夜中の12時ですから、ちょうど丸三日間。よし、これで行こうと決めました。

     おぢばである先生がこんなおたすけ体験を語ってくれました。

    「三日間のお願いづとめはすごいね。ある信者さんが、がんを患って脳まで転移して意識もない状態だった。普通に考えると、ちょっともうたすからないかな、という症状だったけれど、三日間おさづけをさせて頂いたら、少しずつ良くなって、その後の月次祭には付き添いの方と参拝に来られたんだ。翌月の月次祭にはおつとめの奉仕をしてくださったよ」。

    私はそこで初めて、自分勝手に悩んでいたことに気が付きました。「そうだ、神様がおられるんだ」と思えた瞬間、不安が一気に消し飛んで、絶対にたすけていただける。そういう気持ちになりました。

    3カ月後、再びタイに戻ると、そのがんの女性から「一緒にご飯を食べに行きましょう」と電話がありました。「抗がん剤治療の最中のはずなのに」と思いながらお会いすると、とても元気でした。さらにその1年後には、今度は自分で車を運転して食事に連れて行って下さいました。

    抗がん剤治療で抜けていた髪も全部生えそろい、「検査をしてもがんの痕跡が一つもないと、医者が驚いています」と、嬉しそうに話をしてくれました。

     天理教では助ける側さえ信じていたら、たすけられる側が意識不明でも良いのです。無神論であろうが、関係ない。 助けて下さい、みき様で、治るのです。
     治癒率100%の天理教を、普通にしています。演歌王は天理王の弟子ですから。
     
     

     

     

  5. 坂井明久 より:

     このたすけどふゆう事にをもうかな 三かめへにハそといでるよふ(11-16)  
     これは、維新政府に追従した天理教会本部には、説けない教理である。
     
     両親から天理教の英才教育を施され、維新政府に従って偽宗教化した天理教団は説かなくなったが、女(みき)もイエスも説く三日の数理を父親から叩き込まれた。
     イエスにおいては、三日で教えを行えば救済され三日以内に実行しなければ枯らすの教理。三日で教えを行えば救済されるが 三日以内に実行しなければ枯らすの教理である。
     みきは和歌でこれをきちんと教え示して、三日救済・三日殺しは神の働きが外にでる、発現するの三日である。
       このたすけどふゆう事にをもうかな 三かめへにハそといでるよふ(11-16) 

     このたすけどふゆう事にをもうかな 三かめへにハそといでるよふ (11-16)
     これまでも月日とゆうてだん/\と はなしもといてきたるなれとも (11-17)
     まだしんのところハさらにハかるまい このたびどんな事もあらわす (11-18)
     はなしでもをなしところでゆうならば なんどにんけん心なるよふ (11-19)
     みなのものをもう心ハきのどくや このたびところかへてはなしを (11-20)
    親神はお地場という場所を離れて、天理教の人間でない所から話をせよというのである。

     父は病人へのやまい助けの現場に子供の坂井を同行させ、病人に三日の理を説き目の前でやまい助けし就学前から現場を体験さ せて叩き込んだ。
     母も母の和裁師の仕事場は、相談を持ち込む人への天理教の布教の場であり、あらゆる場面で日々三日殺しを坂井に指導した。
     明治37年(1904年)2月4日日露戦争の軍事行動開始が御前会議で決定されている。この年、天理教会本部は維新政府に促されて「不良教師1400人淘汰辞職」をしている。
     本席宅で住込みしていた某布教師は、岐阜が故郷と伝わるが、神様から首になったわけじゃないと、単身長野県に布教に来て、幾つかの、今も現存する天理教分教会を設立した。もちろん某布教師は会長になってはいない。
     本席宅から場所を変えて、本席宅では説けなくなってしまった三日殺しを、説いた。

     坂井の父母の師である宮島佐太郎は某布教師のカバン持ちを して、某布教師の病助けを見て学び、三日殺しを見て聞いて学んだ。
     某布教師から宮島佐太郎はおさづけの技法を学んだので、それを受けた坂井の父の病助けでのお授けは教会本部が一般に布教師に授けるおさづけとは異なる儀礼で行う甘露台の授けで、坂井はそれを習った。
     中川よしは、関名豊松は、教会から追放状態で病たすけしお助け名人と呼ばれた。そんなものである。教団を追われたら病気が助けられるという状態は、重大な心得である。
     三日殺しの教理は信州伊那谷でしか説かれないという、これは偽宗教駆除への女(みき)の仕掛けである。
     偽宗教化した天理教会本部は、みき死去の後、天啓者本席と真柱中山家の血族支配の状態で、親族による支配を正当化した。上田ならいとの家系も重用された。初代大教会長も、家系重視した。
     宮島佐太郎は三日で勝負できない本部員を鼻で笑って馬鹿にし、坂井はそれを見た。だから坂井も、師宮島佐太郎に倣い、実は鼻で笑いたいのだが、三日殺しで。13日の審判で、病気を除去しなければ、できなければ、効能無ければ嘘だから、鼻で笑うにはそれなりに覚悟がある。

     天皇の政治利用を策した安倍晋三には呪詛しますと2ちゃんねるに書いて、安倍晋三を見ていたが、3年で安倍晋三はテロリストの人災で除去された。みきの神意と一致したという事である。
    安倍晋三には2019年に天皇利用の問題とSARS拡散の問題がありで、いずれも大勢の生命に関係する問題であり、安倍のしたことは実は違法行為ではあるが、安倍は国会で、自民党の大派閥と自公連立に守らせるから、多数決では止められないので、その場合の、三日殺しの呪詛でみきに任せた。
     「安倍晋三は統一教会」の文言で呪詛した。
     池田大作には、中国がみきの天罰(唐人コロリ)で、新型コロナや感染症で危険状態であるのに、中国進出をあおりつづけていたので、聖教新聞報道を基礎事実として呪詛しますとした。       
        池田大作は五つ理を吹くの五か月で死去した。

     最近ではトランプ米国大統領が、世界戦争を起こしたがるので、令和7年(2025年)7月4日呪詛した。
    数理7は聖書の神の数である。777で、テレ朝はkアメリカのテキサス州で発生した洪水による死者は71人に上っています。多くの行方不明者もいて捜索活動が続いています。

     テキサス州中南部で4日、記録的な大雨による大規模な洪水が発生し、CNNによりますと、子ども21人を含む少なくとも71人が死亡しました。
     また、サマーキャンプに参加していた12人の少女らの行方が分かっていません
     キャンプ場付近の川の水位はわずか2時間で6メートル以上上昇したとみられています。
     現地では7日にも再び雨の予想が出されていて、地元当局やボランティアが行方不明者の捜索に全力を挙げています。
     南部は黒人奴隷の地として、三日殺しの天罰あるようみきにお願いした地である。

    7月6日、石破茂内閣総理大臣は、米国のテキサス州で発生した洪水により甚大な被害が発生していることを受け、ドナルド・トランプ米国大統領(The Honorable Donald J. Trump, President of the United States of America)に対し以下のお見舞いのメッセージを発出しました。

     「あしきはらい」のお願いは実に有効であり、坂井は成果を神様から見せて頂いている。
     イスラエルとガザ地区間の武力衝突は、医療体制に甚大な影響を与えて、ガザ地区の医療施設は、攻撃の影響で機能不全に陥り、患者は医療サービスを受けることができなくなりました。WHOは、ガザの医療制度が崩壊の危機にあると警告し、即時かつ永続的な停戦を求めています。 だから、「あしきはらい」を唱えます。
    「南無天理王命」です。
    イスラエルでは、COVID-19の感染者数が急増しており、A型肝炎や細菌性赤痢などの感染症にも注意が必要です。

     接種率78%「イスラエル」で死亡者増加のなぜ 話題ですが 「輝かしい手本」が「他山の石」に
    イスラエルの感染者数は現在、同国が最悪期を経験した今年冬の水準に急速に近づいている。1日当たりの新規感染者数は過去2週間で2倍以上に増加。世界でも感染が最も急速に広がっている地域の1つとなっている。8月中旬には、集会および商業・娯楽施設に関する行動制限が再開された。政府はロックダウン(都市封鎖)の再発動も検討している。
     問題は、従来株の常識が「その後の変異株には必ずしも通用しなかったことと、そこに時間の経過によるワクチンの免疫力低下が重なったことだった」とバリサー氏は話す。
     ワクチンには今も重症化を防ぐ効果があると考えられているが、イスラエルの一部データは、早い段階で接種を済ませた人々の間で重症化リスクが高まった可能性を示している。感染率が上昇する中、イスラエルではここ1カ月で死者数も増加傾向となっている。

     「あしきはらい たすけたまえ 南無天理王命」と坂井は唱えてづけている。
     身近で助けを求める病人さんにもだが、イスラエルの強欲にも「あしきはらい」であり。甲奴は早い。

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