聞いた?いずむ。
わたし達の体は神様が動かしているらしいわよ。
らしいね。
「心通りの守護」で体は動くらしい・・・だけど、俄には信じられないよ。どう考えても自分の意志で体を動かしているもの。
本当に自分の意志で体が動いていると思いますか?
体が動く仕組み「心通りの守護」
前回、体は神様から借りている「かしものかりもの」と説明しましたね。
「かしものかりもの」の定義とは、全ての有形(体、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・)が神様の創造物であり、人間には髪の毛一本造る能力は無く、指先1つ動かす能力もありません。
要するに人間は「有形」に対して完全なる無力。
この第一の理、「かしものかりもの」を前提とするなら、体が人間の意志で動く道理がありません。
ちょっと待って!
脳が命令を出して、神経に伝わり、筋肉が受け取り「縮む」動作をすることで、体が動くって教わったわ。
科学的見地から観察した場合、どこにも神様なんて登場していないよね?もしかして、脳が出す電気信号が神様の正体とでも?
電気信号含めて「有形」なので、神様の正体ではありませんが、神様の実体ではあります。
神様の実体?
電気信号だけではありません。
全ての有形は「神様の実体」と言えます。
電気信号、脳、神経、筋肉・・・全て神様の実体、つまり、目に見えない神様が形となって現れた姿。
「脳から命令を送る」と言葉にすれば理解した気になりますが、脳の仕組みをご存じですか?
脳は1千億個以上の神経細胞でできており、一つ一つの神経細胞がコンピューターのような働きをしています。つまり1千億個のコンピューターがお互い、「軸索」というケーブルで無数のネットワークをつくっている・・・
https://www.sankei.com/west/news/171008/wst1710080006-n1.html
科学の進歩と共に、脳の構造が少しずつ解明されています。
しかし研究が進めば進むほど明らかになる事がある。
脳・・・いや、人体は不思議の塊という事実。
とても人智の及ぶ領域ではありません。
脳から筋肉へと接続は確認できても、心から脳への接続を確認することは不可能。
なぜなら、心(無形)が脳(有形)に何らかの働きを及ぼす・・・という事実を証明することは、無から有を生み出す証明をする・・・と言うこと。
解り易く説明すると、全く何も無い食卓に、一瞬にして食事が現れるようなものです。
更にひらたく言うと、心と脳(体)の関係は、まるで魔法そのもの。
ジェダイから学ぶ理の力
スターウォーズに登場するジェダイが持つ不思議な力、フォース(理力)。
心で念じるだけで物体を動かす魔法のような能力。
映画:帝国の逆襲ではヨーダがXウィング(戦闘機)をフォースの力で湖から引き上げるシーンがありますが、ヨーダとXウィングの間を繋ぐ「目に見えない働き」がフォース(理力)。
映画では魔法の様に描かれているが、実際、これと同じことが人間の体で起きている。
「ヨーダ」と「Xウィング」の関係は、「心」と「脳」に置き換えることが可能です。
「ヨーダ」と「Xウィング」に接触点はないが不思議に「Xウィング」は動く。
「心」と「脳」にも接触点はないが不思議に「体」は動く。
この「心」と「脳」の間を繋ぐ「目に見えない働き」がフォース(理力)、理の力、つまり「心通りの守護」なのです。
アタシの大好きなスターウォーズを題材にして「心通りの守護」を説明した点に関しては、素直に評価するわ!大変解り易かった!
人体が人智が及ばない不思議・・・という点に関しては異論は無いけど、それを神様と結びつけることに依然として抵抗感はある。
そうですね。
「不思議な事象」を神様と結びつけるには、「神様の言葉」を証明する必要があります。
そうよ!そうよ!
実際に「心通りの守護」を証明しないと信用できないわ!
そんな事、出来るわけないだろ?
映画じゃあるまいし・・・。
いや、出来ますよ。
今、直ぐにでも・・・。
うっそ!マジ?
アンタもしかして魔法使い?
それじゃ、早速、実演してみましょう!
いさみさん、そこのコップを手に取ってください。
え?いいわよ・・・
はい、手に取ったわ。
ほらね?
動いたでしょ?「心通りの守護」で!
あーーーーーーん?
おちょくってのか?!われ!
この詐欺師!ペテン師!ドスケベ!変態!
いえいえ、「心通りの守護」が余りにも早すぎて、人間の目に捉えることは出来ないのです。残念ですが・・・。
駄目だコリア・・・。
少しでもアンタを信じた私が馬鹿だった。
それじゃ、もし、いさみさんが「心」を使ってから、10秒後に体が動く仕組みだとしたら?とても不自由で生活も不便すよね?
だけど面白いことに、その方が「心通りの守護」と認識しやすと思いませんか?
うん?・・・
そうね、アタシが「コップを持つ」と思ってから、10秒後に体が動いたら・・・まるで性能の悪いコンピュータを操作している感じ?
でも、それでもコンピューターを動かしているのはアタシ自身よね?
動かしているのは機械でしょ?
いさみさんは機械に命令を与えているだけ。機械の仕組みを1つも理解していなくても、コンピューターを操作できるわけです。
なるほど、つまり、人間は命令(心)を入力するだけ。人体の仕組みは何一つ知らなくても、神様が命令(心)通りに体を動かしてくれる・・・というわけね。
んんーーーー。
なんか、言いくるめられている様な・・・
やっぱり、この方法では納得するのが難しいですよね。でも安心してください。もっと解り易い別の方法があります。
心通りの守護を証明する方法
それでは「病気」の時を思い浮かべてください。
現在、新型コロナウィルスで苦しんでいる人が大勢いる中で申し訳ないですが・・・
例えば「高熱を出して寝込んだ時」。
あなたは、動きたいのに動けない、食べたいのに食べられない、働きたいのに働けない・・この状況は、正しく「かしものかりもの」を神様が証明している不思議の現場です。
病気の時、自分の思い通りに体が動かない時、「かしもの」は認識しやすい教理に変わります。
思うようにならん/\というは、かりものの証拠
(おさしづ 明治21年7月28日)
実際に病気で体が動かない時、「成る程、神様のおっしゃる通り」と「かしものかりもの」を痛感するでしょう。
しかし、「かしものかりもの」を痛感しただけでは、本当に「かしものかりもの」の理を理解したことにはなりません。そこが教理の難しいところなのです。
病気になり、かしものを痛感したとして、心の中身はどうでしょうか?
「かしものだから安心だ!良かった!良かった!」
と、思いますか?
「とほほ、病気で体が動かないのは『かしもの』だから仕方が無い・・・」
恐らく、こんな感じで諦めムードだと思います。
心にあるのは「かしもの」の安心感ではなく、「かしもの」により体の自由を奪われた支配力。
それでは神様も「かしものかりもの」の理を教えた意味がありません。
かりものという理、心に治まれば、身上でも事情でも御守護頂けるのや。かりものという事よくしっかり心に治めてくれ。
明治15年4月5日 教祖口伝で教祖が諭されているように、
「かりものという理、心に治まれば、身上でも事情でも御守護頂ける」
これが真実ならば、「かしものかりもの」を心に治めれば、病気も治まる・・・正に「心通りの守護」を証明し、その目で確認することが可能なのです。
それでは、「かしものかりもの」を心に治めるとは一体どんな心でしょうか?
かりものという事は、神様からこんな結構な身体を借りているという事をよく心に治めることやで
「神様からこんな結構な体を借りている」
要するに、「かしものかりもの」を結構と思える心が、「かしものの理」が心に治まった・・・と言うこと。
「かしものかりもの」が心に治まるということは、即ち、心が喜びに満たされる・・・と言うこと。
病気で苦しい中、「かしものの理」を悟り、安心と喜びの心に成れたら大手柄。
人間思案では絶対に喜べない病気の最中、「かしものの理」を悟り、「不足の心」を「喜びの心」へと立て替えたのです!
これは一体、何が起きたのでしょう?
「かしものかりもの」を理解することにより、心の中に不思議が起きたのです。
人間思案では絶対に喜べない不自由な心が・・・
「かしものかりもの」を理解することにより「心」と「体」を完全に切り離し・・・
形の束縛から解放され・・・
心自由を発揮することに成功したのです!
3.心自由
心自由に成れた・・・ということは完全に「かしものかりもの」を理解した・・・ということ。
こうして「かしものかりもの」の理が心に治まったら・・・
どんな病気でも御守護いただける!
と、この様に、自分の心を治めることで、病気が治まる体験をすれば、これが「心通りの守護」の証明となり、日常的な行動・・・先ほどのコップを持つ行動も「心通りの守護」と喜べるのわけです。
本日のまとめ
少し説明が長くなりましたので、要点をまとめます。
- 病気を患う(理の与え)
- かしものかりものを心に治める(理の思案)
- 心に安心と喜びが生まれる(心自由の発揮)
- 心の立て替え成功!(人間一条から神一条へ)
- 心通りの守護発動!(理が動く)
- 病気が治まる(理の完結)
要は「自分の心1つ」にあります。
心と体(かしもの)を完全に切り離す意識を確立することが重要なポイントです。
形(体・病気)は神様に任せ、神様に凭れて、意識の変革に神経を集中してください。
心に喜びさえ生まれたら、直に病気は回復に向かうでしょう!
心通りの守護を会得するコツ
これまで病気の状態を台に説明してきましたが、いきなり「病気の状態」から、意識を変革するのは至難の業と言えるでしょう。
もちろん、コツを会得すれば可能性は開けますが、いきなり「病気の状態」からは流石にハードルが高すぎます。
ここは、やはり「健康な状態」の時にコツを掴みましょう!
「かしものかりもの」の時と同じように、何か行動を起こす前に必ず「心通りの守護をよろしくお願いします。」と神様に拝をして、心通りに行動が完結したら、「心通りの守護を頂きまして有り難うございます。」と神様にお礼の拝をする。
そんな馬鹿みたいに簡単なことでいいの?
なんか頼りないなぁ・・・
馬鹿みたいに簡単な方法でも、毎回、毎日、何ヶ月と続けることは簡単ではありません。むしろ固い決意と、理を信じる誠が必要になります。
それに簡単な方法だから無理なく長く続けられるメリットがあるのです。
病気の時に心通りの守護を頂けば、そりゃ、目の覚める衝撃と共に「心通りの守護」を会得できるでしょうが、大抵の人は、病気に引きずられ心も弱くなってしまいます。
月並みですが、やはり日々弛まない練習しかありません。
いざと言う時に心を治められる様に、日々心づくりの練習に励みましょう!
了解したわ!頑張ってみる!
あっ、でもいずむの様に心自体が病気の人はどうしたらいいの?
それ鏡だから
魂を取り戻せば「心は自由」!
心の状態なんて、自分の心1つで変えることが可能です。
と、いうことで、次回は3つの理、第3番目の理。
3.心自由
をお届けします。
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