3.心自由「あなたはの心は本当に自由ですか?」

陽気ぐらし

 

いさみ
いさみ

「3つの理」最後の理が「心自由」?
そもそも人間の心って自由じゃない?

いずむ
いずむ

そうだよね。
特別、神様が教えなくても、みんな心自由に生きているけど?

寿限無
寿限無

えっ?
本当に心自由に生きていると思いますか?

心自由とは?

突然ですが質問です。

Q.皆さんは、自分の心は自由だと思いますか?

いさみ
いさみ

そうね。自由だと思うわ。
だって自分の思い通りに心は使えるもの。

いずむ
いずむ

いさみさんは、自由過ぎると思う・・・。

ボクも自分の心は自由だと思うね。

ご回答ありがとうございます。
そうですか。
お二人は「自分の心は自由」と思っているようですね。
おそらく大抵の人も、自分の心は自由だと考えているのではないでしょうか?。

それでは、次の質問です。

Q.皆さんは、病気を患ったら喜べますか?

急に悪寒と発熱の症状が現れたら?
激しい腹痛と吐き気がしたら?
人間ドックで癌と診断されたら?

あなたは、いつものように喜んで暮らせますか?

いさみ
いさみ

病気になって喜べるかって?
喜べるわけないでしょう!痛いし、苦しいし・・・もしかしたら死ぬかも知れないし・・・心配で不安で、喜びなんて感じている暇はないわよ!

いずむ
いずむ

そもそも、病気になったら、いつものような生活が送れないよ。学校や会社にも行けないし、友達とも遊べない、ゲームもできない・・・。

そうですよね。
それが当然だし、当たり前の感覚です。

それでは、最後の質問です。

Q.病気の時、心が自由に使えていると思いますか?

いさみ
いさみ

うーん。
痛くて、苦しくて、心配で不安で・・・ネガティブなことばかり考えてしまうわね。

いずむ
いずむ

病気のことばかり気になって、他のことに気が回らないから、病気が治まるまでは、心が自由に使えているとは言えないね。

お二人の回答をまとめると・・・

A.病気の時は、心が自由に使えない。

つまり、最初にお伺いした質問では「自分の心は自由」と答えていましたが、病気の時は心が自由に使えない・・・。
お二人の答えた「心は自由」とは、極めて限定的な「自由」ということになります。
自由に使える時もあれば、自由に使えない時もある・・・

でも、これって・・・

そもそも「自分の心は・・・不自由」なのでは?

もし本当に自由というなら、病気の時でも、いつものように喜んで暮らせるのではないでしょうか?

いさみ
いさみ

まあ、そうだけど・・・
だけど、病気の時に喜んで暮らす・・・って、イメージが湧かないわ!マゾなの?

いずむ
いずむ

心って状況に左右されるよね。そう考えると「心が自由」というより、主体性があるような、ないような、一定の形に固定されないスライムみたいな状態だね。

そうなのです。
そもそも、人間は形を見て心を生み出すので、形に左右されるのは当然ですよね。
病気のような非日常を例題にすると、心不自由な状態を捉えやすいですが・・・
実は、殆どの人が、日常的に形に左右されながら「不自由の心」で生活しているのです。

  • 悪口を言われる ⇒ 悪口を言い返す
  • お金がない ⇒ 心まで貧しくなる
  • 体が病気になる ⇒ 心も病気になる

つまり、殆どの人が使っているのは・・・

形通りの心

なのです。

いさみ
いさみ

なによそれ!
心自由の人間は存在しないの?!わたし達は、常に形に左右されて主体性なき形通りの人生を歩むしかないの?

いずむ
いずむ

形に左右される・・・
つまり、運命に翻弄されながら、運命通りの人生を歩む定め・・・という訳?

いえいえ。
心自由の人間は存在します。
そして運命を掌握し、自ら新しい運命を作り替えた人間も存在するのです。

それが、教祖(おやさま)こと中山みき様。

おやさま
おやさま

せや!

教祖は、どんな中も喜び勇んで通られました。
貧のどん底も、病も、迫害弾圧であろうと、形に左右されずに、心自由に「喜びを選択」し続けたのです。
それが「ひながたの道」ですね。
なぜ、教祖は心自由に生きることが出来たのでしょうか?

世の中の人、全てが「形通りの心」で不自由に甘んじて生きている中・・・
教祖は月日親神様の教えから悟ったのです。

おやさま
おやさま

この世は
形通りの心
が作られるのではなく、心通りの形が作られる「心通りの守護」の世界!・・・だから、心はいつでも自由!!!

教祖もまた形を見て心を作りますが、ただ「形」の表面を見るのではなく、「形」の奥にある「心通りの守護」という真実を掴んだのです!
こうして教祖は、
自らの心に「完全なる自由」を確立し、陽気づくめの人生を歩まれたのです!

いさみ
いさみ

でも・・・
なぜ「心通りの守護」だと、心はいつでも自由なの?なぜ、どんな中でも喜び勇んで通れるの?

解り易く説明すると、
「心通りの守護」は、レストランと似ています。

いさみ
いさみ

え?レストラン?
イタリアン?フレンチ?それともガスト?

いずむ
いずむ

レストランは比喩だよ。
多分・・・

人間は「心通りの守護」を注文している

レストランでは以下の工程で「1つの注文」が完了しますが・・・

レストラン

  1. お客が注文
  2. コックが料理を作る
  3. 料理に満足
  4. 代金を支払う
  5. 注文完了

「心通りの守護」も実は、この工程と同じなのです。

心通りの守護

  1. 心を使う(注文)
  2. 神様が注文通りに守護を拵える
  3. 守護に満足
  4. 代金を支払う
  5. 心通りの守護が完結

わたし達人間が見るもの、聞くもの、触れるもの・・・
全ては「心通りの守護」。

つまり、どんな形(病気・トラブル等)も「心通りの守護」の結果、人間の「注文通り」に守護いただいた「注文通りの品」・・・なのです。

「注文通りの品」なら、満足して代金を支払えう必要があります。
神様が「心通りの守護」を与える目的は「人間の喜びが見たいから」ですね。
ならば・・・

「注文通りの品」を有り難うございます。大変満足しました!

と言えば、「注文完了」。またのご来店を!
このように神様と人間の関係は円満に続くのですが・・・

中には
「注文と違う!こんな品は注文した覚えは無い!」とクレームを言うお客もいます。

病気・トラブル等、自分にとって都合が悪い品が出された時、殆どの人は神様にクレームを言います。

「病気なんて注文していない!」
「トラブルなんて注文した覚えは無い!」

クレームが入ったら神様も直ぐに対応しなければなりません。
クレームも「心」なので、人間が心を使った時点で「追加注文発生」です。

まだ1つの注文が完了していないのに、重ねて「不足の心」を追加注文しているので、1つの目の注文(病気・トラブル等)が治まるどころか、更に状態が悪化する方向へ進んでしまうのです。

いさみ
いさみ

でも、誰も好き好んで病気やトラブルを注文しないわよ!「注文」と「注文の品」が一致しないのは何故?

いずむ
いずむ

「注文」と「注文の品」の因果関係が分かりにくいのが原因だよね。

そうです。
因果関係が問題ですね。
例えば・・

相手の右頬を叩いたら、今度は相手から左頬を叩かれる・・・

これなら、「心通り」と簡単に認識できますね?
でもわたし達は殆どの場合、「無意識」に心を使っているのです。
そして病気やトラブルの元になる「不足・不安」等の「喜べない心」が積もり重なって、心通りの注文が完成するわけです。

いさみ
いさみ

どうして積もり重なるまで「形」に現れないの?無意識でも「不足・不安の心」を使う度、直ぐに「病気やトラブル」が現れたら判断しやすいのに・・・。

それが創造の仕組みだからです。
例えば、「サッカーが上達したい!」と思ったとします・・・
いくら「心通りの守護」と言っても、直ぐにサッカーが上達することはありません。
しかし、毎日諦めず練習・研究している間に「心」が大きく育てば、その心通りに「サッカーが上達」する訳です。
このように「注文」から「上達」まで、どうしても「タイムラグ」が発生します。

それと同じ原理で、
「不足・不安の心」が大きく育たない限り、心通りに「病気・トラブル」が守護されることはありません。

いさみ
いさみ

それじゃ、少しくらい不足・不安してもOK!ってこと?よかった、よかった!

そうですが・・・
少しくらいと油断していると、その心が癖として定着してしまい、結局、陰気な心のまま注文を繰り返すことになります。

いさみ
いさみ

もう!
やっぱり、こんな「タイムラグ」必要ないわよ!

「注文」から「注文の品」が現れるまでの「タイムラグ」は、神様が与えてくれた「猶予」だと考えてください。

誰でもつい、喜べない心を使ってしまう時がありますよね?
でも、この「猶予」があれば、心を作り替え「今の注文はキャンセル!」して、新たな「喜びの注文」をすることが出来るのです。

いずむ
いずむ

成る程。
神様が決めた世界って、理路整然としているんだね。

寿限無
寿限無

その通りですね。
だから漠然と心を使うなんて、もったいないのです。

本日のまとめ

「かしものかりもの」「心通りの守護」「心自由」
この「3つの理」を心から離さなければ、いつでも心は自由です!
教祖のように
いつでも「喜びを選択」して使い続けることができます。

これであなたも楽々と「ひながたの道」を辿れますね?

おやさま
おやさま

せや、せや!

心自由を会得するコツ

心を意識的に使うこと。

人間は心を使う度に「心通りの守護」を注文している意識を高めること。
何か行動を起こす時は、「注文入りまーす!」と小声で呟きましょう!
心の中で「注文入りまーす!」と呟くのはNG!。
なぜなら、心の中は自分が思う以上に定まっていないのです。
心が形に現れてはじめて「心を使った」ことになり、自身も「形になった心」を見て心が定まり、定着して行くのです。

でも「注文入りまーす!」と言って、「不足・不安」の心を使っては意味がありません。
そもそも、何のために「注文」したのでしょう?
「喜びの品(守護)」が欲しいから注文するのです。
その為には行動している間、「喜びの心」を貫き通す必要がありますよね?
「喜びの心」を貫き通すために「注文入りまーす!」と呟き、自身に自覚させ「喜びの心」を自由に選択して使えるように意識を高めるのです。

なんか、馬鹿馬鹿しい・・・と思うかもしれませんが、このような小さな練習を続けることで、少しずつ「心自由」を会得してできるのです。

それでは、みなさん!
「3つの理」で陽気ぐらしを実践しましょう!

 

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