聞いた?いずむ。
わたし達の体は「神様のもの」らしいわよ。
らしいね。
神様から借りている「かしものかりもの」・・・でも借りた覚えは無いよ。
本当よね。
勝手に貸しておいて、喜べ!って強要しているのね。まるでヤ○ザみたい。
あのー・・・
勝手に話しを進めて、神様の印象を悪くしないでください。
と、いうわけで今回から「3つの理」を詳しく解説します。
先ずはじめに第一番目の理。
かしものかりもの
にんけんハみな/\神のかしものや なんとをもふてつこているやら
(おふでさき 第三号 41)
人間は体を含め、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・全て神様が貸している「かしものかりもの」。なのに人間は我が物のように使っている。
体を神様から借りているか?・・・は、さておき、「かしものかりもの」は一般的にも理解しやすい教理だと思います。
- 体は人間が造ったわけではない
- 食べ物の消化、吸収・排泄、心臓の鼓動、呼吸・・・何一つ人間の力で動くものはない
- 寝ている間も、呼吸や心臓は働き、体の疲れを癒やしてくれる
- 病気になれば体は動かない
- 死ぬ時、体を一緒に持って行くことは出来ない
一体、誰が人間の体を造り、管理し、大きく成長さるのでしょうか?
本当に人間って不思議ですよね。
でも、勝手に貸しておいて「喜べ!」って・・・神様ってちょっとヤ○ザ・・・いえ、恩着せがましいと思う。
確かに、勝手に貸していると言えますが、そんな美しい体を借りられて嬉しくありませんか?
ハッキリ言って大満足!むしろ絶対に返したくないわ!
大丈夫だよ。年取ればシワだらけになって、早く返したいと思うから・・・
体を借りられて嬉しくない人間は1人もいません。
暑い夏の晩、仕事帰りにキーンと冷えた生ビールを喉に流し込む!もう、それだけで幸せ!それだけで生きている意味を実感する!ああっ!人間に生まれて良かった!生きていて良かった!・・・
たった一杯のビールでそこまで幸せを感じられる人間。
大切な人と手が触れ合うだけで心がときめき、恋が叶うだけで夢心地になり「2人のため世界は回っているの」と歌い出す人間。
子を授かるだけで涙を溢れるほど喜びに浸り、子から「ママ、パパ」と呼ばれるだけで無償の愛を知る人間。
それほど人間世界は喜びで溢れている!
しかも「かしものかりもの」の範囲は広大です。
体を含め、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・全てが「かしものかりもの」。
人間の魂は、宇宙全体をワンセットで借りているのです。
これが「かしものかりもの」。
これが「神の実力」。
全ては、人間を創造した神様の責任において「かしものかりもの」を与えるのです。
私も鏡を見る度に、生きている喜びを感じるわ!
これが「かしものかりもの」なのね!凄いわ!「かしものかりもの」。
どうです?
自然と神様に対する感謝の気持ちが溢れて来ませんか?
うん!うん!
これが神様の与だって分かれば、自然に感謝したくなるわね!ありがとー神様!!
お分かり頂けましたか?
神様は人間に対して喜びを強要する必要がないのです。
でも、なぜ人間は病気を患うの?
「かしものかりもの」を我が物顔で使っている罰かしら?
もし「かしものかりもの」を喜ばない人間に対して罰を与えているなら、結局、喜びの強要だよね?
それは絶対に有り得ません。
だって、罰を与える方法では、人間に恐怖心しか植え付けることができません。
いくら形の上では感謝を示しても、心の中身が「恐怖」なら、神様への感謝の気持ちが芽生えるはずありません。
そもそも、病気を患うということは、患う種を心に持っているのです。
もともと、喜び薄い心。陰気ぐらしに埋没していた生活。
だから病気を与え、喜びの感受性を刺激するのです。
神様はただ知って欲しい・・・
「かしものかりもの」を知って欲しいのです。
一時的に病気で痛く苦しい思いをしたとしても「かしものかりもの」を知って欲しい・・・
「かしものかりもの」を知って、常に神様が側に付き添い、人間を守り続けている現実を知って、安心して暮らして欲しいのです。
人間に病気を見せるのは、人間にはどうすることも出来ない「かしものかりもの」を知って欲しいから・・・それが病気の意味。
だから「病気」を見て、「ああ、本当に体は『かしもの』、本当に人間の力では熱1度下げられない『かりもの』なんだ・・・なんて不思議な体、なんて有り難い体」・・・
このように「かしものかりもの」を理解できればミッション完了。
「かしものかりもの」に対して、喜びを感じさせるために与えた「体の患い」。
このミッションが完了すれば、もう病気を患う必要はない。
「かしものかりもの」を本当に理解すれば病気が治まる。
どんなに頑張っても思い通りに成らない体。
「かしものかりもの」を理解して安心と喜びを実感した時、その心通りに病気は「喜びの形」に治まるのです。
それが
心通りの守護
本日のまとめ
ちょっと待って!アンタ!今、凄いこと言ったわよ?
「かしものかりもの」を理解すれば、病気が治まるって本当!?
本当にそんな不思議なことが起こったら、医療業界がひっくり返ってしまうよ。
いえいえ、本当です。
「かしものかりもの」に対して恐怖ではなく、安心と喜びを感じるなら、その心通りに病気は治まります。それが理(法則)というもの。
と、いうわけで、次回は3つの理、第2番目の理。
2.心通りの守護
をお送りいたします。
かしものかりものを会得するコツ
体は自分で創ったわけではなく、管理もしていません。これは現実です。
だけど現実を受入れられず、なかなか「かしものかりもの」と思えない・・・。
これは単に意識改革の問題なのです。
体は「自分のもの」から、体は「神様のもの」へと意識を変えることが、「かしものかりもの」を会得する全て。
簡単な意識改革の1つとして、先ず、朝目が覚めたら、神様とレンタル契約を交わします。
そして寝る時は、レンタル契約を解除します。
神様に心からお礼を言って、かしものかりものをお返ししましょう。
たった、これだけですが毎日真剣に続ければ、続けた分、意識改革は進みます。
そして真剣に続けていると、不思議なことに「かしものかりもの」を実感できる状況を与えられるのです。
教祖逸話編の話にこんな話があります。
【これが天理や】
明治十二年秋、大阪の本田に住む中川文吉が、突然眼病にかかり、失明せんばかりの重態となった。隣家に住む井筒梅治郎は、早速おたすけにかかり、三日三夜のうちに、鮮やかな御守護を頂いた。翌十三年のある日、中川文吉は、お礼詣りにお屋敷へ帰らせて頂いた。
教祖は、中川にお会いになって、「よう親里を尋ねて帰って来なされた。一つ、わしと腕の握り比べをしましょう。」と、仰せになった。
日頃力自慢で、素人相撲の一つもやっていた中川は、このお言葉に一寸苦笑を禁じ得なかったが、拒むわけにもいかず、逞しい両腕を差し伸べた。すると、教祖は、静かに中川の左手首をお握りになり、中川の右手で、御自身の左手首を力限り握り締めるように、と仰せられた。
そこで、中川は、仰せ通り、力一杯に教祖のお手首を握った。と、不思議な事には、反対に、自分の左手首が折れるかと思うばかりの痛さを感じたので、思わず、「堪忍して下さい。」と、叫んだ。この時、教祖は、「何もビックリすることはないで。子供の方から力を入れて来たら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか。」
と、仰せられた。
真剣に道を求めると、なぜか病気や難儀な事が起こります。
でも、これは親の手助け。
子供が悟りやすいように課題を与えてくださるのです。
でも、中には難儀に耐えかねて「信仰しているのに、何でこんな酷い目に!」とかえって不足で心汚してしまう場合もあるかも知れません。
しかし、そんな時こそ神様に凭れましょう!
えっ?
目に見えない神様に、どうやって凭れるのか?
そんなの簡単です。
目に見える神様に凭れたれましょう!
目に見える神様・・・それはわたし達が借りている体。
そう「かしものかりもの」です。
ガンガン痛む体・・・でも「かしものかりもの」なら安心。
ズキズキ痛む体・・・神様のすること為すことに任せましょう。
わたし達の為、陽気ぐらしの為、神様が働き、体を治し、心をお育てくださるのです。
体は神様の領域。
心は人間の領域。
こうして完全に心と体が切り離された時・・・
不思議と痛みは治まり、神様のお仕事も一段落するのです。
子供の方から力を入れて来たら、親も力を入れてやらにゃならん。これが天理や。分かりましたか?
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