コラーーー!寿限無!!
新型コロナウィルスが神様の「つとめ」って、一体どういう意味じゃーー!
お!前回からまだ怒りを引きずっていたとは・・・。
まあ、まあ、可愛い猫の写真でも見て気分を落ち着けてください。
はい、どうぞ。
ぎゃーーー!何これ!!
あっ、すいません。間違えました。これは私が敬愛するアーティスト、プリンス通算10作目のアルバム「Lovesexy」でした。
あれ?いさみさんの表情に変化が・・・
今の画像見たら、全てが正常に思えて怒っているのが馬鹿馬鹿しくなったわ。
さあ、気を取り直したところで・・・今回の主題【新型コロナウィルスも「神様のつとめ」】の解説を始めます。
人間心と神心の隔たり
新型コロナウィルスも「神様のつとめ」。
つまり、神様のつとめによって、新型コロナウィルスも創造された・・・というわけですね。
だから、なんで神様が人間に対してそんな酷い仕打ちをするわけ?意味分かんない!
そですよね。
確かに人間側の立場から見たら、沢山人が亡くなるし、社会生活は麻痺するし、酷いことだらけで大問題です。
人間側の立場?
そうです。
人間側から見たら酷い話ですが、一方、神様の立場から見たら、これも「人間創造のつとめ」。
『おふでさき』に新型コロナウィルスと同じ疫病について言及しているお言葉があるので、それを台にして解説します。
せかいにハこれらとゆうているけれど 月日さんねんしらす事なり
(おふでさき 第14号 22)
世界ではコレラ(当時流行した疫病。現代の新型コロナウィルス)と言って恐れているけれど、月日親神様の残念を知らせているだけのこと。
「月日残念」・・・
神様が残念がる一番の理由はなんだと思いますか?
そんなこと簡単よ!世界中がアタクシの美しさに気が付かないこと・・・ふふ、正解?
えーーーと、人間が「陽気ぐらし」しないこと?
そうですね。
月日が残念に感じているのは・・・
神様の守護に気が付かず「陰気ぐらし」すること・・・です。
・・・ということは・・・神様の思い通りにならないから、ウィルスで罰を与えたわけ? ハッ!神様も心が狭いわね!
いえいえ、これは罰とは違います。
これは大掃除なのです。
どんなに守護を与えても満足できず喜べない心に、新型コロナウィルスという「相対的視点」を与ることで、別の角度から自分の現状を認識させて「喜び」へと導くのです。
「相対的視点」?難しい言葉を使わないでよ!
簡単に言えば、現在、新型コロナウィルスの影響で自由に外出できません。
こんな状況に陥ってしまうと、ただ普通に外出できることが、どんなに幸せなことだったか・・・その有り難みに気が付きますよね?
たった、ウィルス1つで社会生活が根底から覆される現状を鑑みれば、ウィルスが無かった無事無難の日常に有り難みを感じる心が育まれるのです。
比べれば、有り難みに気が付くけど、比べなる必要がない無事無難の日常では、自分の幸せに気が付かず不足の心で、陰気に暮らす人間が大半。
今回の大掃除のお陰で、神様を知る人も、知らない人も、ごく当たり前の日常に喜びを感じられるようになるなら、結果的に神様の目的は前進するのです。
しかも今回の様に、大掃除が世界規模の場合、よほど切羽詰まった状況。
今回の大掃除を受けきらなければ、これ以上進めない臨界点を迎えたのです。
つまり、人間側から見たら大変な事態だけど、神様側から見たら人間創造が新たな段階へ前進したのです。
でも、そのお陰で、沢山の人間が亡くなっているのよ?
人間創造って多くの犠牲の上に前進するの?
人間が死ぬのは、何も新型コロナウィルスだけではありません。
病気、事故、寿命など、様々な原因で毎日大勢の人が亡くなっています。
それら運命によって定められた「死」と、今回の新型コロナウィルスも根底は全く同じ。
そもそも、人間は「生」と「死」を自分の意志で決めることが出来ません。
確かに人間として存在し、自我を持って生きているのに、自分の存在理由を誰も知らないのです。
そんなこと、いくら人間が考えても分からないし、いくら不平を言い、叫き、運命を悲観したところで、何一つ現状は変わりません。
津波や大地震、ウィルス、病気・・・自然の猛威の前に、人間は為す術も無い。
そんなことは、遙か太古の昔から人類は知っていました。
どんなに人類の叡智が富み、文化文明が栄え、科学技術が進化したとしても、自然の猛威の前に、全ての人間は無力なのです!
自然の猛威。自然の力。
これが、「人間創造のつとめ」と言えば、どんな印象を持ちますか?
神様って恐い。
神様に対して恐怖を感じるよ。
人間は神様に怯えながら生きる悲しい生き物。正直、神様の心が理解できないわ。
全ては「人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむため」・・・と神様はおっしゃっていますね。
言ってることと、やっていることが真逆だよね。
全然一貫性を感じない。
それは何度も言うように、人間側の立場から見ているから・・・。
「神様の視点」に立って、自分、この世、人間世界を眺めなければ、全ては不条理で辛く苦しい世界になってしまうのです。
神様の視点に立てば、人が死ぬことも納得できるの?喜べるとでも言うの?
神様の視点に立てば、肉体は死にますが、魂は生き続けます。一時的に「かしもの」を返して出直すだけです。来世も神様の采配によって、前世より必ず喜べる運命を与えられ生まれ変わります。
でも、喜べる運命ばかりじゃないわ。運命に苦しむ人達も大勢いる・・・人間は運命には抗えないの?どんなに頑張っても、前世の行いで決まった運命は変えられないの?
運命を変えるために「つとめ」を教えて頂いたのです。
「つとめ」が運命を立て替える。
どんな悪しき運命も、自分の心1つで立て替えられるように「つとめ」への直参を許され、間違いのない「つとめ」を運べるように『みかぐらうた』を教えて頂いたのです。
『みかぐらうた』はつとめの地歌であると同時に、『陽気づとめ』を実現するためのトピックに溢れています。
その一節一節の意味を正しく理解して、歌い踊る心に『陽気』が宿り、それが種となって「一粒万倍の実り」となり、世界一列に陽気な恵みをもたらすのです。
本日のまとめ
新型コロナウィルスを、どんな心で受け止めるかは各々の自由。
もし本気で収束を願うなら、世界中のニュースをつぶさに観察し、世界の現状から目をそらさず、全てを受け止めた上で、「つとめ」に「陽気の種」を蒔きましょう。
世界救けの心。
口で言うのは簡単ですが、そう簡単に神様と同じ心、教祖と同じ心になれません。
だから、こうして日々、世界救けの心を育てられているのです。
世界とは自分。
世界が無ければ自分は成り立ちません。
自分だけ良ければ、自分だけ幸せなら、そんな我が身思案は幻想です。
世界救けとは・・・正しく自分自身を救けること。
「世界救け」を実現する唯一の方法、それが「つとめ」。
世界の喜びこそ、自分自身の喜び・・・
そう思いませんか?
コメント
現実の問題は、天理教には真柱がいる。これは常識です。指導者です。
初代真柱が中山家に入る → 43年 関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年 阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任 → 43年 東北大震災。
真柱に従うのが、天理教信者のお行儀です。しかし真柱は地震を起こします。従いますか。
1880年・初代真柱が中山家に入る →43年⇒1923年・関東大震災。
1882年・中山眞之亮、17歳で初代菅長に就任 。 →43年⇒1925年・北但馬地震。
1952年・二代真柱論達(教祖70年祭執行) →43年⇒1995年・阪神大震災。
・三代真柱・かぐら初の勤め →43年⇒1995年・阪神大震災。
1968年・三代真柱論達(真柱継承奉告祭執行) →43年⇒2011年・東北大震災
1981年・三代真柱論達(教祖100年祭執行) →43年⇒2024年・能登大震災。
1993年・三代真柱論達(教祖110年祭執行) →43年⇒2036年・(南海トラフ地震か?)
正月26日を待つのは、126年を意味していて、中山みきは地震を起こします。
中山みき 母親の胎内に → 126年 関東大震災。
中山みき 甘露台の予言。 → 126年 東北淡路大震災
中山みき「我は天の将軍なり。」 → 126年 東北地方太平洋沖地震
資産の数理43である。数理43は社会の土台を揺るがす意味で地震災害の数理である。
1848年 秀司 中山家で寺子屋開始 道に学問いらんに反する。学問は格差の原因。
⇒43年 明治24(1891)年10月28日 M8.0 濃尾地震 死者 7,273
1853年 秀司、戦い方を言いつけどうりにせず博打で大失敗
⇒43年 明治29(1896)年6月15日 M8.2 明治三陸地震 死者 21,959
1880年 はじめて三曲を含む鳴物を揃えてよふきづとめ。眞之亮は中山家へ移り住む。
⇒43年 大正12(1923)年9月1日 M7.9 関東地震 死・不明 10万5千余
1890年 大門新築上棟 表門構えではたすけられんに反する。
⇒43年 昭和8(1933)年3月3日 M8.1 昭和三陸地震 死・不明 3,064
1905年 年初の行事おせちの中止。その経費を出生家族慰問経費に充当。
⇒43年 昭和23(1948)年6月28日 M7.1 福井地震 死者 3,769
1925年 中山正善官庁就職奉告祭 天理教団は日本帝国主義に組み込まれる。
⇒43年 1968年 平成23年(2011) 3月11日東北大震災 死 19,729 不明 2,559
1952年 直属会発足 直属、直属以外の格差を制度化、差別の制度、ろくぢに反する。
⇒43年 平成7(1995)年1月17日 M7.3 阪神・淡路大震災 死者 6,434 不明 ・・、
43年の数理に見えるのは、格差を是正しない天理教を名乗る組織の欲の醜態である。教えがあっても⇒43年の天災の理を調べようとも確かめようともしない天理教集団がいて、世間は43×2=86を見る。この天理教団の態度はみきへの反対同様と、みきは受けとめている。
1840年みきは貧に落ちけれと天理王の命で家財の施しを開始する。親族反対。である。
⇒86年 十勝岳噴火 1926年 大泥流が山麓の集落を襲い144名の犠牲者を出す
1847年頃 神や仏が私の腹の中をお掃除下されたのです。と受けとめた毒の工作発生
⇒86年 1933年(昭和8年)2時30分頃に昭和三陸地震、発生。M8,6。
1862年 みきは病気助け同業者として、稲荷下げに二両二分渡した。理を理解されず。
⇒86年 1948年 福井地震 (昭和23年) 6月28日 都市直下型地震で、住家の全壊
34,000棟を超えた。地震の直後から火災が多発し福井市での2,407棟を含む
4,100棟以上が焼失。人的被害では死者3,769人に及び、震度7(激震)を創設
するきっかけとなった。
1909年 天理教一派独立を認可。政府公認の神道教団となる。本部に天理教庁が設置
され、各級教会は大教会、分教会、支教会、宣教所の4段階に改変された。
⇒86年 1995年(平成7年)1月17日(火曜日)に阪神・淡路大震災発生である。また、
同年(平成7年)7月11日、長野県北部と新潟県上越地方「7.11水害が発生。
2日間で400mm前後の大雨となり、関川と姫川流域で斜面崩壊や土石流、河
川氾濫などが相次ぎ、大雨で6人が死傷、家屋の浸水は6,000棟以上に及ぶ。
1925年 大正14年4月23日、管長就職奉告祭が執行され、中山正善は未だ学生の身で
管長としての職務を行うことになる。お筆先にある真柱職は戦前は隠されている。
⇒86年 災害が頻発した2011年は災害だらけの1年で、1月に霧島連山の新燃岳が
噴火した。この噴火以降、阿蘇山、桜島、口永良部島など、霧島火山帯の火
山活動が活発になり、3月9日11時45分ごろには、三陸沖で地震で地震(M7.3)
が発生します。. 東北地方太平洋沖地震の前震です。次に本震が直撃です。
必ず天罰する、恐ろしい宗教の、天理教の神です。病気も、発生させます。治します。
コメントありがとうございます。
でも意味が分かりません。