『天理時報』「戦」の年を振り返る

戦争天理時報

今回の投稿は、立教185年(令和4年/2022年)12月21日発行の天理時報「視点」より

「戦」の年を振り返る

今年の世相を表す「今年の漢字」が「戦」に決まった。 また、米誌『タイム』恒例の 「今年の顔」には、ウクライナのゼレンスキー大統領が選ばれた。
思い返せば、昨年の今ごろ、 1年後の世界がこのような事態になっていると誰が想像できただろうか。21世紀の世界で、部族間の衝突” や国家間の紛争”を超えた、一方 的な侵略に端を発する戦争” が現実のものとなったのだ。・・・・・

激動の2022年も12月終盤に差し掛かったので、筆者も天理時報と共に今年一年を振り返ってみた。

2022年は様々な「戦」が起きた。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、円安・物価高など生活の中での戦い、サッカーワールカップ、北京オリンピックの日本人選手の戦い・・・
今回の「視点」を読んで真っ先に想起したのはTwitterの「戦」。
それも天理教界隈における”批判派”と”反批判派”との「戦」である。

Twitterで天理教関係のフォロー・フォロワーが多い筆者のタイムラインには、純粋に天理教の活動を楽しんでいる”肯定派”、天理教の問題点を提起する”批判派”のツイートが頻繁に流れてくる。
普段はお互い気が合うフォロワー同士で、”いいね”やコメントのやり取りをして平和に時は流れて行くのだが、潜在的に”肯定派”と”批判派”はお互いのツイートが気に触り、その主義主張は反目しているので、常に一触即発「戦」の火種がタイムラインに流れている緊迫状態とも言える。
そしてお互いのツイートに疑問、反論、批判のコメントをしようものなら最後、「戦」の火ぶたは切って落とされる。

一旦「戦」が始まると、”批判派”は批判スタイルで一貫しているが、面白いことに”肯定派”は”反批判派”に変貌し、”批判派”に対して「カウンター批判」を仕掛ける。

肯定派”から”反批判派”に華麗にジョブチェンジ!

日頃から、”教組のひながた”、”いんねん”、”たんのう”、”人たすけ”など「お道の理念」を掲げ、自らの信仰心をツイートをしている方々が一転、”批判派”を悪とみなし、批判を封じる敵対行動に舵を切る。

なぜだろう?
「批判」が出ることは決して悪いことではない。
内にいると気がつけないことも、外からの指摘で問題が露呈することは多い。
実際にクレームを活かした企業や店舗が、業績を上げる話もよく耳にするので、本来、批判を活かせば教団・個々の信仰者にとって有益だと思うのだが・・・
天理教組織や信仰内容に問題があるから批判が噴出するわけで、批判があるから改善に取組み、更なる成長を期待できるのだから、批判を封じる動きは「問題の先送り」であり、チャンスを自ら潰していることになる。
しかも問題を改善すれば批判も収り、一石二鳥の良いことづくめ。

にも関わらず、
”批判のための批判”
などと、ワケの分らないレッテル貼りで、「”批判派”を無視しよう」と教内へ呼びかける「あからさまな敵対行為」、否「非人道的行為」に及ぶ。

えっ?!
”教組のひながた”は?
”いんねん”は?
”たんのう”は?
”人たすけ”は?

そんな”反批判派”の教理矛盾を指摘すれば、
”異端”
と罵り、徹底排除の構えを見せる始末。

えーーー?!
信仰心はどこへいった!?
世界一列兄弟姉妹が聞いて呆れるよーーー!!

もちろん”肯定派”の全てが”反批判派”にジョブチェンジするわけではなく、一部の突飛な行動のようにも思えるが、”肯定派”の中には”反批判派”へ”いいね”で後押しし、エールを送る方々も多く、潜在的、または無意識下において”反批判派”へジョブチェンジする”肯定派”は少なく無いように思われる。

「宗教戦争」ほど馬鹿馬鹿しいものは無いと考えていたが、同じ信仰を持つ天理教内でも根深い対立が起きるのだから、「人の心と言うものは、ちょいとに分らんものなるぞ」と諭される理由も頷ける。

しかも、この対立を作りだしているのが、自らを「天理教の正道」と位置付け、「感謝・慎み・たすけあい」を謳う”肯定派”なのだから・・・

いつもの信仰心は?
同じ仲間ではないのか?
神の下には兄弟姉妹ではないのか?

天理時報「視点」の中でも、”世界一列兄弟姉妹”としての「われわれ」を訴えているではないか!

寒さと飢えに耐え忍びながら、なんとかこの冬を生き延びようとする数多の人々がいる。暗闇に身を潜めつつ待ち 続けるのは、「敵」の撤退と「味方」による救援だろう。 「戦」は、常に「敵ーー味方」の構図をなす。「われわれ」と「彼/女ら」の対立が、あらゆる「戦」の根底にある。より正確には、「彼女ら」 を“敵”と見なすことで、”味方”としての「われわれ」が立ち上がると言うべきだろう。
この図式は、実は人間社会のーーさらには言語のーー本質的な特徴にほかならない。
「敵ーー味方」とは言わずとも、「われわれ」の自覚は、「われわれではない存在=他者」の意識とともに生起するのだ。
教祖は、世界一れつは「きょうだい」であり、他人というものはない、と教えられた
それは、親神様の「こども」としての人間が「をなしたまひい(同じ魂)」を与えられ、また、身体をかしものとして与えられているからである。 そして、人間がこの真実を知れば「むほん(謀反)」の根は切れ、「よふきづとめ」に取りかかれば「たかい(戦い)」 も治まるとも教えられている (おふでさき1号4-5)。
先の図式からすれば、これは、「敵」や「他人(他者)」との関係で「われわれ」を捉える視点から、「をや」との関係性において「われわれ」を想像する視点への転換を迫るものと言えよう。

「敵」や「他人(他者)」と捉えず、”世界一列兄弟姉妹”としての「われわれ」を想像する視点へ転換しよう!

これは暗に”反批判派”の暴挙に釘を刺したと言えるだろう。

天理時報もたまには良いこと言いますねぇ~

つまり人間は、「敵ーー味方」の構図で 「われわれ」を捉えるのではなく、むしろ「をやーーこども」 の構図で、「きょうだい」としての「われわれ(人間)」を自覚することが求められているのではないだろうか。

反批判派”の方々は天理時報のお言葉を胸に刻んでほしい。
同じ兄弟姉妹が訴えているのだ。
教組のひながたを辿ると言うなら、深い親心で包み込むことはできないものだろうか。

なぜ世界情勢がいつまでも収らないのか・・・

どこかの国が戦争を起こしているから?
どこかでウィルスが発生したから?
常に誰かと誰かが争っているから?

親神様の「こども」としての人間が「をなしたまひい(同じ魂)」を与えられ、また、身体をかしものとして与えられているからである。 そして、人間がこの真実を知れば「むほん(謀反)」の根は切れ、「よふきづとめ」に取りかかれば「たかい(戦い)」 も治まるとも教えられている

この真実”を知っているのに、なぜ「戦い」が治まらないのか?

この真実”を知る者が、”この真実”を自覚せず「われわれ」とその他大勢に区別しているからでは?

  • この真実”を知る「われわれ」
  • この真実”を知らない「その他大勢」

つまり「むほん(謀反)」の根をガッツリと残したまま、上辺うわべの知識(ただ知っている)だけの信仰で、「世界たすけ」などと世迷い言を掲げているのでは?

この真実”を知る者が「むほん(謀反)」の根が切れないのに、一体誰が「ようきづとめ」に取りかかり「戦」を治めることができると言うのか?

真実の種”を蒔けば「一粒万倍」と教えられているのに・・・
雨乞いづとめすれば、自分の畑だけではなく周囲の畑も恩恵を受けるように、「ようきづとめ」に取りかかれば、遠く離れた世界の「戦」を治められると教えられているのに・・・

なさけないとのよにしやんしたとても
人をたすける心ないので(第十二号 90)

これからハ月日たのみや一れつわ
心しいかりいれかゑてくれ(第十二号 91)

本当の意味で「人をたすける心」を問われている。

この真実”を知るだけではなく、しっかり自覚し、「われわれ」と「その他大勢」ではなく「同じ親神様の子・世界一列兄弟姉妹」の思いを抱き、味方であろうと、敵であろうと「分け隔て無くたすける心」に入れ替えることが「誠の信仰」ではないだろうか?

肯定派”の方々は”反批判派”へジョブチェンジする前に、是非、今回の「視点」を読み返してほしい。
しっかり最後まで読んで頂きたい・・・

来年こそ「戦」が収まった、 世界の新しい”景色”が見られることを望みたい

ん?
望みたい

「望みたい」ってアナタ・・・
もしかして天理時報も他人任せ?

そこは、

今直ぐ「戦」の終結を願い、われわれ自身が「謀反」の根を切り、教内一丸となって「ようきづとめ」に取りかかろう!

と締める処じゃないの??

つまり人間は、「敵ーー味方」の構図で 「われわれ」を捉えるのではなく、むしろ「をやーーこども」 の構図で、「きょうだい」としての「われわれ(人間)」を自覚することが求められているのではないだろうか。

これって、まさか、
「ロシアやウクライナに自覚を持て」と投げかけていたの?
この真実”を知らない「その他大勢」に自覚を持てと?

つまりこう言うこと?

真実を知っている我々(天理教一同)は既に自覚し、謀反の根を切り、ようきづとめで教内は平和に暮しているもん!
真実を知らず「戦」に明け暮れる困った人々が、我々と同じように真実を知り、兄弟姉妹の自覚を持てば、「謀反」の根は切れ、ついでに「ようきづとめ」に取り掛かれば世界平和が訪れるのだ!
イエェェーーースッ!!

まさか、こんな風↑に言いたかったのかな?

親神様の「こども」としての人間が「をなしたまひい(同じ魂、ってひらがな表記いらんでしょw)」を与えられ、また、身体をかしものとして与えられているからである。 そして、人間がこの真実を知れば「むほん(謀反)」の根は切れ・・・

天理教の信者なら誰でも知っている、”この真実”。
この真実”を知っている「われわれ」は謀反の根が切れている・・・つまり、”この真実”を知らない人々に投げかけていると言うことか?

『天理教教義を全世界が治めたら、世界平和が訪れる。』

まさかの、”反批判派”と同じくロジック、「他者」に教理を向けているのだ。

『ロシアとウクライナよ、われわれの様に自覚しろ!頼むぜ、オイ!』
『目覚めよ!天理教への批判は神への謀反!』

なぜ、天理時報も”反批判派”も「自分」ではなく「他人」に教理を向けるのだろうか?

教祖のひながたを辿るなら、先ず批判も含め「見せられた理(いんねん)」に対して自分事として治め、「自分の治まりをもって相手も治まる方法(たんのう)」を選択するのが本筋。
それが信仰者たる由縁であり、天理教信者としての絶対正義・・・と思うのだが、なぜか「カウンター批判」は”雨後の筍のごとく”次から次へと湧いて出る。

なぜなのか?

何が彼らを後押しするのか?
なぜだろうと思案をはじめて3秒で答えが出た。

Anser:
理由は、信仰者特有の「われわれは100%絶対に正しい」という視点。

だからこそ、道理に外れた発言・行為も平然とやってのける。

絶対に正しい「われわれ」を批判する者達は絶対に悪!

この無敵思考が全てを正当化させているのだ。
例え教祖のひながたを踏みにじり教理矛盾を起しても、相手を誹謗中傷し、暴言を吐いたとしても、絶対に正しい「われわれ」に神様は味方する!

”絶対善”の「われわれ」
”絶対悪”の「その他大勢」

この真実”を知っている「われわれ」
この真実”を知らない「他者」

この二極に美しく分かれた世界。

故に「われわれ」は神の代弁者であり、「われわれ」が行う批判は悪を切り裂く正義の剣。
その名も「迷剣ダブルスタンダード」!

ダブルスタンダード剣

他人の批判は「非道」
自分の批判は「正義」

「われわれ」は、教えを知り、自覚しているので、天理教に向けられた批判は「われわれ」の”いんねん”ではなく、批判する側の心の汚れ。

ところが「迷剣ダブルスタンダード」は”二重基準”で相手を批判するゆえに、論理破綻で弱点を曝け出す諸刃の剣。

「はあ?批判は不足って言うくせに、自分も他人を批判してんじゃん!それ不足だしww」

反批判派”が語れば語るほど、天理教団のマイナスイメージが世間に伝わり、「カウンター批判」が続けば続くほど、その印象は定着する負の連鎖を引き起こしているのだ。

これは悪手。
逆効果。
痛恨のオウンゴール。

オウンゴール

天理教の悪しきイメージを打ち消すはずが、逆に拡散してどうする!

だが、”反批判派”の気持ちも理解できなくもない。

Twitterは、フェイクに基づく情報や、悪意に基づく情報が簡単に拡散できる。
その中で、正しい情報を選別し、見極める為には第一次情報に基づくファクトチェックが欠かせない。
それを怠ると知らぬまに自分自身が悪の片棒を担ぐ羽目になる。
天理教批判の殆どは、実名を隠した「真偽が不確かな自己申告」であり、文面だけでは”嘘”か”誠”か判別することは難しく、疑心暗鬼は避けられないかもしれない。

だが、天理教信者にはただ一つ、確かな”誠”があるはずだ。

向けられた批判に対して”対立”や”カウンター批判”するのではなく、批判を自身の”いんねん”と治めて”たんのう”する「天の理」があるはずだ。

“たんのう”とは「じっと我慢する」イメージが強いゆえに、「肯定派は批判派に黙ってタコ殴りにされてろ!」と聞こえるかも知れないが、本来、”たんのう”の意味はそうではなく、あくまで「善に進む心の治め方」を指している。

批判者の立場に寄り添うことも善。
“問題の根”が自分にあると悟るのも善。
構造改革・運営方針の見直しにより”問題の根”を切ることも善。
我慢ではなく、皆が喜べる方向へ進むことが善。
その善に進むからこそ、心は勇み立ち「たんのう」できるのだ。

しかし、時報の様子を見ていると来年も「戦」は収まりそうにない。

来年こそ「戦」が収まった、 世界の新しい”景色”が見られることを望みたい

まるで他人事。
まるで他人任せ。

世界一れつは「きょうだい」・・・人間がこの真実を知れば「むほん(謀反)」の根は切れ、「よふきづとめ」に取りかかれば「たかい(戦い)」 も治まるとも教えられている

誰が「謀反」の根を切るのか?
誰が「ようきづとめ」に取りかかるのか?

まさか、ロシア・ウクライナに「世界一列兄弟姉妹」の自覚を持てと?
まさか、「戦」を起こしている者が「謀反」の根を切れと?
そして神様にお詫びし「ようきづとめ」に取りかかれと?

チャウチャウ

ちゃうちゃう!

「謀反」の根を切り、「ようきづとめ」に取りかかれるのは”この真実”を知り「心入れ替えた者」だけです!

その自覚が無いからこそ、批判に目を向けず、教内で苦しむ信者を放置し、教祖の教えを蔑ろにする。
これこそ「神に対する謀反」。
「謀反」の根を抱えたままの教団に「ようきづとめ」がつとまる筈がない。

まあ、こんな正論が通じないのはとっくの昔に理解している。
お金が集中する立場なら困ることはない。
世界で戦争が起きても、世界経済が混乱しても、物価が上がっても自分達は安泰なのだから、彼らが重い腰を上げる理由はない。
利権側にいる者が、甘い汁を手放すことは難しい。

だが「世界ろくじにふみならす」と宣言された月日のお膝元”お地場”で、あからさまな高低差があるのは歴とした事実。

  • 教内の経済格差
  • 封建的上下関係
  • しかも経済格差・上下関係は出自により固定される

月日の意志に反する以上、矛盾を抱えたまま、いつまでもやり過ごすことは出来ない。
事実、教勢は衰退の一途。
月日が始められた道において、人間思案のまま教団を運営するには限界がある。
批判も「月日の問いかけ、たすけの手」と思案するのが正しい理の治め方ではないだろうか?

だから手遅れになる前に、”批判”にしっかりと耳を傾けてほしい。
”カウンター批判”に精を出している場合ではない。
われわれ一人一人が「謀反」の根を切り、改善の機運を高めれば、教会本部もいよいよ重い腰を上げざるを得ない。

そして教内全体から「謀反」の根は切れて、分断された二つの道は一つになり、全教徒一丸となって「ようきづとめ」に取りかかれば、その時こそ「世界の治まり」になる・・・

などと、
2022年を象徴する「戦」を振り返りながら、そんな夢想に耽るのであった。

おわり


【批判】
良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。

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