三年千日、ひながたをたどるとナニが起きる?

天理時報天理時報

教組140年祭にへ向かう年祭活動の指針となる「諭達第四号」が配布され、教内はにわかに活気づいている・・・のかな?

天理時報のそこかしこに「三年千日、ひながたをたどる」の文字が乱舞している。
なにかと言えば、三年千日。
隙さえあれば、ひながたをたどる。
全教一丸となり勇み立っているのか?
それとも諭達第四号への忖度か・・・
ちょっと強引じゃない?
ねじ込み過ぎーー
って思う部分もありますが、兎にも角にも勢いだけは伝わってくる今日この頃。

そもそもの話。
「三年千日、ひながたをたどる」とナニが起きるのか?

その前に、
「ひながただどる」を本部はどのように解釈しているのか?
早速、調べてみよう。

古い記事だが、立教185年(令和4年)11月23日発行の天理時報にはこう書かれている。

本部在籍者らを対象とする本部巡 教「親里会場」が設けられ、おやさとやか南第2棟陽気ホールに285人が参集した。 西浦忠一本部員による開あいさつに続いて、松村義司本部員が登壇。
一同と共に「論達」を拝読した後、年祭活動の意義について、あらためて言及した。
そのうえで、「ひながたをたどる」ということについて、教祖が50年を通して伝えてくだされた教えの根幹部分は、親神様の守護を感じ取って報恩の念を持って通る 「ご恩報じ」親神様にもたれて通りきる「神 一条」人たすけをする「たすけ一条」が肝心であると強調。

本部員の弁によると、「ひながたをたどる」とは、教祖が50年を通して伝えてくれた、

  • ご恩報じ
  • 神一条
  • たすけ一条

この三つが肝心であり、更に年祭活動では、この部分を見つめ直し・・・

ひながたの道を自分自身の道として、三年千日の間に、しっかり神一条、たすけ一条に通る心を定めたい」と語った。

ん?
三年千日の間に・・・定めたい???

三年千日の間に、しっかり神一条、たすけ一条に定めるか?定めないか?決めるってこと?
三年千日の間中、「定めようかな~?どうしようかな~?」と逡巡し、三年千日後にようやく「よし!神一条、たすけ一条に定める!」ってこと??
随分悠長なのね。

あ、「三年千日の間、しっかり神一条、たすけ一条の心で通り切る」と定めたい・・・って言いたかったのかな?
でも「定めたい」ってアナタ、まだ定めていないのね?
本部員なんだから、率先して「定めた!」と言い切らないと、誰も着いて来ないんじゃない?
まさか、やはり三年後に心定めを見据えているのかしら?
って、神一条、たすけ一条ってお道の基本じゃないの??
本部員でありながら、その基本中の基本をまだ定めていなかったの???

まあ、それは置いとくとして、
年祭活動の具体的な歩み方に触れているので、続けて読んでみよう。

この旬に一人でも多くの人がひのきしん、にをいがけ、おたすけの実行ができる用木と成人するご守護が頂けるよう に、私たちお互いが率先してさらなる実践に励むことが大切と指摘。その積み重ねに よって、教祖の付けられたこの道が、揺るぎない、確かな道として将来に続いていくと話した。

教組50年のひながたは、

  • ご恩報じ
  • 神一条
  • たすけ一条

と話されていたが、結局、「三年千日、ひながたをたどる」の中身を纏めると・・・

  • ひのきしん
  • にをいがけ
  • おたすけ

いつも通りの内容になる。
ただし、「しっかりして」「本気で」と檄を飛ばすパワーワードが添えられている。

最後に松村本部員は、私たちが心定めをしっかりして、三年千日を仕切って本気で実践して通りきり、その姿を周囲の人にも 映すとともに、にをいがけ・おたすけに励み陽気ぐらしへの道を伸展させようと呼びかけ、 講話を締めくくった。

ここまでの流れで、大凡おおよその「ひながとをたどる」意味合いが掴めたと思う。
だが「しっかりして」「本気で」と言う割には、その塩梅はそれぞれの道人に任されているようだ。

日頃「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」に消極的な道人は、その実施回数を大幅に増やし、常に積極的に運んでいる人は、120パーセント増毛、否、増量キャンペーンを行うということか。

ただ、「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」の伝導力が効果薄めなことは、実践している人達は何となく感じていると思う。
でなければ、ここまで教勢は落ち込まない。
数字に如実に現れている。

「いやいや、効果はある。問題は心定めをしっかりして本気で運ばないからだ。」

そんな反論が聞こえて来そうだが、
この「しっかりして」「本気で」とは具体的に何を指すのか?
筆者には教団側が信徒に向けた「しっかり頑張れ!必死に挑め!」と檄を飛ばしている様にしか聞こえない。
「しっかりして」「本気で」の具体的な運び方は明言されていないが、その成果は結局のところ「数字(おたすけの数、信者獲得数、お供えの金額)」に帰結するのだから、真面目な信者達は必死で数字を追うはめになる。

心の救いを実現するはずの宗教が、数字を求めて信者達の心を疲弊させている?

これはもう、悲劇という他ない。
なぜ、こんな悲劇が起こるのか?
それは、天理教団が利益追求無しでは成り立たない「企業的側面」を持つ巨大組織だから。

利益(お供え)が右肩上がりの運営状態なら、下から上まで教内が潤い、不満は少ないかも知れないが、利益が下がり始めると、そのツケは全て末端信者にしわ寄せがくる。
元々質素倹約を旨として、余分な生活費をお供えに回していた信仰家庭は、更に苦しい生活状況に追いやられる。
教えを信じて道を通って来たのに、益々生活が苦しくなるのだから、今までの信仰スタイルに疑問を持たない方がおかしい。
それでいて上層部は天理貴族と揶揄される何不自由ない生活を送っていたら、教団そのもに不信感を募らせるのは当たり前だ。

教祖の命に背いて教団化を強硬した報いなのか?
これは今更嘆いても後の祭りだが、この負の状態を放置すれば教団存続が危ぶまれる。
故に、「しっかりして」「本気で」と檄を飛ばす言葉が突き出て来るのだ。

だけど教団側も具体的方法まで示せない。
相も変わらず「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」と過去の成功例に縋って、新基軸となる具体策を検討しようともしない。
ハッキリ言って教団自体が道に迷い、何が正解なのか分らない状態なのだろう。

これは知り合いの大学教授から聞いた話だが、とある集まりで天理教団幹部の一人がある学者さんに「この先、天理教はどの道へ進めば良いのか?」と、こんなニュアンスの相談をしていたらしい。
彼は「あきれ果てた」と嘆いていたが、これが教団の現実。
この話も十年以上前のことだから、今はもっと病状は進んいるはず。

「しっかりして」「本気で」の部分を各々の判断に委ね、なんとか数字を上げたいと意気込む中で、過去に起きた「手相占いに偽装した勧誘」のように、とにかく数字に直結させる奇抜な策を選択する信者が出るかもしれない。
追い詰められた信者は何をするか分らない。
その責任は教団が負えるのだろうか?

まあ、そんなこんなで、「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」と称して数字を追い求める三年千日が始ろうとしている。

冒頭で提議した、「三年千日、ひながたをたどる」とナニが起きるのか?
ここまで教団の現状を追ってみると、期待するような事はナニも起きそうもないが、せっかく教組140年祭に向けて「三年千日」にスポッライトが当てられているので、教理に沿った「三年千日」も今一度振り返ってみたいと思う。

「三年千日」は皆様ご存じの通り、明治22年11月7日のおさしづが元になっています。

明治二十二年十一月七日午後十時四十分 刻限

・・・なれど十年経ち、二十年経ち、口に言われん、筆に書き尽せん道を通りて来た。なれど千年も二千年も通りたのやない。僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しのや。ひながたの道より道が無いで。何程急いたとて急いだとていかせんで。ひながたの道より道無いで。

・・・

なれども、何年経てばこうという理が、外れてはあろうまい。世界には何を言うやら大工がと。日本一の大工や。

・・・

ひながたの道が出してある。ひながたそばにある

・・・どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ

・・・

まあたった三日や。三日は分かろうまい。今と言うたら、今の事のように思う。ひながたの道を通れば、僅か年限の間に、何と分からなんだなあ。前々は我が俺がと言うて居たなれども、どうもあんな者とも知らなんだと、世界から言うのは、まあたった三日の間や。三日の辛抱さえしたら、どんな道があるやら分からん。あちらも狭ばい、こちらも狭ばい。あちらも広め、こちらも広めに運ぶ。三日の辛抱したら、今の三つが、三日経てば何ぼに成るやら分かりゃせんで。一日々々の日が近寄る、何処から見ても出るも、ほんに見るも、ほんになあと言う日は、まあ三年の間や。三年経てば、偉い事に成るのやで。三年の道は直きや。そこで、難しい事せいとは言わん。古い型のひながた、見えてある事分からん。一年後というものは、大方成るかと思えばどんと行き、これではならんという処から、一寸道を開き掛けた。まあ/\世界から見れば往還。細道は通りよい、往還通り難くい。何を言うと思う。往還通り難くいという理聞き分けたら、三日の間や。なれども、これまで細い道を通り来た故、大き道に成るのやで。三年やそこらの事は、三日の日の事思えば直きや。三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。たったそれだけの事が分からん。そこで皆んな一つ/\の理を寄せてくれるよう。僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん。たった三日の間や。

元のおさしづが長いので要点だけを引用しましたが、それでも長いので要約すると・・・
教組が50年かけて通ったひながたの道中を、たった三年通るだけでひながた同様に身に付く。
この三年千日、ひながたをたどれば、不自由しようにも、難儀しようにも出来なくなる・・・という有り難いおさしづ。

そして注目すべき点は・・・

どんな者でも、ひながた通りの道を通りた事なら、皆ひながた同様の理に運ぶ

ひながた同様の理に運ぶ

ひながたそばにある

日本一の大工

本席、飯降伊蔵が通られた一筋心の道中は有名で、その結果、ただの大工が日本一の大工に成られた。
つまり「道具衆ではない魂が、神様の御用に引き立てられた」のです。

この事から、三年千日、ひながたの道をたどれば、誰であろうと「神の機械」となり、お地場で神様の御用をつとめる、という破格の内容。

これはもの凄いことを諭されている。
現在、お地場では神の機械不在が続き、真柱が道の芯として崇め奉れているが、本来、真柱とは神の機械が存在してはじめて「真柱」としての役目を果たせる。
簡単に説明すると真柱とは、神のことば、刻限のことばを人類の代表として受ける役目。
真柱が存在しても、神の機械が存在しなければ、地場の仕組みは不完全。
ぶっちゃけ真柱が居ても居なくても世界の情勢に変りはないが、神の機械が存在しなければ世界が治る道はない。
それほど重要なにんを排出するための「三年千日」。

過去にそんな人が存在しただろうか?
存在しないと言うことは「三年千日」を通り切った者が未だいないと言うことか?

否、もしかしたら過去に「三年千日」を通り切り、月日より天啓を受けた人がいたかも知れない。
だが、中山家主体の体制を維持するため、悲しくも「異端」として排除された歴史があるのかも知れない。

もし仮に今回の三年千日後に、晴れて神の機械が誕生したとしても、教団は素直に受入れるだろうか?
間違いなく異端として排除するだろう。
これは何を物語っているのか?
この先、道の行く末は「暗闇に覆われ続ける」という、相も変わらぬ現実を物語っているのだ。

今後、教団の保身と方針で「神の機械」が望むべきもないなら、せめて下記一文だけでも実現したいもの。

三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しようにもしられやせん

精神的にも、身体的にも、経済的にも、人間関係的にも、難儀不自由しなくなる・・・
だが、この一文すら実現した者はいるのだろうか?
天理教上層部は代々続く既得利権のお陰で、経済的には難儀不自由していないかも知れないが、精神的、身体的、人間関係的には世間並みに苦労が耐えないのではないだろうか?
末端信者はその上に経済面の苦労も追加されるのだから、この一文に真実味を感じるものは少ないだろう。

「難儀不自由があるのは、心定めをしっかりして本気で三年千日を通らないからだ!」

仰せごもっともだが、ひながたを示した人はいるのかな?
もしかしたら、今までの方法「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」が、「ひながたの道をたどる」に当て嵌まっていないのでは?
「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」はあくまで布教の一環、他者への伝道の側面が強い。
だが道の本質は自身への求道ではあるまいか?
しっかり通っているなら、なぜ人は離れ、お供えは減り、教勢は落ち込むのか?
数字を追うあまり、他人への伝道ばかりに精を出して、自身への求道を疎かにしたツケではないのか?

そもそも、現在行われている天理教的布教方法を、教祖は実践したのだろうか?
答えはNO!
教祖は先ず自分の因縁に向き合い、人間心の掃除から始められた。
そして神の心とひたすら向き合い、教えの理に徹底し続け、完全に神の心を身に付けられた。
その前提があればこそ、教祖は神様に連れられ、多くの難渋を救い上げる立場に成られたのだ。

現在のお道は、その前提が全て逆立ちしているといって過言ではない。

  • 神ではなく教団の都合
  • 自分の求道ではなく他人への伝道
  • 心ではなく数字の追究

数字を求めるとは「形を求める」ということ。
自身の内に神の心を求めることをせず、他者へ神の心を押しつける。数字という成果を上げるため。

この教団構造の中に、どうして誠が育つだろう?

教祖が通られたひながたの道中。
神の心を追い求め、神の心で生き抜いた道中。
求めたのは数字ではない。
求めたのは神の心。
そして純然たる世界一列のたすけ。

神の心とは無形の財産。
教祖のひながたも無形の財産。
教団が無くても人づてに伝わる無形の心。
決して数字で表わせない。

現在の天理教的「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」でひながたの道はたどれない。
本来、神語である「ひのきしん・にをいがけ・おたすけ」などの教語は、人間の都合により汚され続け、今やお道から神の匂いは失われつつある。
お道はこのまま消えて無くなるのか?

否、まだ可能性は残されている。

この窮地を打破できるのは唯一、神のことば。
今、再び地場に神が降臨して、ことばの意味をアップデートし、神がめどうの教団に生まれ変われば、道を覆う暗闇は難なく打ち払われる。
元々神のことばで始まった道。
人間の心自由に任せた道ではあるが、誤りを正し、心を育てならが、末代まで連れ通るのは神の役目。

ここまで話せば分るのでは?
三年千日、ひながたをたどるとナニが起きるのか?

神様が地場に常駐し、神と人が語り合い、喜びを深め合い、誤りなく着実に「一列澄ましてかんろ台」を実現する道の復活!
その人がアナタかも知れない。

おやさま
おやさま

きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを

本席様
本席様

十ド このたびいちれつに
だいくのにんもそろひきた

以上、三年千日、ひながたをたどるとナニが起きるのか?
でした。

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