天理用語の解説 『分け御霊』
『分け御霊』とは?
人間は月日親神様の『分け御霊』。
『分け御霊』とは月日親神様の魂から分けられた魂(人間の本体)のこと。
あまり聞き慣れない用語かもしれませんが、『分け御霊』の意味を知ることは「自分を知ること」と同義です。
人生において「自分探し」は永遠のテーマ。
自分は何のために生きているのか?
本当の自分とは?
誰でも一度は必ず考えるテーマ。
『分け御霊』の意味を紐解き、自分探しに決着をつけてください。
実の親
『分け御霊』のヒントは『みかぐら歌』第二節にあります。
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし
(なむてんりわうのみこと)
「この世の地と天」とは何を差しているのでしょうか?
『おふでさき』では「実の親」と教えられています。
このよふのぢいと天とハぢつのをや
それよりでけたにんけんである (10-54)
地と天 = 実の親 = 月日
人間の真実の親は月日。
私の両親も、私自身も、私の子供も、真実の親は月日なのです。
月日を象りたもの
月日親神様を象り・・・
かたどる【象る】
物の形を写し取る。また、ある形に似せて作る。
月日親神様を象り、人間を拵えた。
と、いうことは・・・
神様も人間と同じ姿形をしているのでしょうか?
人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。
身はかりもの
身体は神様からお借りしているの神様のもの。
身体は自分のようで自分ではない。
心一つが我がのもの
自分のものと言えるのは心だけ。
つまり人間の実体は形のない心なのです。
よって神様の実体も形のない心。
しかし、心は本体があって、そこから生み出されるもの。
それでは人間の本体とは?
魂が人間の本体
高山にくらしているもたにそこに
くらしているもをなしたまひい (13-45)
人間の本体は魂なのです。
月日の魂を象りたのが、人間の魂。
つまり、月日と人間は同じ魂を持つ親子。
月日の魂を分けた人間の魂。
これが『分け御霊』。
人間の魂は月日親神様と同じ性質を持っている・・・
神様と同じ魂・・・
それなのに・・・
なぜ人間は酷い心を沢山使うのでしょうか?
不足・不安・恐れ・・・
争い・奪い・壊し・・・
なぜ沢山の悲しみを生み出すのでしょうか?
神様も同じ酷い心なのでしょうか?
月日の心と人間心
月日の心に人間と同じ酷い心はありません。
このはなし月日の心ばかりやで
にんけん心あるとをもうな (12-181)
『みかぐら歌』第二節でも、月日の心に悪しきはないと明言されています。
ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな
- 月日の心 = 善き心
- 人間の心 = 悪しき心
同じ魂なのに、どうして心に善悪の差異が生じるのでしょうか?
その答えは、『魂の汚れ』にあるのです。
魂の汚れ
月日の魂は「汚れ無き魂」。
■全知
全てを知り、どんな心も自由に思案して使うことが可能。
■全能
どんな形も自由に創り出し動かすことが可能。
最高の心を使い、最高の形を創り出し、最高の喜びを感じられるのに、わざわざ悪しき心を使う理由はありません。
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから (14-25)
人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむ
この心に永遠に定まっているのが月日の魂。
でも、たった一つ、
全知全能の月日にも自由にならないものがある。
それが心自由を許した人間の心。
人間の魂も月日と同じ「汚れ無き魂」です。
■全知
全てを知り、どんな心も自由に思案して使うことが可能。
月日と違い、人間の魂は全能ではありません。
形はかりもの。
人間は形を自由に創り動かせない。
形は『心通りの守護』で与えられる月日の自由用。
しかし、人間は月日の心を知りません。
それ故に人間心で魂は汚れ、魂本来の力を発揮できずにいるのです。
月日が定めた理の世界を知らない人間は、形の意味を人間心で勝手に解釈し、不足・不安・恐れ。
その結果、争い・奪い・壊し・・・
世界に悪しきを撒き散らし、沢山の悲しみを生み出してきたのです。
元々、人間も月日と同じ悪しきのない魂でしたが、形の意味を知らないため、使う心に差異が生じているのです。
『心通りに守護』で与えられた『かりもの』(真実、神心、清水)
自分のもの、人間の力で動かすもの。(嘘、人間心、泥水)
このように、形を見る人間の考え方に(嘘、人間心、泥水)が混じり、魂が汚れている状態なのです。
それでは魂の汚れを落とし、月日と同じ心を使う方法はあるのでしょうか?
魂の汚れを落とす箒が教祖のお言葉。
月日が定められた理(かりもの、心通りの守護)を人間に教え、人間心(嘘、泥水)を月日の心(真実、清水)で洗い流すことが、月日の社である教祖の役目。
心の汚れを落とし、魂本来の性質を取り戻したら、自由の心を完全に取り戻す。
心の汚れから形に縛られ、不自由の心で陰気ぐらしをしてきた人間の悲哀。
月日の心を知ることで、人間の魂は完全な全知となり、陽気ぐらしの主体となるのです。
まとめ
人間は月日親神様の『分け御霊』。
元々人間は月日親神様と同じ魂を持っているのです。
どんな心も自由に思案して使える魂の能力。
泥海中に、月日が閃いた最高のアイデア、最高の喜び、最高の心。
人間の陽気ぐらしを見て共に楽しむ
魂を取り戻した人間は月日と同じ心が使えるのです。
人の喜びを見て共に楽しむ
これが人間にとって最高のアイデア、最高の喜び、最高の心。
魂を土台に心を使えば、見る世界も使う心も全て喜び。
そして喜びの心通りに陽気ぐらしは前進するのです。
これが『分け御霊』に込められた意味。
このはなしにんけんなんとをもている
月日かしものみなわがこども (13-79)
どうですか?
本当の自分は見つかりましたか?
これで『分け御霊』の解説を終わります。
コメント
月日の魂は「汚れ無き魂」。
月日の魂は全知全能。
■全知
全てを知り、どんな心も自由に思案して使うことが可能。
■全能
どんな形も自由に創り出し動かすことが可能。
これは嘘。
神も立腹するし、汚れもある魂で、神は不自由であり、お筆先に不自由ぶりも書かれている。
だいたい神が残念だというのは、全知全能でない証拠である。
人間は月日親神様の『分け御霊』。ではない。「をなしたまひい」であり、根本は神だ。
魂の汚れを落とす箒ほうきが教祖のお言葉。これは大間違いである。神であり言葉ではない。
第三号五二 せかいぢうむねのうちよりこのそふぢ 神がほふけやしかとみでいよ
第三号一四五 いまのみちほこりだらけであるからに ほふけをもちてそふぢふしたて
魂の汚れを落とす箒ほうきで掃除、節立てと書いてある。
その前には、しかと身でいよと書いてある。
第三号一三一 にち/\によふほくにてわていりする どこがあしきとさらにをもうな
と、一見親切そうな手入れ宣言だが、おっとどっこいである。
第三号一三一 をなじきもたん/\ていりするもあり そのまゝこかすきいもあるなり
と、そのままこかせば、立派な節立てである。
霊魂の魂 魂が同じで、同魂ということになる人間だが、汚れすぎは掃除される。こかされる。
かしものといえば、十柱の神であり、魂を自由にするには、十全の守護がいる。
魂を不自由にするのが、八埃である。魂を損なうのが「嘘・追従」である。
第十三号二七 にんけんも一れつこともかハいかろ 神のさんねんこれをもてくれ
ようするに、親ばかだということだ。
神は理の範囲でしか行動できない。次の歌は、その典型である。
第四号一一七 なにゝてもしらんあいだハそのまゝや 神のぢうよふしらしたるなら
だから坂井は、周辺には知らないでいるようすすめる。神は手が出せないからだ。
神に手を出させたいと、その時は、理を知らせる。これで神はこかせるのだ。
必ず病人がでる。 あるいは必ず病気が治る。 神が働けるからだ。
理を諭せば、理が働く。3の理を諭せば、3の理の神が働く。
全知全能とかで、みきを馬鹿にすると、全て知られて、全て押さえこまれる。封じられる。
人間心で見たら神様の心も人間と同じように汚れて見えるかもしれません。
でも全宇宙を創造できるほどの存在です。
人間が知り得ることは、ごく僅かだと思います。