教祖は精神分裂病?
ちょっと、寿限無!ネットで天理教のこと検索したら「教祖・中山みきは精神病」と批判している人達がいるわ!
神憑りとか憑依状態を、精神医学界隈では「精神分裂病の一種」と分類しているみたいだね。
そうですね。
知っています。私もたまに目にします。
もし教祖がただの精神分裂病なら、神様の教えも何もかも「嘘」ってことになるけど・・・
こらー寿限無!
あんた、今までわたし達を欺していたの?アタシの貴重な時間を返しなさい!謝罪と賠償を求めるわ!!
分かりました。ごめんなさい。後でラーメンご馳走します。
そう。なら許すわ。
いさみさんの「貴重」ってラーメン一杯分の重みなんだね。
でも、教祖が精神分裂病って・・・
私から言わせれば「何を今更?」って感じですけど・・・。
えっ?どういうこと?
今更、言い逃れするつもり?
いや、だって、中山みきが「憑依状態」になった時、家族や親族一同、「狐憑き」や「気の病」を疑って、様々な荒治療を施したと教祖のエピソードに登場するじゃないですか?
え?そうなの?
確かに・・・
天理教が公式で発行している書籍にもハッキリ書いてあるね。
もし私が、、中山みきと同じ「憑依状態」になったら、「おお!神よ!神の降臨だ!」なんて思わないでしょ?真っ先に「頭が変になった?」と疑うはず。
でも、これは至極当然です。
「我は元の神・実の神」と宣言したところで、本当か?嘘か?
目に目えない神様をどうやって本物か?偽物か?判別するのですか?
天保9年の迷信が根強く残っている時代は「狐憑き・気の病」を疑い、お払いなどの荒治療で対応しましたが、精神医学が進んだ現代なら「精神病」と分類して施設に隔離したり、投薬で治療を施すでしょうね。
じゃあ、中山みきさんって本当に「精神分裂病」だったの?
それは、わたしにも分かりません。
分からないって・・・アンタ、精神分裂病の疑いがある人の話を偉そうに話していたの?!
別に偉そうに話していないと思うけど?
本当に「天啓」があったのか?
それとも「精神分裂病」だったのか?
それは誰にも判断することはできません。
本人が「我は元の神、実の神」と言ったとしても「元の神・実の神」の証明にはならないし、また、精神医学の権威が「精神分裂病」と言ったとしても「精神分裂病」の証明にはなりません。
科学信仰
精神医学と言えば「科学的」で聞こえはいいですが、精神、心の研究はまだまだ未知の段階です。
医学全般に言えることですが、現れた症状に対して薬物治療や手術などの応急処置を施すことは出来ても、症状の根源的原因を解明することは現代医学でも不可能です。
出来る道理がありません。
なぜ、風邪を引くのか?なぜ、癌になるのか?なぜ、精神が病むのか?
症状を研究すれば原因が解明されると思いますか?
はあ?風邪を引くのはウィルスが原因でしょう?癌だって食べ物とか生活習慣が原因って聞いたわよ?
私が言及している「原因」とは、そもそも、なぜ、ウィルスが存在するのか?もっと言えば、なぜ、健康に対して風邪という症状が存在するのか?更に言えば、なぜ、人間が存在しているのか?原因を解明しようとしたら、そのレベルまで遡る必要が生じてくるのです。
だが、人間は「現れた形」を研究するしか術はなく、「形」が発生する以前の原因・・・
つまり、人間が存在する根源的原因を解明することは不可能。
根源的原因が分からない以上、原因を絶つことは不可能。
故に、どんな医療も応急処置に過ぎない・・・というわけです。
でも応急処置で十分じゃないの?それで病気が治まるら・・・。
応急処置ということは、いつか再発する可能性がある・・・ということですよ。
そんなの仕方が無いわよ。それが人間なんだから!
それが人間なんだから?
今の一言に「科学信仰」の全てが集約されていると思いませんか?
科学信仰?
科学は信仰の対象じゃないわよ!研究されたデータに基づいているのだから。
いや科学は立派な信仰です。
先ほども説明した通り、根源的原因にまで辿り着けない限り、データが正しいと信じるしか無いのです。人間は、ウィルスや癌を恐れていますが、もしかしたらウィルスや癌が持つ大切な役割があるのかもしれません。根源的原因も解らないのに、闇雲に科学が正しいと言い切るのは単なる科学への盲信であり、それこそ科学信仰だと思いますよ。
はあ?もう何言ってるか分からない!ウィルスや癌のせいで沢山人が亡くなっているのに!
ボクは何となく理解できる・・・現代社会に何一つ確信できるものなんて無いもの。でも、それでも科学の方が信じるに値すると思う。
そうね。それならワタシも科学を信じる!
何を信じるも個人の自由です。信じる信じないは人それぞれ。
結局のところ
- 教祖を信じるのか?
- 精神医学を信じるのか?
わたし達は、信じたい方を信じるしかないのです。
「ひながたの道」は神を証明する道
でも、そんな事は神様だって重々承知していました。
だからこそ「ひながたの道」なのです。
どういうこと?
教祖の通られた道は「神様を証明するための道」であり、
「教祖の言葉」を「神様の言葉と証明するための道」なのです。
そして、教祖が証明し続けた「ひながたの道」を見た人達が「神様だ、神様だ!」と認識して、教祖を「神の社」として認め、信じ、崇め奉るようになったのです。
これが今の天理教を成り立たせた基礎。
現代に生きる人間が「教祖は神の社!いや、精神病だ!」と論じたところで、教祖はとっくの昔に逝去されたのだから確認しようがありません。
だけど安心してください。
その他にもちゃんと確認する方法はあります。
え?どんな方法?
教祖が通られた「ひながたの道」は、神様の言葉が「形」になって現れたもの。
つまり、わたし達は「形」を見て、教祖を「神の社」として信じているのです。
それでは、教祖が存在しない今、「神様を信じていない人」が判断の基準とする「形」とは一体なんですか?
教団の規模?信仰者の数?幹部がイケメンかどうか?
あ!その判断の基準とする「形」って・・・もしかして「教祖を信じている信仰者?」
そうですね。
「神様を信じていない人」の判断基準は、現在、教祖を信じて信仰している人。
要するに、教祖を信じている信仰者がいい加減な通り方をしていれば、「ああ、天理教はいい加減な宗教なんだな。教祖も精神病に違いない」と思われるわけです。
とどのつまり「教祖は精神病」と言われてしまうのは、わたし達信仰者の責任なのです。
わたし達信仰者の役目とはなんでしょう?
教祖が月日親神様の思し召しのまま通り、「神の社」を証明し続けた道中が「ひながたの道」ならば、教祖を信じるわたし達信仰者の役目とは、教祖が通られた「ひながたの道」を辿り、この道が本当に「神の道」である事実を証明し続けることなのです!
もし、そんなの無理、「ひながたの道」は辿れない、教祖は特別な方だから・・・
などと言うなら、信仰なんて、心の慰みにもなりません。
全ての信仰者が「ひながたの道」をたどった結果、
「あの人はまるで教祖のようだ!いや神様のようだ!現在の教祖だ!」と言われるまで成人することが、教祖の名を更に高めると同時に「大恩に報いる道」なのです。
「ひながたの道」を辿ったら、あら不思議、教祖と同じ人間が完成した!これが真の「ひながたの道」ですよね。
まあ、それなら説得力はあると思う。
ちょと、わたし達信仰者・・って!
人を勝手に信者扱いにしないでよ!風評被害だわ!アタシの誇りにかけて謝罪と賠償を要求する!
すいません。
ラーメンご馳走するから許してください。
許す!
ラーメン一杯分の誇りですね。
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