自分さえ良ければ・今さえ良ければ・・・それは単なる幻想に過ぎない

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中国湖北省の武漢を発生源として、世界中に広まったと言われる新型コロナウィルス。
ウィルスの拡散スピードの速さに驚くと共に、本当に世界は繋がっている・・・そして世界の距離がもの凄く縮まっている・・・と実感させられた。

もはや、遠い世界で起こる事態を対岸の火事として、悠長に眺めていることは出来ない。
どこかでウィルスが発生すれば、瞬く間に世界中に拡散される。

テレビでは連日、国内の感染者数、死者数を公表し、事の重大性を訴えているが、なかなか一般の耳には届かない。

そこはテレビの中で起こる非日常の世界。
日本のどこかで感染者が見つかっても、観ている本人は痛くもかゆくもない。
大変だとは思うが、自分に火の粉が降りかからない限り、大変さの実感が湧かない。

私自身もそうだが、「直ぐに終息するだろう・・・」とたかをくくっていた。

世間では感染で苦しみ、死者も多数出ている。
店は臨時休業を迫られ、経済的に深刻なダメージを受ける中、私自身の回りでは感染の気配もなく、仕事も順調なので、深く意識も注意もせずに呑気に暮らしていた。

いや、呑気に暮らしていた訳では無い。
自分なりに心を運んでいるつもりだったが、今思えば呑気に暮らしていたと言わざるを得ない。
人の心、精神とはそう簡単に変わるものではない。

だが学校が当面の間休業になり、平日を子供達と家で過ごす「非日常」が訪れ、非常事態宣言、外出制限、感染が拡大し続ける現状に、ようやく事態の深刻さが現実味を帯びてきた。

自分に被害が及ばない限り、なかなか自分事として受け止められない。
自分さえ良ければ、今さえ良ければ・・・

しかし、世界は繋がっている。
陸で繋がり、海で繋がり、空間で繋がっている。
もっと言えば「理」で繋がっている。

「理」とは人間世界を支配する法則。
簡単に言えば、形が作られ、形を動かす法則。

どうしてウィルスが存在するのか?
どうして感染するのか?
どうして命を落とすのか?

どうしたらウィルス拡大を終息させられるのか?
どうしたら元の日常に戻れるのか?

全ては人間の心1つにかかる問題。

今、新型コロナウィルスで世界の混乱を観ている者、全ての心に掛る問題。

誰一人として、自分さえ良ければ、今さえ良ければ・・・などと言っていられない。

自分さえ良ければと、他人の分まで買い占める。
自分さえ良ければと、宴会をし、レジャーに興じ、ウィルス拡散の媒体になる。
自分さえ良ければと、他人の迷惑など考えない。
今さえ良ければと、後先のことは考えない。

自分さえ良ければ、今さえ良ければ・・・
いや、世界は繋がっている。
世界が困れば自分も困る、世界が苦しめば自分も苦しむ、世界が終われば明日は無い。

自分さえ良ければ・今さえ良ければ・・・それは単なる幻想に過ぎない。

新型コロナウィルスの蔓延で間違いなく世界は苦しむ。
だが、その一方で間違い無く我々の意識を変革させる。

新型コロナウィルスが見せた新しい時代の光景。
新しい時代を生き抜くには、これまでの既成概念を取り払い、新しい意識が必要なる。
古びた概念を捨てられず、後生大事にしていたら、新時代の荒波に飲み込まれ、旧時代の遺物と共に流されてしまうだろう。

この先、自分さえ良ければ・今さえ良ければ・・・こんな我が身思案を中心とした意識は、新時代の流れには合わず必ず淘汰されて行く。

そして、人と繋がり、人を思いやり、人の喜びを我が喜びとする精神が、世の中の潮流となり新時代を牽引して行くのだ。

新型コロナウィルスは、その狼煙。
一人一人が、自分さえ良ければ、今さえ良ければの「我が身思案」を捨て去り、それぞれの心を1つにして、この難局を乗り越えよう。

我が身思案から、他人思案へと、多くの心が切り替わり「臨界点」に達した時に、事態は終息に向かうと共に、新時代の幕が開けるのだ。

 

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