宗教って理解できない教えが多いけど、天理教の中で一番理解できないのは「おつとめ」よね。
天理教では「世界救けのつとめ」と言われているらしいけど、歌って、踊って世界が救かるなら誰も苦労しないし、そもそも原理的に全く理解不能だよね。
でも、これは天理教の人達が勝手に言っているのではなく、教祖(おやさま)から教えられたことを信じて実行しているのです。
でも結果的に、世界中は困った問題に溢れかえっているわね。今も新型コロナウィルスの猛威を止めるどころか、感染が広まる一方じゃない。
少し調べたら、おつとめの中に「欲があるなら止めてくれ、神の受け取り出きないから」って一節があるけど、救けを願うのも「欲」なんじゃないの?
なるほど。お二人の疑問はごもっともですね。それでは「つとめ」について少しだけお話しさせて頂きます。
本当に少し?アンタの話はいつも長いから信用できないわ。3分で終わらせなさい、3分で!
いさみさんは、いつも偉そうだよね。
「つとめ」とは何か?
そもそも「つとめ」って、どう意味なのでしょうか?
普通、わたし達が使う「つとめ」の意味とは以下の通りですね。
つとめ【勤め・務め】
- [務] つとめなければならないこと。任務。義務。責務。
「法を守ることは国民の―だ」- [勤] (雇われて、役所・会社などに通い)仕事をすること。その仕事。勤務。
「―に出る」
ある程度の年齢になれば「つとめ」の意味は誰でも理解できると思います。
それなら、天理教の「つとめ」とは「天理教徒の義務や仕事」として行っているのでしょうか?
おつとめの「地歌」である『みかぐらうた』に以下の一節があります。
八ッ やまのなかでもあちこちと てんりわうのつとめする
(第五節 九下り目)
「山の中でもあちこちと 天理王のつとめする」
天理王のつとめ?
天理王って神様のこと?
そうですね。「天理王」とは、神様(元の神・月日と道具衆)の総称です。
つまり、「つとめ」とは元々、神様の仕事であり、義務なのです。
それでは、具体的な仕事内容とは一体なんでしょうか?
その答えは人間創造の元初め「元の理」にあります。
泥海に月日2人だけでは退屈で何の楽しみも無い・・・そうだ人間を創り、陽気ぐらしするを見て共に楽しもう!
月様(くにとこたちのみこと)
日様(おもたりのみこと)
・・・と、このように元の神・月日親神様のアイデアから人間世界は創造されたのです。
つまり、宇宙、太陽、地球、環境、衣食住、体・・・全ては神様の創造物。
そして重要なのは、
人間の陽気ぐらしを実現させることは、神様のつとめ。
人間創造が、神様の仕事であり、義務なのです。
それじゃ、天理教の「おつとめ」は、神様の仕事を押しつけられている、もしくは手伝わされているの?
その答えも『みかぐらうた』の中で歌われています。
四ッ ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや
(第五節 六下り目)
「ようこそ「つとめ」に付いて来た これが救けの方法である」
神が呈示した「救け」の選択肢
世界には病院や薬や、保険、弁護士、警察、軍隊・・・など、様々な「救けの方法」が存在しますが、この先、全ての問題は「つとめ」で救ける・・・と宣言されているのです。
実際、「つとめ」をして、病気や問題が治まる「不思議な体験」をされた方は、天理教の中に沢山いると思います。
私も子供が頭痛、熱、腹痛など様々な症状を患っている時に、側で「おつとめ」を運ばせて頂くと、直に穏やかに治まる「不思議な体験」を何度もしています。
本当かしら?たまたまじゃないの?
先ほども質問したように、救けを願うのは厳密言ったら「欲」ではないの?
他人や子供が苦しんでいる姿を見て「早く救けてあげたい」と願うことが欲でしょうか?
欲とは今の与えに満足できず、今以上を求めることです。
健康の守護を頂き、衣食住も十分に与えられ、家族に恵まれているのに、これらの与えに満足できないばかりか、他人と比べ不足し、他人の分まで横取りしたり、家族を疎ましく思い、不倫し、挙げ句の果てに家庭崩壊を招いたり・・・
「欲があるなら止めてくれ、神の受け取り出来んから」
このお歌は、世間一般に対する諭しではありません。
神様の言葉全般に言えることですが、神様の言葉とは、神様を信じる人に諭されているのです。
どういうこと?アタシは関係ないというワケ?
関係なくはないですが、神様を信じない人に諭せないでしょ?諭したところで聞く耳を持っていないのだから・・・。
神様が言われている「欲」とは、「無理な願い」。
「無理な願い」とは、言い換えれば「理の無い願い」。
神様は「救けの理」つまり「救けの方法」を教えたのに、神様の話をちゃんと聞き分けないで、「そんなごたくはいいから早く救けてください!」「悪しきを払ろうて救けたまえ天理王命!悪しきを払ろうて救けたまえ天理王命ーーー!」と拝み倒してでも、救けを願う姿勢を差して「欲」と言われているのです。
「無理な願い」とは理を曲げてでも「自分の願いを優先させる心」。
「理」が無ければ受け取れない・・・
神様は意地悪しているワケでは無く、定めた「理」を厳守しているだけなのです。
何よ、神様も融通が利かないわね。可愛い人間が苦しんでいるのだから、早く救けてあげればいいのに!
何を言っているのですか?
そんな事をしたら大変です!
神様が理を曲げてしまえば、それこそ「不条理の世界」、どろ海世界に逆戻りです。
神様の胸一つで人間の運命が変えられてしまうなら、人間は神様の思い通りに動く「操り人間」。
それでは人間創造の目的に反してしまいます。
神様は人間に「自由の心」を与え、自由に心を使い「陽気ぐらし」をして欲しいのです。
その為に「つとめ」を教えたのです。
「つとめ」とは神様の仕事であり、人間にとって強制でも義務でもありあません。
嫌ならつとめる必要はないし、何の罰則もありません。
現に「おつとめ」をしなくても、世界中の人々が罰もなく生活を営んでいますよね?
「つとめ」とは一つの方法なのです。
病院、薬、保険、弁護士、警察、軍隊・・・など「救けの方法」の一つとして神様が呈示した「世界救けの方法」なのです。
間違いの無いつとめ
でも、ちょっと待ってよ!
今、世界中で猛威を振るっている「新型コロナウィルス」は全然治まらないわよ?
人間の「おつとめ」が世界を救けられない証拠じゃないの?
そうですね。
そこが重要なポイントですよね。
その点に関しては下記『おふでさき』をご覧ください。
つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたえもちがう事なし
(おふでさき 第十号 34)
「つとめさえ違いが無ければ 天の与えも違う事はない」
ここで諭されているのは「間違いの無いつとめ」。
「つとめ」を神様の言う通りに間違い無く運べれば、「世界救け」は間違いなく与えられる・・・
と、いう意味であり、人間の願い通りに「救け」が与えられない原因は、つとめの運び方に間違いがあるのです。
つとめの運び方に間違い?
じゃあ、正解はどんな「つとめ」なの?
再び、『おふでさき』の一節をご覧下さい。
どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで
(おふでさき 第十二号 61)
「どんな難しく見える病気や諸問題であろうと 陽気づとめで全て救ける」と明かされています。
要するに「間違いの無いつとめ」とは・・
陽気づとめ
なのです。
陽気づとめ?
陽気なつとめってこと?
その通りです。
あっ、少し長くなりましたので「陽気づとめ」に関しては、また次回にしましょう!
ああ!とっくに3分過ぎてるわよ!麺が汁を吸ってふにゃふにゃじゃない!どうしてくれるのよ!
人の話でカップラーメンの時間を計るなよ!
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