今回の投稿は、ある思いに駆られて執筆しました。それは…
今の天理教に一番必要なこと
天理教の用木でもない私が言うのもおこがましいが、30年以上おやさまの教えを元に生活を送って来た一信仰者として、使命感にも似た衝動に付き動かれている。
それは、あるnoteの記事を読んで、自分でも言語化できていない泥海の様な思考が一つに纏められ、自分が今一番表現したいこと、今一番天理教に必要なこと、が鮮明になったからだ。
その記事がこちら、Beさんが執筆された、ひながたの同行者「中山秀司」考。
渾身の13,000文字。
秀司さんについて書きました。しばらくnoteは書きたくなくなるほど力をこめた記事です。
良かったら読んでやってください。#中山秀司https://t.co/yrR2UTHMGV— Be (@Weapons_Officer) March 24, 2024
正直、感動しました。
率直に素晴らしい内容だった。
そこに描かれた「中山秀司」の新しい物語は、『理と情』の狭間でせめぎ合う多くの天理教信仰者の心を救い、希望と活力を与えた事だろう。
「中山秀司」は言わずと知れた教祖中山みきの長男。
道友社から刊行されている劇画『教祖物語』にも、ひながた(教祖の意)と伴に歩まれた中山秀司の生涯が描かれている。
だが、劇画『教祖物語』を読んだ殆どの方は、中山秀司に対して好印象は持たないだろう。
神の社である教祖のさしづを信じ切れず、人間の情で様々な策を弄し、神の思惑に逆らい続けた挙句に『親神は退く!』と言われた教祖の言葉通りに、明治十四年四月八日、六十一歳の生涯を終える。
教祖の教えを信仰する者が読めば、秀司の生涯は『後々の話の台』であり、反面教師、悪のひながたに映るだろう。
読者は当時の様子を俯瞰できるので、教祖の教え『理』と、中山秀司の『情』を比較すれば、当然のごとく理に従えない秀司を否定的な目で見る。
だが、一旦、その『理』を読者自身に当てはめた時、おそらく誰もが中山秀司と同じく『理と情』の狭間でせめぎ合うのではないだろうか?
天理教の用木でない私には、ふんわりとした概念である『理と情』が何を指しているのか、今一つその意味を計りかねていたが、Beさんの記事のお陰で鮮明になり、いっけんさんの執筆された記事でより深まった。
3/28
みなさん、おはようございます
今日も一日宜しくお願い致します
ONE WORLD . ONE FAMILY 🤝
PRAY FOR ALL🙏
晴天の心でお過ごし下さい☀️日曜日ではありませんがnote記事を投稿しましたのでお時間ある時に宜しくお願い致します😊
理と情の思案について、ですhttps://t.co/ugnp0YlGxM— いっけん🟣ミE (@gikk_ikken) March 27, 2024
いっけんさんが紹介されている『世界へのまなざし』の引用文には、天理教教会長のみならず、一末端信者を含めた多くが思い当たり、共感を寄せることだろう。
「一身一家の都合を捨てて」とよく言う。それは実に立派なことだ。しかし、筆者は今日まで、自分自身を含めて、一身一家の都合を捨てて理に徹しきっている人を知らない。第一、家族を大事にすることも、教理の重要なかどめだ。たとえば、所属教会の大事な行事と子供の入院が重なった。病院に飛んでいってやりたいが、大切な御用がある。そこで悩む。どちらを取るべきか。その答えは、結局は一人ひとりに任されている。どちらを取るかということよりも、その「悩むこと」に意味があると考える。
引用は、『理と情』のせめぎ合いを「私たちは信仰と呼ぶのだと思う」と肯定的に捉えている。
筆者は思う。「一分のすきもなく、いささかの遺掃もない」(『天理教教典」第四章「天理王命」)理の世界。そこに、でこぼこの人間の情をはめ込もうとする。当然、隙間ができる。その隙間が、いわば心の中の潤いであり、それは決して悪いものではない。いやむしろ、この潤いがあるから、人間は生きていけるのだろう。そして、その四角四面の理という名の器に、いびつな情をきちっとはめ込もうとする営みを、私たちは信仰と呼ぶのだと思う。
この下りを読んで、『ああ、自分もそんな事があった』と感慨にふけった。
子供の運動会と、講社月次祭の日程がバッティイングしたため、『つとめと子供の行事』の二択を迫られ、逡巡した結果、子供の運動会を選択したことがあった。
運動会の終了後、直会の席で『○○君、もう信仰辞めたのかと思った』と冗談ぽく嫌味を言われたが、私の心は晴れ晴れとしていた。
生き生きとした子供たちの笑顔、今しか味わえない生命の躍動に月日のつとめを感じ、まざまざと親神様の心を感じられたからだ。
その体験をして、よりおつとめの味わいが深まった。
元々、つとめとは月日親神による人間創造の働きなのだから…
天理教的布教・行事とは全く無関係な生活を送る私ですら『理と情』の狭間でせめぎ合うのだから、信者を預かる責任ある立場ともなれば尚更だろう。
母親が神憑りになり、生活が貧に落ち、村方から疎まれ、権力側から数々の迫害を受け続けた中山秀司の生涯。
法律で最低限の生活が保障され、憲法で信教の自由が守られた現在を生きる私達。
時代背景やそれぞれの立場は大きく違えど、『理と情』に纏わる本質は変わらないと感じる。
Beさんの記事全体の趣旨としては、教祖と伴に生きた中山秀司の生涯を別角度から見直し、再評価を図るものでした。
いかなる苦難に相まみえようとも、おやさまに寄り添い続けた”ひながたの同行者”。それが中山秀司その人でした。
明治14年(1881)4月8日没。
教えに殉じた61年の生涯は、実に見事なものでありました。
Beさんの記事は資料や構成が丁寧に纏められているお陰で、彼の言いたい思いがストレートに伝り、読む側の思考も整理整頓される。
それゆえに、ふんわりとした『理と情』を覆う霧が晴れ、私自身の思考も一つの確信に至ることができました。
少し前に、Xの『理と情』に関するポストで疑問を呈したことがあります。
天理教の人は、ふんわりと『理と情』という概念を捉えていると感じた故のリポストです。
まるで本物の信仰を知っているかの様な発言
理とか情とか、ふんわりした概念をもっともらしく語る人って多いけど、本当に理解してるのかな?
まあ、聞く側ももっともらしく捉えるから問題ないのかも
これがお道の真実 https://t.co/QlKfNroRT9— 天理の教え (@Jyugem4) April 30, 2024
この時は正直『理と情』の具体性が見えませんでしたが、Beさんのnote、いっけんさんのnoteのお陰で、天理教で『理と情』が何を表しているのか理解できました。
その上でやはり私自身の考えは変わることはなく、
いや、それ故に『理と情』をふんわり捉えていると確信するに至りました。
長くなりましたが、ここからが本題です。
今の天理教に一番必要なこと
これが、Beさんのnoteを読んで込み上げてきた一つの思い。
それは『おやさまの眼差し』です。
教祖はその瞳で何を見て、その心で何か感じていたのか?
Beさんは記事の中で長男、中山秀司が出直した時の教祖の様子を、異なる二つの角度(文献)から紹介しました。
一つは本席飯降伊蔵さんの次男、政甚さんの”口述記”。
こちらは理に徹した姿。
この時の教祖からは、一切の情を排した冷徹さを感じるかも知れない。
①政甚さんの”口述記”
(前文略)
お崩れになつたのは今の門屋の入つた所で御座いますが其の時私の父が
「親さん。先生が今息をお引き取りになりました」
と申上げると教祖様は
「アヽ其うかい」
と云つて一段高い処から降りてお出でになり秀司様の枕許に立ち額をゴロ/\として
「最う剛情は張らせんやろ。張れるかい。張れるなら張つて見いや」
と云ひ、内の父を振返つて
「伊蔵さん。内の態を見ておくれ。金を溜めると此の不始末だで」
と涙一滴こぼさず元の所へお上りになつたといふことであります。『新宗教』(紀元十億七十七年一月十四日) 大平隆平
もう一つは天理教公式の『稿本天理教教祖伝』。
こちらには親としての情も垣間見られる。
②稿本天理教教祖伝の記述
教祖は、出直した秀司の額を撫でて、「可愛相に、早く帰っておいで。」と、長年の労苦を犒われた。
①政甚さんの”口述記”と、②稿本天理教教祖伝の記述では、全く異なる言葉が記されています。
①政甚さんの”口述記”の冷徹までに理に徹したお姿。
②稿本天理教教祖伝の記述の親の情に溢れてお姿。
どちらが真実でどちらが虚偽なのか?
今となっては事の真相を知ることは叶いません。
しかし、Beさんは、①、②を真偽が分れた二つ証言に分けるのではなく、①の理、②の情を一つに合わせた新しい教祖像を描いて見せました。
では、政甚さんが語ったおやさまのお言葉が真実だったと仮定して、先述したようにテクストに別のトーンを与えてみます。
あえて次のような前提をもって、あらためてテクスト(①政甚さんの”口述記”)を読んでみてください。おやさまは「理と情」を峻別され、理に徹した姿を崩さぬことをご自身に課しておられた。それゆえ飯降伊蔵に対しても「伊蔵さん。内の態を見ておくれ。金を溜めると此の不始末だで」と嘆息したが、おやさまは心で泣いておられたのだ。教祖中山みきが涙ひとつこぼすことはなくとも、母みきはその小さな肩を震わせ、心の中でさめざめと泣き、嘆き哀しんでおられた。
そこに浮かび上がるのは理に徹しながらも、親心に溢れた母の姿。
もう、この解釈で良いじゃん!と思わせる優しさに溢れた教祖像。
教祖の瞳は凛として理を見つめていたが、その胸の内には私達が求める理想通りのお姿を忍ばせている。
教祖を慕う信仰者の中で、このBeさんの解釈に異論を持つ者は少ないだろう。
私達が知る優しいお心の教祖ならば、正にその通りかも知れない。
だが、もし本当に、それで良いなら天理教はこのまま何も変わらない。
世の中に何万とある宗教団体と何ら変わりない。
これらの思いが心の奥底からどっと込み上げてきた。
なぜならこの教祖像ならば、おそらく世の中に数多存在すると思うから。
人間心で考え得る理想像の域を出ていないのだ。
教祖のひながたが残されているのに、なぜ天理教は衰退し続けるのか?
なぜ天理教を代表する立場の者が『ご守護を頂くためには、普段よりも負荷をかけた心定めをして頑張ることが求められます。』など世間並の発言しかできないのか?
答えは簡単。
教祖のひながたを通り切った者が存在しないから。
教祖の思想を理解して実践した者が存在しないから。
中山秀司が出直した時、教祖の瞳は何を見つめ、その心は何を捉えていたのか?
私は思う。
『おやさまの眼差し』はただ一点、魂を見つけていた。
何故なら、教祖の心は神一条に定められていたからです。
神一条とは神の視座を身に付けること。
教祖の魂は『いざなみの命』。
中山秀司の魂は『つきよみみの命』。
月日の思召に賛同し、共に人間創造のために働くと約束した道具衆の魂。
言うなれば重大な使命を担う同士です。
元の理から何代も何世代も生まれ変わり出直しを繰り返し、漸く辿り着いた旬刻限。
教祖は、月日親神の思召『人間の陽気遊山を見て共に楽しみたい』を実現させるため、神の社として人間創造の第二フェーズに取り掛かっていた。
側の者に、月日の定めた理を仕込み、神一条に心定めさせ、魂一つで陽気ぐらしを実現する土台を形成するために。
完全に魂の視座を持つ教祖が、息子の出直しに涙する理由があるだろうか?
もし『ある』と思われるなら、それは魂の捉え方がふんわりとしているから。
六ッ むりにでやうといふでない こゝろさだめのつくまでハ
(みかぐらうた 九下り)無理に出ようと言うでない 心定めのつくまでは
天理教の信仰者が毎日おつとめに運んでいるのは何故だろうか?
教祖に教えられた神一条を自分もお伴させて頂きたいと、心定めがついたからに他ありません。
でも、これは心定めへの道筋がついただけで、人間心から神一条へ完全に心の中身が入れ替わった訳ではないのです。
しかし、教祖は違います。
教祖は神一条に心定め切った。
神一条が本性として身に付いたのです。
一方、中山秀司は月日の思召に従うことができず、人間の情で策を弄し続けました。
七ッ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする
(みかぐらうた 三下り)なんでもこれから一筋に 神に凭れていきまする
中山秀司は神一条に定められない故に、神に凭れて安心することはできなかった。
通常の感覚では法律は守るもので、政府の公認を得ようとする中山秀司の考えは至極当然なのだが、教祖は頑ななにそれを許さなかった。
そんなところへ願いでるのやない 親神様にもたれていけば案ずることはないのやで
教祖物語 P351
しかし、中山秀司は政府の公認を選択する。
警察の迫害を逃れるため、親神様にもたれる安心よりも、目先の安心を求め。
魂の視座から眺めたら、教祖の身を案じる情とは言え、道具衆である『つきよみみの命』の魂に誓った約束を違えたのだ。
その点は『くにさづちの命』の魂を持つ小寒も同じ立場と言える。
この中山秀司の情を適切な言葉で表すなら『人間心』が相応しい。
理(神一条)は知っているが情(人間心)に流される。
つまり、理を知っているだけで身に付いていない。
それ故に従来通りの人間心を選択しているに過ぎない。
私達は教えのお陰で、人間の魂が神の分け御霊と知っているし、魂生き通し、生まれ変わり出直しも知っているが、観念として知っているだけで、実感もなければ確信もない。
それが証拠に、死の恐怖、苦しみ、悲哀から依然として抜け出すことは出来ない。
もし教祖のように、神一条の世界感に生き、魂の視座に立つなら、人間心が抱く死の概念は消え去り、成りくることは全て理のまま。
全てが条理として肯定される。
全てが理のなす業なら、人間心の判断は切り捨て、理に徹して生きてこそ理の実を見られる。
理に徹するからこそ、人間心のあらゆる悲哀を乗り越えて、陽気ぐらしという至福の境地へ到達できるのだ。
私達が見ている中山秀司の物語は、人間心の情が結実した世界線。
真実の物語である『神一条の世界線』は誰も見ていない。
もし、神一条を心定め、親神様にもたれて通り切っていたら、村方の反対や警察の迫害も治まり、なにものにも邪魔さない、神一条の物語があったかも知れない。
現在の私達は憲法で信教の自由が保障され、大手をふるって信仰ができます。
鳴り物をどんちゃん奏でても警察に拘留されません。
あの時代の先人達が希求し続けた状況が実現しています。
これを『先人達の思いが受け取られて結実した』と考える信仰者もいるだろう。
もしかしたら、そうかも知れないし、違うかも知れない。
ただ確かなのは、あの時代、中山秀司は誠の種(神にもたれる安心)を蒔いていなのは明白であり、教祖の眼差しが捉えていた『神一条の世界線』が有り得たことも忘れてはいけません。
常に誠という心あれば、その場で天の理が直ぐに受け取る、直ぐに返やす/\。自由自在は、めん/\の日々通る常にあるのやで
おさしづ 明治二十一年十一月十一日
もし、あの時、中山秀司が神にもたれていたら、天理教は今とは違い、世界を陽気ぐらしへと牽引するリーダーに成り得たかも知れない。
歴史にifはないのは無論だし、私の発言を現実を無視した絵空事に捉える天理教信仰者も多いと思う。
真剣に魂云々を語るなんて、狂人と紙一重の発言と思われても仕方がない。
でも、神様を信じるって、そもそも絵空事レベルの話を信じる事ではないか?
元の理、月日親神、道具衆、魂、存命の親、世界たすけ、かんろ台世界の構想。
親神様の教えは全て人間心の常識では通用しない不思議な領域。
当初、教祖も狐憑きや狂人と思われていたのだから、どんな信仰も、どんな信仰段階にあっても、信仰の無い者から見たら神様なんて絵空事なのだ。
しかし、中山みきは絵空事を絵空事で終わらせず、神一条を心定め、人々の信を得た。
人間心では絵空事レベルの話を、自ら体現し、現実化させた最初の一人なのだ。
人間心から神一条へ心立替わえると言うことは、自身の心に劇的な意識革命を起こすこと。
その昔、天動説から地動説へと常識が覆されたように、世の中にパラダイムシフトを引き起こし、神一条の常識を根付かせることが月日の思惑であり、その一点を見つめ続けていたのが、おやさまの眼差しだと感じている。
これが私を突き動かした思い。
断っておくが、これはBeさんの考えを否定し批判している訳ではない。
これは、Beさんが『理と情』を分かりやすく纏めてくれなければ言語化されるはずのない私自身の思い。
Beさんの記事は多くの方に支持、共感され、一つの完成を見ている。
もちろん私もその一人だ。
今読み直しても感動を覚える。
今回の記事は、Beさんとはまた違う、私流の見方を提示しただけ。
天理教の現状は、教祖の正道ではなく、中山秀司が通った人間心の道筋を模倣している様に思えてならない。
教祖年祭への三年千日は、ご守護を頂ける特別な旬です。ですが、ご守護を頂くためには、普段よりも負荷をかけた心定めをして頑張ることが求められます。普段では腰の上がらないような、しんどいことを求めて苦労して取り組むから、勇み心や元気が湧き上がってくるし、教祖もすぐにお受け取りくださるのだと思います。
天理教代表者が月日の教えを心得違いし、信者もそれに倣い、三年千日心定めと称して目先の布教目標を掲げる。
守護を求めることは御利益信心以外の何ものでもない。
身上障れば手軽に医者薬を頼り、かしものの理に目もくれない。
徳が無い、徳積みと称して恐怖心を煽り、理立てと言う名の神の保証がない保険に加入させる。
徳積み、因縁切り、楽を求めない、こんな思想は今を喜べず、喜びを先送りにしているだけの人間心、喜びの種になる筈がない。
いっけんさんが紹介されていた『世界のまなざし』の一文(一身一家の都合を捨てて)からも伺えるように、『理に徹する』という言葉は時に歪な感情を生み出す。
生活を切り詰めてまでお供えする、全財産献金する、貧に落ちきる、働かず道一条、家族や周囲へ強要、自身の都合より天理教行事を絶対優先するなど、極端な思考に舵を切る者も多いが、とんでもない思い違いだ。
理をふんわり捉え、理の実体が掴めないまま、目先の形を必死に取り繕うとするから綻びが出る。
情をふんわり捉えているから、いつまでも人間心を捨てられない。
理と情をふんわり捉えているから、神一条と人間心の区別がつかない。
教祖の言葉を聞き入れず、多宗派の庇護を求めたり、弾圧を恐れて神にもたれられなかった中山秀司の胸内は紛れもなく人間心。
だが、誰も彼の通った道中を責める資格はない。
誰一人ひながたを通り切った者がいないのだから。
それが天理教の現実。
Beさんも、そんなことは重々承知でnoteを執筆したと思う。
魂云々を抜きにすれば、一人の人間として激動の天理教黎明期を支え、月日の社をサポートしながら懸命に生き抜いた姿も紛れもない真実。
先人達への崇拝や過大評価には閉口するが、物事の一面を論い過度に貶める行為も正統な評価と言えない。
Beさんの思いは想像の域を出ないのかも知れない。
だが、先人の名誉の回復のため、彼らの生き様に公平な眼差しを向ける理由は、今も多くの信仰者が理と情に逡巡する姿を見ているからだろう。
先人の再評価。
これも一つの改革と言える。
何故、天理教を代表する表統領が教理を改ざんし、苦労して頑張れ、楽を求めるなと、ブラック企業さながらに世間並の発言をするに至ったのか?
これは表統領一人の責任ではなく、天理教全体が常習的に抱えてきた問題。
先人の道中を手放しで称え、人間心の判断を正当化した挙句、理と情の峻別が為されないまま、魂の骸のごとく形ばかりの宗教団体に成り下がった。
言いたいことは山ほどあるが、
一番言いたいことは…
今の天理教に一番必要なこと
教祖のひながたに倣い、一切の情(人間心)を排し、理(神一条)に心定めること。
それが、おやさまの眼差しであり、今の天理教に一番必要なことだと痛烈に感じている。
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