よろづよ八首 寿的解説
『このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ』
よろづよ八首全文
よろづよのせかい一れつみはらせど
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)
四首
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
概要
もと(元)とはこれ以上遡れない地点であり、森羅万象の原因。
教組からもと(元)は月日と教えていただき、人間世界をはじめた理由も知っています。
ところが、神様から言わせれば・・・
もとしらぬ(元を知らない)。
これは「知る」ことの意味を問う言葉。
不思議な救け
庄屋敷村(現・天理市三島町)にある中山家。
不思議な救けを施す神様が鎮座する神屋敷と言われているが・・・
その元は誰も知らない。
嘉永7年(1854年)頃から、神様は不思議な救けを現わしはじめました。
教祖は三女おはるに「おびや許し」を授けます。
女性にとって出産は命懸けの大役。
しかも当時、出産は穢れとされ、一定期間は産室から出られないなど様々な習俗がありましたが、「おびや許し」を頂いたおはるは習俗に従うことなく、たいへん安産で、産後直ぐに働くことができました。
これが村人の間で安産の神様と評判になり、歯の痛み、精神病、危篤状態など、その他多くの病を救け、次第にどんな病でも治してくれる生き神様と噂が広まります。
不思議な救けを求めて屋敷を訪れる人が後を絶たず、お屋敷に来られぬ重病人は、教祖みずから足を運ばれました。
産後の患い、身上の病、医者も匙を投げる重病人・・・
人々がお屋敷を訪れる理由のほとんどは、自分または身内の身上事情の平癒が目的。
教祖に救けを乞い・・・
教祖のお言葉に耳を傾け・・・
素直に従った結果・・・
不思議な救けに与る。
人々は歓喜し、教祖への信仰を結ぶ者も現れました。
ついに世界救けの一端が形に現れてきたのだから、神様もさぞお喜びのはず・・・
ところが・・・
不思議な救けに沸き返る人間とは裏腹な神様の言葉。
もとをしらぬ
まだ人間は元を知らない。
真実の救け
世界一列を救けるために天降った神様。
人間の思う救けとは、病気、貧困、災害、戦争など、人間の力では治められない悪しき形から救われること。
悪しきを払って救け給え 天理王命様
これは人間の切なる願い。
一方、神様の説く救けとは、人間心を取り払い悪しき形の元を絶つこと。
神の言うこと聞いてくれ 悪しきのことは言わないから
悪しきの無い神様の心を教え、悪しき形の元凶である人間心を取り払い、この世から全ての難儀不自由を一掃することが神様の救け。
人間の思う救けは一時の救けだが、神様が説く救けは永遠の救け、永遠の陽気ぐらし。
そして、そのビジョンは更に具体的。
このみちハどふゆう事にをもうかな
かんろふたいのいちじよの事 (17–2)
かんろ台については、天理教公式HPから引用させて頂きます。
人間宿し込みの元なるぢばに、その証拠として「かんろだい」が据えられ、礼拝の目標となっています。
人々の心が澄みきって、親神様の思召通りの「ようきづとめ」を勤めるとき、この台に、天から甘露(天の与え)が授けられます。これを頂くと、人は皆、病まず死なず弱らずに、115歳の定命を保ち、この世は陽気ぐらしの世界となる、と教えられています。ぢば・かんろだい | 天理教・信仰している方へ元初(もとはじ)まりに、人間を宿し込まれた地点を「ぢば」といいます。すなわち、全人類の故郷であることから、ぢばを中心とする一帯を「親里(おやさと)」と呼びならわしています。 ぢばに親神様(おやがみさま)がお鎮(しず)まりくだされ、天理王命(...
かんろ台一条を端的に記すと以下の通りになります。
病まず死なず弱らずに、115歳の定命を保ち、陽気づくめで暮らす、超理想世界の創造。
教祖の口から語られたのは、夢のような超理想世界。
今まで日々の暮らしにも難儀していた者には、神様の途方もないビジョンを共有することは簡単ではありません。
人間は疑い深いもの。
先に証拠を示さなければ信用できない。
教組を神と認識させるために不思議を現わす必要がありました。
それが不思議な救け。
不思議な救けは元を知る入り口に過ぎず、その先には、もっと素晴らしいかんろ台一条のビジョンが待ち受けているのです。
もとをしらぬ
要するに、神様のビジョンを共有できない人間が、元を知らない者。
神様のビジョンを共有し、実際に陽気ぐらしを実現している人間が、元を知る者。
このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる(2–34)
とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで(2–47)
元を知らない者を「から」、元を知る者を「にほん」と明確に分け、最終的に世界一列を「にほんのもの」で満たすことが真実の救け。
元を知る意味
当時、神屋敷に住んで居たのは中山家の面々。
なかでも善兵衛、秀司、こかんは、教組同様に道具衆の魂。
月日と共に人間創造に尽力した立派な魂ですが、本人達にその記憶はありません。
当然、月日の約束など覚えているはずもなく、人間である以上は自由の心を持ち、人生の選択はそれぞれの心次第。
善兵衛、秀司、こかんは「にほんのもの」に成れたのでしょうか?
■善兵衛
中山家の当主として何不自由ない生活が約束されていたが、神の指図により貧のどん底へ。ある時はみきが恐ろしくなり枕元に白刃を手に立つことも・・・
嘉永6年(1853年)、中山家の見通しが立たないまま66歳で出直し。■秀司
明治13年(1880年)、官憲の迫害弾圧が厳しく、金剛山地福寺の看板を隠れ蓑に難を逃れようとしたが、教祖からは「ならぬ。そんなことをすれば、親神は退く。」とお許しにならなかったが、秀司は教祖のためを思い強行する・・・
明治14年(1881年)、親神様の思し召しを聞き入れず61歳で出直し。■こかん
教祖の名代として親神様の思し召しを取次ぐ「若き神」と呼ばれたこかん。
明治5年(1872年)、梶本家に嫁いだ教祖の三女、姉のおはるが5人の子を残し42歳の若さで出直し、その後添い(後妻)として梶本家に迎えられた。
教祖は魂のいんねんからお屋敷でつとめることを望まれたが、子供達への情が深く、当時34歳独身のこかんは、お屋敷での御用より世情を選び梶本家へ嫁ぐ・・・
明治8年(1875年)、親神様の思し召しを聞き入れず39歳で出直し。
残念ながら三方とも親神様の思し召しに添いきれず、道半ばにして出直されました。
かんろ台一条を本気で信じていたら「から」に留まる必要はありません。
病まず死なず弱らずに、115歳の定命を保ち、陽気ぐらしする世界
世界一列が驚愕する素晴らしいビジョンを聞きながら、世情に捕らわれ教組の言葉を本気に聞き分けられない。
もし本気でかんろ台一条を聞き分けていたら、何よりも教組の言葉を第一に考えたはず。
この世人間世界を創造した元の神月日が話していると本気で信じているなら、何一つ恐れることはなく、どんな難儀な中も神に凭れて安心と喜びの心で通れたはず。
結局のところ・・・
もとしらぬ
例え、道具衆の魂でも、日々教祖の教えに触れていても、かんろ台一条を誠にできず、世情に重きを置き「から」に流されてしまう・・・
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
この一首には元を知る意味が説かれているのです。
まとめ
善兵衛、秀司、こかん。
道具衆の魂を持つ彼等は、進化の最先端にある人間です。
どの時代も人類の先頭を歩き、誰よりも魂が磨かれ、満を持して旬刻限を迎え「神の社」を確立させた立役者たち。
お家大事の時代にお家より妻を大事にした善兵衛。
神の思し召しに従い「貧のどん底」に落ちた秀司とこかん。
磨かれた魂だからこそ、教祖の言葉に月日の面影を感じて精一杯歩まれたのです。
通り損ないと言えば、その通りかも知れないが、私たち自身を顧みた時、誰に非難する資格があるだろうか?
昔に比べ、人の意識が進化した現代。
教祖が教えられた精神(互い救け合い・人を救けて我が身救かる)も、今では一般的な思想として認識されています。
社会福祉の充実、セーフティーネット、ボランティア活動、人種性別の平等、多様性・・・
教祖の教えが時代を牽引し、月日道具衆が一時も休まず時代を創造し、世界は月日の思惑通りに進んできましたが・・・
果して私たちは元を知る者でしょうか?
時代と共に「にほんのもの」に成人したでしょうか?
教理より学問の権威を重用し、さづけより医者を有り難がり、陽気ぐらしより目先の損得に一喜一憂し、世間の風潮に流され・・・
「から」に牽引されているのではあるまいか?
かんろ台一条は現在進行形。
コロナ禍も避けて通れない大掃除。
知っている、知っているつもりでは「から」も同じ。
病まず死なず弱らず115歳の定命で陽気ぐらしを本気で取組んでこそ「にほんのもの」。
かんろ台一条を定める心には月日道具衆が付き添い、難儀な中も危なげなくお連れ通りくださる。
「にほんのもの」から不思議な神の姿が映り出し、やがて世界一列を「にほん」に染め上げる。
教組の言葉を軽くすれば、その分、自分が軽くなる。
その逆もまたしかり。
どれほどかんろ台一条を本気にしているのか?
その誠が問われているのです。
五首
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