教祖(おやさま)ってどんな人なの?
美人?超人?不思議な能力を使えるのかしら?
空を飛べて、口から火を噴き、目から破壊光線を発射するとか?
色々と誤解があるようなので・・・
今回は教祖の実像に迫ってみましょう!
教祖の実像
教祖と言えば天理教の開祖であり、今では神格化された教団のシンボル的存在です。
教祖は41歳で「神のやしろ」に定まって以来、90歳で死去するまでの間、安産祈願である「をびや(おびや)許し」をはじめ、医者が見捨てる重篤患者を大勢救けると同時に、「月日親神様の教え」に従い、陽気ぐらしを実現する道を説きました。
自らも「月日親神様の教え」を実践し、どんな厳しい道中も喜び勇んで「ひながたの道」を通られました。
「神のやしろ」って?
普通、社(やしろ)って神社や祠などの建物よね。
つまり教祖の体に神様が住まいする「人間社」ってこと?
その通りですね。
教祖は天保9年10月26日に「神のやしろ」に定まりました。
中山みきの体を「社」として借り受けたのです。
体は「神のやしろ」として・・・
心の方は?心も「神の心」なの?
あくまで心は「教祖のもの」。
教祖は心を自由に使えます。
必要がある場合のみ、教祖の体を借りて「神様の思惑」を語るのです。
でも「ひながたの道」とは、人間中山みきが「月日親神様の教え」を治め、神か人かの次元へと成人する道すがらなので、ある時点から「教祖の言葉」が「神様の言葉」と同じ次元になったと考えるのが妥当だと思います。
ある時点から?
教祖は「月日のやしろ」に定まると同時に
神一条(神の教え一筋の心)に定まったわけではありません。
初期の頃、教祖は『月日の指図』と『家族の情』の間に板挟みになり、思いあまって幾度も池や井戸に身投げを試みました・・・と記録されています。
みき、もう限界!
わたしが存在しない方が家族のためだわ!
(と語った記録は全くありません)
しかし、身投げを試みた瞬間、体が痺れ動かなくなり
短気を起こすでない
と月日親神様の声が聞こえ、身投げすることは出来なかった・・・。
この事実から、この頃の教祖は「神一条」と「人情」の狭間で揺れ動いていた・・・
と推測されます。
「神のやしろ」と言っても教祖も人間に違いはありません。
教祖の体を「月日親神様」が借りて、「神の言葉」を発していますが、教祖自身の心を失っている訳ではないのです。
「神のやしろ」でありながら自由の心を持ち合わせ、「みき」という一人の人間として「陽気ぐらし」を実現する道程を歩まれていたのです。
それでは、
みきが「月日のやしろ」に定まる以前、一体どんな人物だったのでしょうか?
その人柄とは?
中山みきの人物像
天理教の公式サイトには以下のように書かれています。
生い立ちと道すがら
教祖は、寛政10年(1798年)4月18日、大和国山辺郡三昧田(現天理市三昧田町)にお生まれになりました。元初の母親の魂のお方にふさわしく、幼少のころから慈しみ深く、信心深いご性質でした。
人間宿し込みの因縁ある元の屋敷、中山家の人となられてからは、嫁として、主婦として申し分のない働きぶりを示されただけでなく、慈悲の心いよいよ篤く、ある時などは米盗人を赦されたばかりか、米を与え、後々を諭され、また、ある時は物乞の女に衣食を恵むとともに、背中の赤子に自分の乳房を含ませられるなど、情け深いお振る舞いは、ますますその度を強めました。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/oyasama/
このように、嫁としても妻としても申し分のない素晴らしい人物だったことがうかがわれます。
な、なかなかやるじゃない。
まあ、アタシの魅力には一歩及ばないってとこかしら?
本当は「教祖の爪の垢を煎じて飲ませて頂きます。」と言いたかったらしい・・・
そんな人格者「中山みき」ですが、「陽気ぐらし」を実現していたのか?・・・
と言えば、そんな事は全くありません。
問題が起これば悩み苦しむ普通の人間でした・・・
「ただの主婦」から「月日のやしろ」へ
「神のやしろ」に定まる天保9年10月26日以前、
教祖(おやさま)も人間心の真っ只中にいました。
おやさま・中山みき31歳の時。
近所の主婦が5人も子供をなくし、6人目の子を産んだが、お乳が出ずに困っていたので、おやさまはその子を引きっとってお乳を与えられました。
しかしその子が不幸にも黒ぼうそうにかかり、医者もさじを投げた。
自分がお世話してる子供が死んでは、申し訳ないと、氏神様に百日のはだし参りをされたのです。
そして、我が子の命と引き替えに、預かり子の命を助けてください・・・と祈願するに至るのです。
無理な願いではございましょうが、預かり子の命をどうぞお助け下さいませ!そのかわり男の子一人のこし娘二人の命をさしあげます。それでも不足なれば願みちたその上は私の命もさしあげます。
ちょっと!みきさん!
アンタ、自分が何言っているのか分かっているの!!
それで、預かり子の命はどうなったの?
娘二人の命は?
結局、「みき」の願いが神様に受け取られ、預かり子の病は無事治癒され、命は救われました。
本当?!凄い!神様って本当にいるのね!
アタシも今度お願いしてみる!
しかし、その後、みきの願い通り、二人の娘は神様に命を引き取られたそうです。
神ーーーーーー!
アンタ、なんて無慈悲なの!!!
我が子の命と引き替えに、他人の子を助ける・・・
「自分の幸せより他人の幸せを願える」尊い心の持ち主。
他人に対する優しさ思いやりの塊、それが「みき」の心。
しかし、みきの心中はいかばかりか?
恐れ・不安・混乱・・・心穏やかに通れるはずがありません。
他人の子を助けるために、我が子の命を神様に捧げるなんて・・・
それしか方法が無いなんて・・・
こんな酷く哀しいことがあるでしょうか?
しかし、
それが天保9年10月26日以前のやむを得ない状況だったのです。
天保9年10月26日。
みきは「神のやしろ」と定まりますが、その瞬間から「神一条(神の教え一筋の心)」に定まったわけではありません。
何年間も内倉に籠もり「月日親神様」との対話を続け、先ほども説明したように、時には思いあまって身投げをしたと言い伝えられています。
「人間心」から「神一条」に入れ替えるのは、教祖(おやさま)でも容易でありませんでした。
「ひながたの道」にとって肝心なのは、教祖は私達と変わらない普通の人間だったと言うこと。
「神のやしろ」だから・・・
「いざなみのみこと」の偉大な魂だから・・・
宗教的超人だから・・・
教祖だから成し得た「ひながたの道」では無いということ。
教祖も元々は「ただの主婦だった」。
教祖がただの主婦?冗談でしょ?
それじゃあ、世の中の人間は全て「みき」同様の行いができるとでも?
もちろん、「みき」の行いは簡単に真似できません。
ただ、問題が起これば悩み苦しむという点において「普通の主婦」と変りないのです。
つまり「ただの主婦」が「神のやしろ」になり、「全人類のひながた」と成られた・・・
そこに意味があり、価値があるのです。
「ひながた(雛形)」とはお手本。
そのお手本通りにすれば「ひながた通りの人間」が完成する。
それが「ひながた」であり、
誰も真似出来ない人智を超越した道なら「ひながた」の意味はなく、尊ぶ価値もありません。
人類普遍のひながた
元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者,何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教え(月日の教え)を説くという処の理を聞き分け
(おさしづ 明治21年1月8日)
本席様の『おさしづ』でも教祖を「何でもない者」とおっしゃっております。
いきなり誰?
このおじい様。
この方は本席様と言って、教祖がお姿を隠した(死去した)以降、「神様の心」を教祖に代わり引き続け伝えられた「神の機械(お言葉の御用人」です。
と、いう訳で・・・
『ひながたの道』において重要なこと、
それは・・・
私でも、貴方でも、誰でも真似できる『人類普遍のひながた』・・・
ということ。
でも教祖って、自ら貧のどん底に落ちたり、宗教弾圧で何度も監獄に拘留された・・・って聞いたことがあるけど?
えっ?アタシ無理!
教祖の真似なんて、とても、とても、無理でございます!
難しい事は言わん。難しい事をせいとも、紋型無き事をせいと言わん。皆一つ/\のひながたの道がある。ひながたの道を通れんというような事ではどうもならん。
(おさしづ 明治22年11月8日)
教祖が通られた様な難しい道を通れと言っているのではありません。
教祖の雛形とは「どんな中も喜んで通られた雛形」。
それぞれの人生において現れる因縁は様々です。
しかし、どんな悪い因縁が現れたとしても、教祖の様に神様に凭れて喜んで通れば、悪因縁を抹消し運命を善因縁に立て替えられる・・・
それが「ひながたの道」なのです。
本日のまとめ
それで、過去に「ひながたの道」を通り切った人はいるの?
残念ながら、未だ一人もいません。
だから教祖の真似なんて無理なんだって!
教祖は人間を超越した人なんだよ!
いや、今まで「ひながたの道」を通り切れなかったのは、一重に「天理の教え」・・・つまり「神様の教え」に対する理解力が養われていなかったから・・・
今こそ、本当に「神様の教え」を理解して「ひながたの道」をたどれる時代なのです。
・・・その初めの人間が、
「いさみ」さんや「いずむ」くんかも知れませんよ。
いや、だからアタシには無理だっつーの!
美女に苦労は似合わない!
いずむに譲るわ!
やはり、教祖の爪の垢を煎じて飲むべきだ・・・と思う。
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