これまで第一節「悪しき払い」、第二節「ちょっと話」と続けて解説しましたが、今回の第三節「一列澄まして甘露台」で、つとめ全体のアウトラインが完成します。
- 第一節で、人間が「神(天理王命)」に救けを願い
- 第二節で、神が「元の理」を明かし
- 第三節で、神と人間が心1つにして「甘露台一条」を実現する
それでは「みかぐらうた」第三節を解説します。
あしきをはらうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろだい
悪しきを払うて救け急き込む 一列澄まして甘露台
人間世界の悪しき・・・病気、ウィルス・貧困・争い・災害・・・を払って救けを急き込み、世界一列を甘露台一条(陽気ぐらし世界)へと導きたい・・・
これが人間創造の元の神・月日親神様の思い。
何億年もの気遠くなる年限を一筋心で人間創造に費やした鋼鉄の意志。
そして天保9年、旬刻限が到来し、ようやく神様の言葉を聞ける人間が誕生しました。
元の神・月日は中山みきを「神の社」として、この世の「元の理」を明かし、難儀する人間を救うために「つとめ」を教えられたのです。
月日親神様が人間創造を始められた理由はただ1つ。
そして、この思いは「甘露台」の一言に込められています。
「甘露台」とは?
人間創造の出発点を「地場」と定め、その地点に据えられた6角形13段の柱で礼拝の目標であると同時に、親神様の思召し通りの「陽気づとめ」を勤めると、この台に、天から甘露が授けられます。これを頂くと、人は皆、病まず死なず弱らずに、115歳の定命を保ち、陽気ぐらしの世界となる・・・
このように、甘露台とは月日親神様が目指す「人間創造の到達点」とも言えます。
月日親神様は「甘露台一条」を目指して人間創造に「つとめ」するように、甘露台を目標に礼拝する者も「甘露台一条」を目指して朝夕と「つとめ」しているのです。
要するに第三節とは、「元の理」を聞き分け、人生の目的を知った人間に宿る「究極の目標」。
このお歌は3回、3回、3回の計9回つとめさせていただきますが、
段々と、何処までも、病まず死なず弱らずに、115歳の定命を保ち、陽気ぐらしの世界を目指して、喜び勇む「神と人とのつとめ合い」の象徴・・・
天保9年まで神だけで勤めていた「人間創造のつとめ」を、今度は神と人間が心を共にして、同じ目標に向かいつとめるのです。
みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる
(おふでさき第一号 11)
おふでさきで教えられるように、神様の思惑を知った人間が喜び勇んでつとめをする・・・これほど神様を勇ませる喜びはありません。
そして、神様が勇むと世界中が繁盛(結構な守護が満ち溢れる)と教えていただきます。
だん/\と心いさんてくるならバ せかいよのなかところはんじょ
(おふでさき第一号 9)
何億年という気の遠くなる年限を人間創造に費やした神様にしてみれば、そんな神の心を理解し、一緒に同じ目標に向かい進んでくれることが、どれだけ心勇むことか・・・「神と人間」を「親と子」の関係に置き換え、自ら親の視点に立てば容易に想像が付くでしょう。
悪しきを払うて救け急き込む 一列澄まして甘露台
この第三節こそ、神様の心を知った道人(信仰者)の歩む道。
でも、ここで誤解をしてはいけないのは、このお歌の対象は世界一列ですが、自分自身にとっての対象は飽くまで自身の心。
世界一列の悪しきを払おうとして、周囲に対して無理に教理を広める必要はありません。
周囲の人にも教祖の教えを話したい・・・そう思うのは当然ですが、神様が教理を聞いて欲しいのは飽くまで貴方自身。
第一、貴方自身がしっかりと教理を聞かないのに、他人が聞いてくれる道理がありません。
道理が無い・・・つまり無理。
どんな道でもそうですが、
人に道を勧めたい、人に話を伝えたいのなら、先ず自分自身がしっかりと道を求め、自身の姿に道を映し出すこと。
人とは「話の内容」よりも、「話を語る人」を見ています。
貴方が語る話が、本当なのか?信用に値するのか?
貴方自身の人間性を見て判断するのです。
それは教祖とて同じこと。
教祖がいくら「これは神の話だ」と説いたところで、教祖が世間並みの心で暮らしていたら、馬鹿馬鹿しくて誰も耳を傾けないでしょう。
教祖は「神の言葉」と「神の行動」を言行一致させることで、世の中に教えを広められたのです。
それが「ひながたの道」。
これが最も理に適った「伝道方法」なのは言うまでもありません。
信仰とは話を聞いた時点で完成する訳ではありません。
話を聞いた時からが始り。
話を聞いた上にも聞いて、もっと聞いて、更に聞いて、だめ押しで聞いて・・・ようやく、ほんの少し神様の真意が分かり始めるのです。
それほど「神の心」と「人間の心」には乖離があると思って間違い有りません。
「悪しき払い救け給え」の原理により段々と人間の精神は成熟し、まるで一枚一枚玉葱の皮を剥くが如くに新しい喜びの扉が開かれ、一段一段着実に「甘露台一条」の階段を上って行く・・・
この求道を続けている内に、神一条の心が固まり、神一条の実が現れたら、教祖同様、神の匂いを発する神人となり、本人が黙っていても周囲が話を聞きに来る。
こうして家族が治まり、周囲が治まり、段々と世界一列に波及するからこそ盤石な道が完成するのです。
これが正式にして唯一の道を広める手順。
あしきをはらうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろだい
この一節を胸に治め、見るもの聞くもの触れるもの全てを神一条の心で喜び、神様の守護を讃え、感謝して、陽気ぐらしの一日を実現して参りましょう。
その心に嘘偽りの無い喜びがあれば、神様が貴方を一段引き上げ、今まで見たことも、聞いたことも、感じたこともない「喜びの世界」が広がると同時に、世界全体も「甘露台一条」へ向かい大きく前進するのです。
3回、3回、3回の計9回、つとめのリズムに乗り、喜び勇んで、歌い、手を振り、鳴り物を奏でましょう!
貴方が勇む心に神様も勇み立ち、世界一列に一粒万倍の恵みをもたらします!
それが神様が定め、私達に明かされた「つとめの理」なのです。
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