一下り目 寿的解説 『八ッ やまとハほうねんや』

一下り目 一下り目

一下り目 寿的解説
『八ッ やまとハほうねんや』

 

全文

一下り目

一ッ
正月こゑのさづけは やれめづらしい
二ニ
につこりさづけもろたら やれたのもしや
三ニ
さんざいこゝろをさだめ
四ッ
よのなか
五ッ
りをふく
六ッ
むしやうにでけまわす
七ッ
なにかにつくりとるなら
八ッ
やまとハほうねんや
九ッ
こゝまでついてこい
十ドッ
とりめがさだまりた
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

八首

八ッ やまとハほうねんや

大和は豊年満作になる

概要

なにかにつくりとるなら』心次第に自由に種を蒔けば・・・
やまとハほうねんや』大和は豊年満作になる。

四首目の『よのなか』は大和の方言で「豊年満作」の意味がありますが、『やまとハほうねんや』は、豊年満作が大和(現在の奈良県)一帯に波及する『一粒万倍の理』を謳っています。

ここで言われている『やまと』とは、中山家(大和国山辺郡庄屋敷村)が所在する地方行政区分である令制国の一つ。現在の奈良県にあたりますが、もちろん大和に限定した話ではありません。

大和一帯に及ぶ理は、大和に留まらず日本全体へと広がり、アメリカ、中国、世界隅々まで豊年満作に潤します。

神様の守護は広大

自分が種を蒔いたら自分が豊年満作の守護を頂く・・・
これが一般的な考えですが、神様の考える守護の仕組みは遙かに広大。
個人の種蒔きで、地域一帯が豊年満作になる不思議な理。
これが神様の考えた『一粒万倍の理』。

一粒万倍とは、一粒の誠真実が万倍になる守護の理。

例えば『雨乞いつとめ』。
日照りが続くと作物が育たないので『雨乞いつとめ』で雨を降らせて頂く・・・
すると自分の田畑だけではなく地域一帯に恵みの雨をもたらします。

肥のさづけ』も同じで、もし他の田畑が不作なのに、自分の田畑だけが豊作になれば皆が不思議に思い、我も我もと豊作の秘訣を聞きに来る。
そこで『肥のさづけ』を教えれば豊作は地域一帯に広がり、一つの田畑から万倍の田畑へと次々に伝播し始める。

これは一粒万倍の一例ですが、神様は常に人間が思う以上の守護をお与え下さる。
誠真実の心なら一粒万倍の種になり、種を蒔いた本人はおろか世界に遍く守護を行き渡らせるのです。

稿本天理教教祖伝逸話篇
「人間は、これやで。一粒の真実の種を蒔いたら、一年経てば二百粒から三百粒になる。二年目には、何万という数になる。これを、一粒万倍と言うのやで。三年目には、大和一国に蒔く程になるで。」

実際、教組の蒔いた一つの種から、その教えは日本に留まらず国境を越えて世界に広がり、一粒万倍の守護を在り在りとお見せ頂きました。

一粒万倍の誤解

ところが、普段の信仰生活の中で、一粒万倍の守護を実感した人はいるでしょうか?
一粒万倍の守護を頂けず「自分には誠真実がない」と嘆く信仰者もいるかもしれません。

もし・・・
一円のお供えに対して一万円の守護が現れたら、一粒万倍の守護として認識できます。
一人を救けたら、一万人の信者が増えたとか、目に見えて解りやすい数字で一粒万倍の守護が現れないのは、やはり誠真実が無いからでしょうか?

誠真実が有るか無いかは別として、問題なのは誠真実に対して即物的な守護を求めていること。
一円から一万円。
一人から一万人。
お供えや信者が増えることは確かに魅力的な与えに思えますが、即物的与えが決して幸せに繋がるとは限りません。

例えば宝くじで一等が当たり億万長者に成れば、必ずに幸せになれると誰もが思います。
しかし実際には大金に目が眩み不幸に見舞われるケースが多いのも事実。
大金を手に入れたとたん、物の有り難みや感謝の気持ちを忘れ、疑心暗鬼と高慢な態度で愛情を無くし、幸せの意味さえ見失うことはよくある話。
それと同じで、即物的豊かさを与えることが、即喜びに繋がるとは限りません。

信者が増え、お供えも沢山集まり、皆から会長様と崇められる内に高慢になり、救けの心を忘れ、再び悪しき因縁に陥るなら元の木阿弥。
即物的与えだけで陽気ぐらしが実現しないことは歴史が物語っています。

神様は世界一列の心を見晴らせる存在。
その者にとって、今、何が一番最高の守護なのか?
本人よりも、誰よりも、神様が一番知り尽くしているのです。
もし、守護に目が眩み、心を汚すようなら与えた意味がありません。
神様の目的はかんろ台世界の構築。
人間の目的は陽気ぐらし。
目先の欲に心を汚せば道が遅れて世界一列が難儀する。
確実に道を進ませるためには、誠真実を固めることが先決なのです。
教組が艱難辛苦の道中を喜んで通れたように、それぞれの誠真実を盤石に固めることが道を固め、道を進めること。
どんな形で守護を与えるかは神様の胸次第。
誠真実が無いから一粒万倍の守護を頂けないのではなく、神様の考える一粒万倍とは、人間が思う以上に人間の為になる形で与えられているのです。

一粒万倍の守護

一粒万倍に守護する神様の采配に目が行き届かないだけで、実際には毎日のように一粒万倍の守護を頂いているのです。

例えば、唱えるだけで不思議な効能を頂ける『おさづけの理』。
以前、娘が顔の右半分が痛いと言うので『おさづけ』を取り次ぐと、直ぐに効能をいただき娘も喜び、私も神様に感謝しましたが、これは一回の身上を治めて頂いた訳ではなく、紛れもなく一粒万倍の守護を頂いた結果なのです。
第一に、私の微々たる誠真実を万倍にお受け取り頂いたからこそ、不思議な守護に与った。
第二に、直ぐに効能が現れたお陰で、長い時間苦しまずに済んだのだから、本来苦しむべき時間を減らし、身上壮健の時間を一粒万倍に拡大して頂いた。
第三に、不思議な救けが、全体の不思議を一粒万倍に感じさせ、神様に凭れて安心と喜びの心で暮せる。

例え、不思議な効能が現れなくても、そもそも『おさづけ』を取次ぐことが神様を頼りにする心延えであり誠真実。
誠真実なら必ず神様が受け取り、神様の采配により一番最適な形で一粒万倍の守護をお与えくださるのだから、後は安心して神様に凭れていれば何事も無事無難に治まっていくのです。

それは、私達が毎朝夕に直参する『つとめ』にも同じことが言えます。
毎日の『つとめ』は日常的ゆえに見え難いだけで、実は最も顕著に一粒万倍の守護が現れているのです。

『つとめ』をすると心に不思議が起こります。
夫婦喧嘩の最中でも『つとめ』をすると心素直になり仲直りする。
誰かに悪口を言われ腹が立つ時でも『つとめ』をすると気が静まる
仕事で問題を抱えていても『つとめ』をすると解決策が閃く
朝に『つとめ』をするだけで一日穏やかに暮らし、夕に『つとめ』をするだけで一日の疲れが解消する・・・

『つとめ』が無ければ、どれほどの時間を人間思案で悩み、愚痴を言い、他人を責め、陰気な心で暮らしたでしょうか?
一日中陰気な心で悶々として過ごす予定が、『つとめ』のお陰で陽気に過ごせたとしたら、一粒万倍の時間を救けて頂いたも同じこと。

それだけではありません。
『つとめ』に運ぶ誠真実は、神様の自由用により世界に遍く一粒万倍の守護をもたらします。
どこかで誰かが不思議な守護に与るなら、『つとめ』に運ぶ誠真実に腐る芽はありません。
元々世界救けが『つとめ』の目的。
一粒万倍の采配は神様にお任せして、日々誠真実を磨き鍛えるなら自ずと道は進む。
日々朝夕の『つとめ』から喜びの理を頂き、当たり前のような事から難しい身上事情に至るまで、見るもの聞くものに守護を感じるだけで誠真実は磨き鍛えられる。
たったそれだけで、一粒の貫目が増えて一粒万倍の守護もより大きくなるのです。

まとめ

八ッ やまとハほうねんや

ボランティア、募金など世界に貢献する活動は沢山あります。
どんな方法を選択するのも自由。
どんな心を使うのも自由。
一人一人の力は小さいですが、沢山集まれば大きな力になる・・・
しかし、世界救けを願い『つとめ』に運ぶ誠真実は一粒万倍。
一人一人の力を万倍に受け取り、世界全体を底上げする不思議な『つとめ』。
世界が豊かになれば、己自身も自ずと豊かになる。

自分は『やまと』の一員。
やまと』とは自分自身。

ただ直向きに、世界の喜びを願い『つとめ一条』に運んでいれば、己自身も世界から一粒万倍に喜びを与えられる。
それが天の理


九首
九ッ こゝまでついてこい』はこちら

一下り目 寿的解説 『九ッ こゝまでついてこい』
「これは理の歌や 理に合わせて踊るのやで ただ踊るのではない 理を振るのや」。 みかぐら歌 第五節 一下り目 第九首を寿的視点で解説!

一下り目 目次

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「これは理の歌や 理に合わせて踊るのやで ただ踊るのではない 理を振るのや」。 みかぐら歌 第五節 一下り目を寿的視点で解説! 一下り目の目次です。

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