陽気ぐらし実現の一助となる「天理の教え」へようこそ!
このサイトは教祖(おやさま)が通られた「ひながたの道」を正しく辿り、最短の近道で陽気暮らしへ到達することが第一の目的です。
寿限無は天理教を布教しようとしているのか?
そうよ、そうよ!単なる布教活動じゃないの?天理教の回し者?
いえいえ、教祖が「神の社」となり説かれた教理は、天理教という一宗教に留まらず、全世界が必要とする絶対的真理なのです。
絶対的真理?
おさしづでは、だめ(総仕上げ、最終的、究極的の意味)の教えと言われていますが、
要するに人類が最後に辿り着く「陽気ぐらしの法則」です。
人間は誰でも「理」の支配を受けている。
「理」の支配により「運命」が作られ、人それぞれ様々な人生模様が描き出されているのです。この世には沢山の喜びが溢れている一方で、悲しみ、苦しみ、悲惨な出来事も数多く起こっていますよね?
それは簡単なこと。
天が遍く支配する法則を知らないから・・・。
教祖から教えられた「月日親神様」の思いを正しく理解していないから・・・。
我慢で通れる道ではありません。
我慢で通っても意味はなく、ただ埃を天に届けているだけ。
教祖は
どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様が受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい
仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌や
なあ、と、不足不足でしては、天に届く理は不足になるのやで。
と、教えてくだされた。
これが天理。
しかし口で言うのは簡単。実際に「ひながたの道」を辿ろうと思っても、直ぐに癖性分に流され、「結構」と「不足」をごちゃ混ぜにした種を蒔く。
いくら「結構、結構」と口で言っても、「結構」の中に少しでも「不足」が混じれば、その根っこは「不足」である。
癖性分に流されず、誠を貫き、本当の結構を感じるためには、日々弛まない心の訓練が必要になる。世間で揉まれれば人は成長するが、土台に天理を置かなければ、心は荒み人間一条を強くするだけ。
- 「つとめ」より医者
- 「人救け」より出世
気が付かないうちに、教祖を笑い誹った側に立っている。
それでは一体、何の為の信仰か?
教祖の通られた「ひながたの道」は幻か?
信仰の実が見えない?
そんなことは当たり前。
天理の教え通りを実践もせずに、実が見えるはずがない。
実が見えないから教えを誠に思えない。
実を求めるのは欲ではない。
与えたいのが神の心。
子供の幸せを願うのが親心。
そのための「天理の教え」。
そのための「ひながたの道」。
時代も進み、人間の精神文明も成長し、今こそ教理の理解を深められる時。
ようやく「ひながたの道」を正しく辿れる時代に突入したのです。
ようこそ「新時代の信仰」へ。
ようこそ「天理の教え」へ。
なんか勇んでくるわね。
はたして天理の教えはボクを勇ませ陽気にさせることが出来るのだろうか・・・・
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