「元の理」とはこの人間世界が始まった原因。
何処で、誰が、何の目的で人間世界を創造したのか?
その元始りの全てが「元の理」に明かされているのです。
それじゃ、
「元の理」を知れば人間存在の意味が分かるの?
そうです。
何処で、誰が、何の目的で人間世界創造を始めたのか?「どろ海古記」と呼ばれる「元初りの物語」の冒頭に記述されています。
元初りの物語
この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。
天理教教典第三章に「元の理」
場所は?「どろ海」
誰が?「月日親神」
目的は?「人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しむため」
これが人間創造の真実です。
どうです?理解できましたか?
いやいや、
「どろ海」ってどこよ?「月日親神」って誰よ?
「人間の陽気ぐらしをするのを見て共に楽しむため?」。今、世界中が新型コロナウィルスで混乱しているけど?
言っている事と、起きている現実に明らかな乖離があると思う。
そうですよね。
こんな話を聞かされても普通は判断に困ると思います。
それでは「元の理」とは何の為に教えられたのでしょうか?
「元の理」の真意
天理教教典第三章に「元の理」は「元初りの物語」であり、「どろ海古記」とも呼ばれています。
こふきをつくれ!
教祖(おやさま)のこの一言が「どろ海古記」のそもそもの始りでした。
教祖に教えられた人間創造のお話しを側近が書き綴ったものを原型として、「和歌体十四年本」(山沢本)、「神の古記」(十六年本・桝井本)など幾つかの「こふき」が存在していますが、その後、紆余曲折を経て、天理教教典第三章に「元の理」として纏められました。
つまり「元の理」とは元々「こふき」であり、天理教教典第三章で綴られている「元の理」が、教祖の言われている「こうき」の意に沿っているのか?
これは十分に検証の余地があると思います。
天理教教典第三章で綴られている「元の理」は「元初りの物語」として位置付けられていますが、教祖が言われた「こうき」とは単なるおとぎ話なのでしょうか?
教祖はなぜ、「こふきをつくれ!」と側近に指図したのか?
同じく「天理教教典第三章、元の理」の冒頭には下記のように記述されています。
親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。
天理教教典第三章に「元の理」
ここで重要なのは「陽気ぐらしを急き込む上から」。
教祖は親神様の意に従い「陽気ぐらし」のために「こふき」の作成を始められた・・・
要するに「こふき」の話を、人間の「陽気ぐらしに還元」することが目的なのです。
この世の元初りに「こんな物語があった」とおとぎ話を聞かせるためではなく、「こふき」を読むことで「陽気ぐらしに現実味が増す」・・・
つまり、「こふき」とは「陽気ぐらし」を構成するに欠かせない重要パーツの1つなのです。
重要パーツの1つ・・・というのは、この天理教教典第三章の「元の理」だけでは「陽気ぐらし」の断片しか伝わらず、「陽気ぐらし」に必要な全パーツを網羅していないからです。
「元の理」の全文をお読み頂けば分かると思いますが、人間が創造されて陸上で生活する段階になってお話しは「終わり」になります。
・・・海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。
わたし達が最も知りたい肝心な部分「人間が陸上で生活するようになってから・・・」の記述が省かれています。
教祖の側近の一人、高井猶吉の談によると「どろ海古記」は教祖の思し召しに添えていない・・・と言われています。
十四五年頃だつたと思ふ。教祖様は、良助さんと佐右衞門さんと自分と三人に、
こふき話を書いて出せといはれた。良助さんは教祖様のお話の如く和歌態にして
出された。仲田さんは話態に出された。が何れも教祖様の思召には添はなかつた。https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3393/OYS001601.pdf
それでは「どろ海古記」は教祖の承認を得ていない「意味の無い物語」なのでしょうか?
「どろ海古記」自体は、側近が教祖のお話しを書き留めたもので、教祖直筆の「おふでさき」にも何点か共通する記述が見られる点からも、大まかなアウトラインに相違はないと思います。
「こふき」の神意
ただ教祖が言われた
こうきをつくれ!
この「こふき」は下記時点で終わるものではなく、その後も続いて行く
「人間創造の元初め ~ 陽気ぐらしの完成」までを網羅する物語
ではないでしょうか?
・・・海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになつた。
この間、九億九万年は水中の住居、六千年は智慧の仕込み、三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。
そして・・・
天保9年10月26日に教祖が「月日のやしろ」として定まり、神直々に神一条の天理を説く「理の仕込み」が始まった・・・
このように「こふき」は続いて行く・・・。
「月日の思惑」に初めて触れ、初めて「天理の教え」を頂く、現代のわたし達も「こふき」という「人間創造の物語」を構成する一員なのです。
つまり、教祖が通られた「ひながたの道」をたどるわたし達が、どんな悟り違いをしたか?どんな失敗を繰り返したか?そして、どんな心の成長を経て「陽気ぐらし」に辿り着いたのか?
わたし達が辿った「ひながたの道」がそのまま「こふき」となり後世に伝えられる。
「こふき」が出来れば、わたし達が出直し、生まれ変わったとしても、「こふき」を元にして難なく「陽気ぐらし」を再構築出来るのです。
「こふきをつくれ!」とは、当時の側近への課題ではなく、「ひながたの道」をたどる者全てへの課題。「こふき」とは、この道が続く限り書き足される人間創造の物語・・・
そして、永遠普遍にして人類共通の「陽気ぐらしへの手引書」なのです!
本日のまとめ
- 天理教教典第三章の「元の理」は未完成の「こうき」
- 「こふき」とは「人間創造の元初め ~ 陽気ぐらしの完成」までを網羅する物語
- 「こうき」とは後世に残す「陽気ぐらしへの手引書」
わたし達自身の通り方を、そのまま「こふき」として残すのです。
ただ漫然と信仰を続けるのではなく、日記やブログ等で「信仰の道すがら」を文字として残すことが、今後重要な務めになるでしょう。
分かった!
人類のため、アタシの生き様を「こふき」として後世に残すといいわ!
採用されるかどうかは別の話だけどね・・・
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